2011年1月31日月曜日

時はループする

時間にルーズなこと、
部屋が汚いこと、
自分のベッドにバスタオルを複数枚溜め込むこと、
使ったものを元に戻さないこと、
汚しても洗わないこと、
そしてそれを指摘しても決して直そうと努力しないこと
に最近めっぽう腹が立つ。娘よ。

その、「そんな些細なことを大きな声で言われても私にはこたえないし」、
という姿勢はまるで私の中学時代とおんなじだよ。
めんどくさいし、腹が立つ。

食べてるときだけは、腹が立たたないのは同じものに集中しているからなんだろう。

明日からは、娘の学校は受験休み。
中受のみなさま、力を出し切れますように。



おい、そこにいる娘、あんたは部屋を片付けな。

2011年1月30日日曜日

望みは何と訊かれたら

小池真理子の「」には持っていかれた。
それ以来、小池真理子は何冊か読んでいる。

この「望みは何と訊かれたら」は文庫本で610ページあるのだが、2日で一気に読み終える。とても面白い。そして少しの逃避にはとてもいいと思う。
タイトルが個人的にはいまいちだなと思っていたのだけど、この「望みは何と訊かれたら」は、映画『愛の嵐』の中で歌われる歌で、もともとマレーネ・ディートリッヒが歌っていた歌のタイトルらしい。(この映画、見てみたい。)


解説では、”殺意と愛情がせめぎあう極限状況で人生を共有しあった男と女ゆえの、根源的な結びつきと、身体も魂も貫く究極の悦楽を描き尽くした著者最高の恋愛小説。 ”とある。
1970年代、学生運動の頃、あさま山山荘事件の頃と同時期。主人公の沙織は、友人にさそわれたのをきっかけに参加した「革命インター解放戦線」の活動の果ての凄絶な粛清リンチから身ひとつで逃走する。そして当時19歳の吾郎に助けられ庇護され、半年間”飼育”されて生きる。食べ物も排泄も全てゆだねて生きること、その心地よさと悦楽、そこに留まること(留まりたいと思うことへ)の恐怖にからまれて生きる。
その二人の場所、あれは愛なのだろうか。愛は生きることの中に包含されていて、そして考えて体験して実感して喜び悩んでナンボ、が生きることだと思っている私にとっては、あの場は生きることですらない。もちろん、若い頃はその雰囲気に傾倒したかも知れないけれど。

確かに物語にはぐんぐん引きつけられるし面白い。物語のテーマにというよりは文章の語りにひきつけれられる。小池真理子の小説は、何が起きたのかといったテーマや物語の構造よりも、何をどのように感じ考えたのか、の語りに読み手が寄り添いやすいのだと思う。ある意味漫画や映画のように情景が広がるのでとても入り込みやすいのだ。戻ったりしない。考えたりしない。美しいと感じさせる情景や雰囲気に浸っているのがとても心地いい。

しかし、この物語の”愛”には、「」のような長い余韻を感じることはできなかった。


望みは何と訊かれたら






2011年1月29日土曜日

まるい餃子

おじさんたちが少年に戻る軽音のアマチュアライブをGさんと聞きに。
40、50才過ぎたロック少年、好きなことやってるおじさんたちは、
なんちゅーか、子供のような集中力です。

とか言っても、ロックはまるで分からないので、
「あれ、なんでみんな盛り上がってんの?」「これって有名な曲?」
とかGさんに聞きつつ拝聴。
エレキの音圧を浴びるのも、体力いりますな。

しかし、ギターとかベースを抱えてる姿って、
そのまま赤ちゃんを抱えてる格好と一緒だな、と思い、
ロックおじさんがお父さんをやっている姿も一人想像しては、
ぷぷぷ笑いをしていた私です。

■■■
昨日、手作りコロッケの話をしていたせいか、餃子を作りたくなっちゃって。
ウチの餃子は、丸いんです。

丸く焼く餃子。
お皿の端に寄っちゃったけど。


手作りコロッケって美味しい。手間がかかるから作れないけど。

金曜の夜は、ビールか発砲系のお酒を買って帰る。定例である。

昨日は飲むペースが速くて、つい酔っ払い状態に。
 「Tさんちの手作りコロッケは、すごい美味しいらしい。
いいねえ。あそこんちはなんだか正しい日本の家族って感じだよねえ。
Tさん本人も言ってたよ。」

と、言ったのは覚えてるが、誰に向かって言ったんだっけ?Gさんだったか。


朝から、こってり坦々面を食べている娘に
「そういえばTさんちの手作りコロッケってさあ、...。」と言い始めたら
「それさ。昨日も聞いたよ、あーあ、酔っ払いだ。いやだいやだ。」と冷たく制された。

「す、すんません...。」



2011年1月27日木曜日

春じゃないのに


今だフンが水っぽいチャイは、毛が抜けてちょっとみすぼらしい。
まだ春じゃないのに毛替えかよ、病気じゃないだろうな、ちょっとだけ心配。
(先日動物病院に行ったら、フンは健康だということなのだが。)


放鳥している時、放っておいたルンバが近くにやってくると
チャイは緊張しまくって羽毛がびしっと体に張り付いて細くなる。そして目が、ぎょろ、となる。
近くに私がいると、背中へぴょんっと飛び乗ってくる。安心するのかも。
(それがカワイくて、つい、チャイを外に出した時にルンバを放してしまうんだな。わはは。)

チャイの籠が置いてある場所はリビングの東の窓側、暖房の上の台の上。
お日様もお月様も見られる、ばっちりいい場所なんだけど、
暖められた空気と一緒に脂粉が舞い上がってブラインドは毛むくじゃらだ。
さすがにここはルンバも手がだせない。(手は無いが)


ところで。
今月の電気代、先月より1万円も高い!なぜだ。
この家で冬場に電気代が最もかかりそうなのが...、蓄熱暖房器だ。
確認してみたらタイマー稼動になってない。
通常モードとなっており、ここ一ヶ月くらい
人がいない時間も設定温度以下になったら暖め続けてくれてたわけだ。
どうりで、寒いですね、という天気予報と自分の寒さ感が乖離してたわけだな。


そんな常時稼動している暖房器のぬくぬくとした暖気に煽られて、
春が来たかと勘違いしたのじゃなかろうか、チャイ、その毛替え。
フンが水っぽいのもそのせいかなあ。

2011年1月26日水曜日

うららかな午後に

午後から出張。
駅で降りて本屋へちょっと寄ったら、中島義道「エゴイスト入門」が正面に。
真っ赤な表紙である。
真っ赤な中島義道...手に取ってしまうじゃないか。

中島義道の本は初期の頃の本(ウィーン留学の話とか哲学の教科書とかカント、時間の話のあたり)
が好きで何冊か読んでいたのだけど、「愛という試練」で食傷ぎみとなり(納豆食べすぎみたいに)、
もういいわ、な状態となって数年。
時間もあいたしちょっと読みたくなる気持ちがもくもくと。

ぺらぺらめくったら、う...、解説が勝間和代ですか....。
うーんちょっと違うよな、やっぱ買うのやめようかな、とか思い、
一旦戻ったりして、まいいや解説読まなきゃいいんだし、と、レジへ向かう。
手に取った時、買うことがほぼ決まってしまうのかも。

しかし、私よ。
新幹線で読む用に500ページのハードカバーを持ち歩いているのに、また買うのかよ。
おばか、である。
他に資料やらも入っている鞄はずっしり重いのに。
いやそれよりも、打ち合わせ前の臨戦体制作りをしなくてはいけないのに、
なに、うららかな午後をすごしてるんだろうか。(ほんの10分だけど)

■■■
仕事の帰りにさっそく「エゴイスト入門」をめくってみたら、
...ああ、食傷ぎみの気持ちを思い出しちゃった。

2011年1月25日火曜日

価値を測るものさし

昼休み。
「ひとつ気がついたことがあるんですけど。」
おお、なんかひさしぶりじゃないか、T君。
「飲み会で、立替すると、お金持ち.....。 今、なんだかそんな気持ちですわ。
それはですね、このお金持ち感は、事象が4次元だからなんですよ。
時間軸があるからですね!」

んなわけないだろー、なんてこと誰も言わず、
しかし疲れた頭でこじゃれた落ちをつける人々もいない昼休み。


そうね、私(たちは)日々、数値化、可視化なのである。
そして閾値を判断。定性的だと、いただけないような雰囲気なのだ。
それだけでは意味の無い膨大な数値データを
Excelのセルにせっせと詰めこみ、意味を見出そうとする毎日。
時間を惜しんでやらないと早く帰れない。 おしゃべりも時々したいんだけどね。
しかし夜遅くまで働くみなさん(ご苦労様です)、知ってますか、
季節ごとの外の空気の匂いとか帰宅するときの夕日の色や夜の色の変化を。
私ばっかり眺めちゃってすみません。

時々、ネットで内田樹の研究室のぞく。
そうすると日々数字をつないで線を引いている自分の血管に、たおやかさがしみこんでくる気持ちになる。(どんな研究をされているのかはまるで分かっておらず、ただただ言葉を読むのみです。インターネットの恩恵でですね。)
内田先生が21年間勤めた神戸女学院大学の最終講義の内容もネット上のあちこちで見かける。
その最終講義では、
ヴォーリズの「学校設計の思想」と、ヴォーリズ設計の建物について語り、 93年当時に学校の財政難に際して某シンクタンクに意見を求めた際、「地価が高いうちにこの土地を売って、郊外に移転すべし。築60年の建物には維持費がかかるだけで無価値だ」という結論が出た時に激怒し、このヴォーリズの建物の価値、そこで学 ぶことの 意味ををまるで理解できず、数値化できるものしか信じない市場原理主義とは、私はそのときに決別した、
という話が印象に残ったとされている方が多い。共感されたという方も。
大学のHPにも書かれている。


この部分に、なんとなくざわつく。このざわつきはなんだろう。

”数値化できるものしか信じない市場原理主義との決別”という響きはとても心地よい。また価値というものに関しては数字で測ることのできないものもあるし、経済ではない空気や時間やにおい的なアナログ的な価値観を基準にできたらなとも私も思う。
(確かに、歴史ある建築の趣を残してほしいと思うし古い校舎を残している学校を見学したことがありますが、その空間にはほんと癒されます。)

一方で、数値化しないと分からないこともあるし、特に市場では、市場原理で数値化し切り捨てをしないと価値を得られないモノや人もいるのだ。もちろん最大公約的な幸せはないし、幸せと感は個人的なものだ。価値を測るには、いろいろなものさしがある。(それらのものさしは日々増やしていくことも可能だし、それは楽しい作業でもある。)
そして、どこに価値基準を置くかを、そのときそのときによって私たちは選ぶことができる。
思うに、選ぶって、傲慢だ。私たちは傲慢な生き物なのだ、最近忘れてたけど。

そして自分の価値基準を持ち選択できる場所へ到達するためには、やはり市場原理の中である程度の経済的安定を得られないととなかなか難しいことも実感としてある。まず自分を保てるだけの経済基盤ががあって、価値基準なるものを考え選ぶ傲慢さがもてる余裕もでてくると思うのだ。モノで構成されている現実の中で泳ぎ、自分自身を保つのは意外とキビシイ。

だから、内田先生のようにきっぱりと”私は決別した”と言って価値基準を選び取る(それが可能である)ことをうらやんでしまう。きっぱりと選択できる(他方を捨てる)ことができる強さや傲慢さをうらやむ。
私は、いつもどっちがいいのか、とか損か得かを比較して選択しあぐねて右往左往してしまう。
霞を食べて生きていけたらいいねえ。

そうか。
そこへ向かう努力を怠った(思いつきもしなかったのだが)、今でも怠ってぬるま湯でゆるゆるしている自分自身を再確認して、うなだれるのだ。きっぱりとした傲慢さの前に自分の怠慢さを感じて、ざわざわと感じて、うなだれる。

■■■
そういえば、「経営戦略を問いなおす」を書かれた三品先生も、
損得が横行する経営市場における経営においても、経営は人に宿るものであり、ゆえに経営者が若い頃に学ぶべきことは役に立つことだけではなくリベラル・アーツの分野、ものの考え方、人間的価値基準の土台作り、という。

価値基準の持ち方、中学から大学まで、このあたりの影響はとても大きいと思う。

さて、もう1月の末。2年前には面接も済んだ頃だったな。
中学受験の皆様、とにかく力を出し切れますように...と、念を送ります(むん)
...って、結局、昨日からこれが言いたかったのだけど、切り出すネタがなくて (^^ゞ

2011年1月24日月曜日

記憶の確定

出かけるとき、コンロの火を消したかどうか、気になるんです。
アイロンのコンセント抜いたかな、とかも。

出かける直前に2回くらい確認してしまうんですよ。
確認も、”何気なく”では記憶に残らないので、
コンロの上に手を置いて火がついてないことを確認したことを体にしみこませる、
とかしてしまいます。
アイロンもコンセントを抜いて、抜いた状態を指差し確認。

体感に視覚を加えて画像を結ぶ、そんな感じで。
そうしないと頭に残らないので、あとになって心配してしまうんです。


ところで。
時々自分の年がいくつだったのか忘れてしまうのですが。
(できることなら忘れたいですねえ。)
いまとなっては41だろうが42だろうが43だろうが、大勢に影響ないですけどね。
「あれー、いくつだっけ?」と考えると、思い浮かぶのがブログの写真
キーボードを打つ体感と視覚で、記録されてるみたいです。

記憶するときには、体を動かして画像で覚える、これ、小さい頃からの癖みたいです。

だから、娘が受験勉強中にノートをただ眺めて暗記するの、
それで暗記できるのかよ?って思ってしまします。
「暗記モノは、”書く”だろうよ。体で覚えなよ。体力いるんだよ。」
と言って書かせようとしましたが、娘には採用されず。

記憶の仕方、暗記方法は人それぞれなんですかね。
今日はネタもなく、とりとめなく...。

2011年1月23日日曜日

みたらし団子を探して

「鎌倉めぐりがしたい」と娘がいう。
なぜ、今、鎌倉なのかね。

去年の年末、久しぶりに観光部分を歩いてみたら、
小さな路地にかわいいお店とかがあって娘的になかなか楽しかったらしい。

母的にも鎌倉は好きです。
何が好きかというと、音が無いこと。
パチンコ屋さん、お店の宣伝、スピーカから流される音楽、そんなのがきっぱり無いこと。
最近では小町通の途中まで電信柱の地中化がされてきて、さらによい感じ。


散歩でもしてみようかということになり、3人でぶらぶら。
Gさんの好きな、みたらし団子も探してぶらぶら。
途中のお店でお買い上げ。
Gさん「ボクみたらし3本と磯辺1本ね。」
娘「私、きなこ、ごま、草あんこ。」
キミたち、そんなに食べられるの?

小町通は見渡す向こうまで人の小さい顔で埋められてた。
店は古い店も新しい店もあって、でも喧騒はない。

ずっとずっと前からあるカフェ、ミルクホールに行ってみる。
ここにはずっと前にも何回か来たことがあって、
いずれも夜で、地元の人が多くてちょっと不思議な雰囲気があった。
なんとか泌尿器科の看板のところの小さい道を入っていくんだったよなあ、と探してみたけど
医院の看板はなく、ミルクホールの看板があって、とても分かりやすくなってた。
そして改装されて小綺麗になってた。テーブルでるるぶとか開いている人もいた。
(個人的には、さびしい感じの以前の方がよかったかなあ。)
「わたし、ここ気に入った。でも友達とくるにはちょっと値段高いなあ。」
と、娘は携帯で写真を撮ってた。

家に帰る途中にソーセージ屋さんにより、いろいろ物色。
パン屋さんによりいろいろ物色。最近、ライ麦パンにはまっている女性陣。

「ねえねえ、私達のレジャー代ってさー、ほとんど食べ物だよね。」

とか言いながら、結局本日も団子、カフェでお茶、ソーセージ、パンをお買い上げです。
(↑夜ごはんになる)


娘が撮った写真をもらった。加工有り。

写真よりも明るい雰囲気なんだけどね。

2011年1月22日土曜日

ソーシャルネットワーク

娘とGさんが、朝からkaraのヒップダンスをしてるんですけど。
それも寝巻きでね。

「いや、こういう動きだよ。オシリは気持ち後ろに突き出して、上半身は動かさないで。」
とか二人でやってるのを隣で見て、崩れ落ちて息もできないくらい笑った母です。
「かーさんもやりなよ。」
って言われたけど、いやー3人でやってる姿を想像しただけで、笑っちゃって。
あんたら、ヘンだよ。
「いやいやボクだって中学生だったら絶対やってるって、この踊り。」
って言うGさん、あんた40過ぎてもやってるじゃないか。

■■■
私とGさんは映画の趣味がちがうけど、
このあたりが落としどころでしょうってことで誘ってみてきました「ソーシャルネットワーク」。
今日は夫婦の日でなんと二人で2000円。運良くボックスシートも予約できたし。
(はじめ200円て書いてたの桁間違いです。修正修正。)

映画は、娯楽映画(まあハリウッド映画だから)で、
標準的に面白かったんだけど、...標準的に面白かったです。
娯楽映画にするんだったら、もう少しドラマ性を持たせたフィクションにするとか、
ドキュメンタリーにするんだったら
技術的な部分とか人物像とか社会的な流れがあってもよかったんじゃないかとか思いました。 

ほら、自分の好みの映画って誰かと一緒に行くと気を使ってしまうからねえ、
こんどはまるっと自分の好みの映画を会社休んで一人で行こうかなー、ゆっくり。
というのをいつも思うんですが、なかなかそれだけのための休みって、取れないんですわ。

ロンガリーヴァ  グラミネ

赤かと思ってあけてみたら白だった。
色がピンク色っぽくて綺麗。
(白熱灯の照明の下では黄色っぽくなってしまうけど写真より赤色っぽい。)
味わいも、はじめピリッと辛い(酸味もあり)けど最後に口にふくよかで甘い。
美味しかったのでGさんには少しだけ、ほぼ独り占め。あとはビールでよろしくー。


ロンガリーヴァ グラミネ2007
トレンティーノ・アルト・アディジェ州
ピノグリージョ100%
年生産量約10万本。

トレントの南約20kmのロヴェレートという
町にある、マルコ&ロザンナ・マニカ夫妻に
よって1976年より始められたワイナリー。
グラミネというピノグリージョを絞った後も
果汁に皮を浸しておくことによって、
赤玉ねぎ色のワイン。
ネットで2500円くらい。

2011年1月21日金曜日

中世の、悪だくみをしてる人を思い浮かべて

本日、コントラバスレッスン。
レッスン室の入り口のアルミサッシがうっすらと結露してるのを発見。
「結露じゃないですかー。」と私。
「ああ、結露ですねー。そこは仕方ないですね。...結露って、しますよね?」と先生。
「うーん、どっちかっていうとしないようにしたいですね。アルミサッシの室内空気に接する部分を樹脂なんかで覆うとしなくなりますかねえ。アルミがヒートブリッジになって外の冷たい温度を運んでくるんです。その冷たいアルミと接する室内の暖かい空気が冷やされて、その冷やされた空気部分が露点以下になると結露するんですよ。だから、そこの温度差を小さくするとなくなると思いますよ。...云々...。」

普段のレッスン中はほとんと喋らないんですけど、こういう単語は口から出ます。
言葉を選ぶ回路ができてるからなんでしょうか。喋りすぎか?と思い、
「あ、あれですよ、その関係のエンジニアなんですいちおう。そう見えないってよく言われますけど...。」

「そうですね。」

って聞こえたような、聞こえなかったような。
先生の横顔の口のほころび具合から、私が心の声を察したのか...。

■■■
さて、教則本。
なんとなく指をさらってきた私ですが、
先生:「ここはもっと小さく。中世の、ほら、悪い人が何かたくらんでいる感じ。初めはppで。」
と、先生がお手本を弾いてくれました。

私: 「おおう、ランプに照らされた髭面の老人が見えますね、ほんとに。」
先生:「た、たしかに見えますね。
    で、この先のメジャーに転調するところがちょっと盛り上がりです。徐々にクレッシェンド。」
私: 「ああ、そこは、自分の若かった頃を回顧してるんでしょうかねえ。あんな青春もあったぞ、とか。」

などと、進むのですが、自分が、なんとなく、漫然と練習してきた曲が
ダイナミックやら曲想をつけることで全く違った趣に変化し、
そしてその変化が目の前で起こったことにびっくりです。
こんな曲だったのか。
面白い。

あとは指使い。
教則本に載っている指使いでは弾きにくく、いじわる問題かと思っていたのですが、
「あ、それは違います。そのままの運指じゃなくて、そろそろ自分で考えて研究してみてください。8分音符の指の運びは1,4,1,4がいいと思います。」
とのこと。ですよねー。考えてみます。

何も考えずにただ練習してたんじゃあ、上達しないってことですなあ。

次回からピアソラの「Ave Maria」。


2011年1月20日木曜日

お風呂で寝るのは気持ちいいんですけどね、1時間以内でお願いしますよ。

3日続けて電車が遅れた。
でも今日は夜ごはんができてた!(娘からメールが来た)

そんな小さなことで一喜一憂です。
そんな小さなことで一喜一憂できるっていいですね。生きてる醍醐味ですね。
「人間、結局はいろんなことに思って感じて考えてナンボですからね。」、
などと遅れた電車で一緒に出張のTさんと語りました。

「でもねー、
30分帰るの遅れるとね、楽器の練習ができないんですよ、
時間の隙間が無くなるんですよ。」
と、愚痴ったら
「30分ずつ寝るのと起きるの、ずらしましょうよ。」
とコメント返し。

いやいやでもね、わたしゃ夜弱いんですよね、朝は強いけど。
明日はレッスンなのに、指の押さえが中途半端だ。
だから音符分の音の形が美しくない。中途半端だ。ふにゃふにゃ。

だから自分の家事やら練習やらのタイムスケジュールに娘のお風呂時間を押し込めるように、
「早く入れ。」
「おい、寝てるなよ。」
「もうそろそろ1時間だよ。」
と、やはり風呂でも寝ている娘に声がけして時間を作りました。

もう眠いです。




2011年1月19日水曜日

経営戦略を問いなおす

 この手のビジネス本は読まないと前にも書いたけど。
「○○力」とか「○○の法則」「○○○の思考法」とかノウハウ本というか個人的な成功体験談を一般化しようとした本とかにはどうも食指が動かない。誰かの成功体験例を読んでもどーなの?とか、そもそも成功とか勝ちって何よ、実際はそんなの主観的なもんじゃないか、とか。
年寄りくさい匂いがしてどうもねえ。
このタイトルだし。


なんだかamazonレビューがちょっと面白かったし、安いので試しに買ってみた。
...ら、面白かった。

個人的に人間の昨日の話とか思考構造の話が好きなんですが、企業と言うのもまさしく生き物なんですねえ。個性と寿命もある。一個一個が一見ばらばらにあいまいに動く個人を束ねて、モジュールごとにある機能を持たせそれらが方向性(企業理念)を持たせる司令塔もしくは応援団(日本的には)が経営者なのかもしれない。

事業に関する現状の場、データを主観的に読んで選択と判断をする、それが経営に必要だと言う。
自分の会社のお偉いさんに読ませたい、と誰しも思うんじゃないか。

学生が読んでも面白いと思う。


経営戦略を問いなおす

2011年1月18日火曜日

乗り換え模様

腰痛がぶり返しそうな寒さです。

長いマフラーをぐるっと巻いてダウンの中に入れるとあったかいです。
このマフラーは娘のを借りています。

去年買った皮の手袋を片方なくしてしまいました。
通常よりも手首の部分が約3cm長いために6000円だったかUPの手袋だったので、非常にショックです。
寒いので手袋は娘のを借りています。毛玉ありの軍手風ですけどかまいません。

ついでに靴も...ってそんなことはありません。靴は母の自前です。

さて。
新幹線通勤な日々ですが、
そうなると新幹線と在来線の乗り換え電車時間もわりと日々確定されてきます。
乗り換えに必要な最小時間も分かってきます。
15分あればスタバでコーヒーが買えるとか、も。

乗り換え時間...、
6分で通常歩きで間に合う。
4分は急ぎ気味。降りる車両は選んで若干小走り。
3分は階段付近の車両を選んでスタンバイし降車後、ダッシュ走り。
2分。階段付近の車両を選んで一番初めに降りれるようスタンバイ。あとは何も考えずダッシュ。
   ただし在来線に滑り込んだ後は、立って生命維持活動をする以外は何もできません。

まあ、わたくしも大人ですから、乗り換え2分の場合は、次の電車を待ちますけれどね。
よっぽどのことがなければ。

さて、本日。
新幹線が関西あたりの天候のため若干遅れ気味で、
いつもの電車への乗換え時間が通常であれば6分のところ、4分..もりかして3分か。
びみょう。
寒いし待ってるのイヤだしここは間に合うよ(きっと)、だから走ることに。
新幹線のドアの前、2番目に並んで待つ。
ドアが開いた瞬間、前のおじ様と同時に走る走る走る走る。
同様なおじ様と何人かで並走ですよ。
笑えますよ、冬のコート着てみんな必死の形相です。

しかし。
ああ、平地はいいけど、階段の上り下りにて気がつくのです。
太ももの筋肉が思うように上がらない。つりそう。転びそう。
(華麗が、あいや加齢が進むと足が上がりにくくなり
 ちょっとの段差でも転びやすくなります、というフレーズを思い出す。)

娘よ、できることならマフラー手袋とともに君の若さも借りたいよ、く~。



乗り換えはもちろん間に合いました( ̄^ ̄)V

2011年1月17日月曜日

時間がもったいないから。

しばらく週に3日程度は新幹線通勤になることになり、
往復の時間がもったいないから何か本を読もう、何か無いかなあ、とamazonで物色していたら。

隣でGさんが

「イタリア語は?...」

と小さくつぶやいた。


うう。た、確かに...。電車の中でも学べるねえ....。
けれどもね、Gさんよ、鋼のような精神力の無い凡人のわたくしは、
具体的な目標がないと独学なんて続けられないのだよ。

”よし、まずは1年後、現地イタリアに行ってみよう!”
とかね。

時間といえば、ほぼ毎日、こうやって書いてる時間も足し合わせると結構な時間になる。
この時間があれば何かできるよね、とも思うのだが....。

■■■
そういうGさんは最近、漫画『チェーザレ』がお気に入り。
イタリアの歴史時代背景とか、巻末のウンチクくを読むのが面白いらしい。
私なんか、惣領冬実は『ボーイフレンド』から読んでるもんね。
イタリアものは、塩野七生(『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』、『ローマ人の物語』とか)は、
ほとんど読んでるし。

とにかく。
私の好きなものを気に入ってくれて嬉しい。
早く単身赴任が解除になって、そしてお金をためたらイタリア行きたいねえ。

おや?
時間がもったいないなあ、から、壮大なおさそいになってしまったが、まあよしとしよう。

2011年1月16日日曜日

スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン

私はアップルな人ではなく、もちろんマックな人でもないのですが。
ジョブズの驚異的なプレゼンのことはニュースにもなっているしYouTubeでも見ている。

仕事で必要な技術系プレゼンでは、データの説明や原理の解説が多くて、パワポの資料はそのまま配布資料にもなるため、製品発表のようなプレゼンとはスタイルが違う。

けれど気になっていたわけです。人を説得する、納得させる、魅了するプレゼンというやつが。

知り合いのエンジニアが米スタンフォードに(会社から)留学することになった時に聞いた話。
「製品設計に関する技術や、研究開発は大事だしも楽しいけれど、やりたい技術にお金を出してもらうためには、”上の人”を説得し納得してもらわなければいけないんです。それで2年間ぐらいずっとプレゼンの勉強をしていたことあるんですよ。」
彼の研究している内容は、「その手法、パクリたい」くらいとても魅力的で、その目の付け所がとってもユニークだった。帰国してからの研究内容の報告も非常にユニーク。説明のしかたが、うまいんです。
それ以来プレゼン技術というやつに、ずっと興味があったというわけです。
で、この”脅威のプレゼン”というタイトルを見て気になり、ずっと”お買い物かご”に入っていたのを、この度、クリックしました。

■■■
本書は、ジョブズの伝説的なプレゼンの数々を分析し解説する本。大事なポイントはそう多くなく、事例によって解説が補強されている。
技術的な発表にもそのエッセンスは使えると思う。

 --(メモ)-----------------------------
・ツイッターのようなヘッドライン。シンプルにダレにでも分かる簡単な言葉で。
・特に問題提起(導入は)短いセンテンスで以下が分かるようにする。
①何をするのか
②どの問題を解決しようとするのか
③他とはどう違うのか
③なぜ気にかける必要があるのか。(「どのように」ではなく、「なぜ必要なのか」)
・説明する項目、ロードマップは、3つにまとめる。ほぼ必ず「3」。
・数字に意味をもたせる。 その数字は具体的にはどれほどなのか?
  iPodの5GB→ポケットに1000曲。
  アップルのシェア5%
  →自動車業界におけるBMWやメルセデスよりも大きい。シェアが小さくて不利だということはない。
・以下のタイプの人すべてに対してコミュニケーションする。
目により吸収するタイプ(40%) ビジュアルに訴える。
耳により吸収するタイプの人(20~30%) 話し方、話すスピード
体験により吸収するタイプの人(のこり) デモなど。
・最も大事なことは、伝えたいことを自信と情熱を持って説明すること。
・(圧倒的に)練習する。
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ジョブズの基調講演というものはジョブズ本人とアップル社により周到に準備され、またジョブズ本人の情熱と圧倒的な練習量が支えているとある。それが無ければプレゼン資料作成技術は何の役にも立たないのだ。本書ではプレゼンされたものを解説(結果の解説)する本であるが、これを読むと、なぜ人々の熱狂的な高揚感をもたらすか(その要因はジョブズ本人によるところが大きいのか、アップルファンの傾向なのか、プレゼン技術なのか)、その深いところの人間の心理や、その講演までの舞台裏についてもについても、知りたくなってしまう。
..それはまた別の本なのね。
数々のプレゼンは、今はネットで見られますが、2005年のスタンフォー ド大学の卒業式で行ったスピーチを聞くと、学生と一緒に拍手したくなります。


スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン―人々を惹きつける18の法則

2011年1月15日土曜日

新年会その2

K夫妻と新年会。近所のそばやにて。

鍋をつつきながら日本酒を飲んでいたら、娘が空気に酔ったらしい。
やたらに饒舌。


みんな食べすぎちゃって最後にはお腹ぽんぽんを見せ合いっこで〆る。
「おい、キミたち、生腹は出すなって!」

満腹の腹ごなしに、うちでお茶を飲みながら、
再度、語り合う人間たちのあいだをチャイが歌いながら回っていた。
どうやら来客好きらしいな、おまえ。


新婚のK夫人曰く、
「私思うんですけど、Gさんとかくまさん(K夫君)とかって、
女性が、いろいろ経験して最後にたどり着く男性の終着駅みたいなもんなんですよ。
このなごみぐあい、もう他の男性に目移りしたりしないですよー、わたし。」
ということらしい。
K夫君も、くまさんと言われるように見た目くまさん、優しいなごみのくまさん。
Gさんも、なごみのGさん。
(↑「仕事の時はきりーっとしているよ。」というけど、家では見たこと無いよ。)

「ほめられてるんスか?俺たち?」
「もちろん、この上なく、ほめてるんだよ。」
わたくし、隣で大きくうなずきましたとも。


よっぱらい大人4人とテンション高い中2娘の、ばか笑いの夜がふける。



お土産にいただいたガレット・デ・ロワ。

フランス語で「王様のお菓子」という意味とのこと。
公現節(1月6日)に食べ、中にひとつだけ入っているフェーヴと呼ばれる陶製の小さな人形が当たった人は王冠を被り、祝福を受け、幸運が1年間継続するといわれる...と説明書きにあった。

2011年1月14日金曜日

一日、座り仕事をしてるとね...

今週は4日のうち3日新幹線通勤だったためか、長かったようなあっというまだったような。
お正月というイベントは、すでに忘却の彼方です。

もともとの私の仕事は、
計算したり計算したり計算したり、時々肉体労働、そして計算したり、が多いのですが
最近なんだか内容が変わってきていて、
データを探しては点(数字)をつなげて線にする作業が多くなっています。
Excelでグラフを見ながら、顔をしかめたりニヤついたり。

あまりカロリーを消費しない感じです。

今日は出張もないので、ロングブーツを履いて出社。会社でペタ靴に履き替えです。
帰りにはふくらはぎをブーツに押し込めなくなるかと思うほどぱんぱんになってました。
血流の第二ポンプの「ひらめ筋」、弱ってる。


1月14日って、この日付、何か見覚えあるなあと思っていたら、
ああ、そうか2年前のこの日、娘の中学受験のはじめての試験だったんだ。
早いなあ、もう2年前か。思わずこの日の自分の日記を読んでしまう。
今みたいにお気楽じゃなくて、ずいぶんナーバスで感度高く生活していたような気がしますね。

■■■
13日のNHK-BS「熱中スタジアム・走れ!マイクロマウス」が面白かった。
Gさんに話したら、マイクロマウスっていうのは昔からあって、人口知能のはしりなんじゃないかな、
ということらしいのだが。

Wikipediaによると、"マイクロとはマイクロコンピュータ(マイコン)を搭載し、自律制御で未知の迷路を走破してゴールへ到達するまでの時間を競うロボット競技およびロボットの名称 "ということだ。
マイクロマウスは走りながら壁の有無や通った道の情報ををメモリに蓄えていき、その情報を元に次に進むべき道を自分で決定するのだそうだ。競技では、複数回の走行が可能で、ます試走し、スタート時は探索ルーチ ンに従って進み、行き止まりに突き当たると戻りルーチンに従って今まで進んだ道を戻ることを繰り返し、マウスは迷路を走る地図を作り記憶する。そして今度は速さを競う。探索アルゴリズムはいろいろ確立されたのがあるんだそうだ。へえー。

まあ、ルンバの部屋の走行アルゴリズムなんかを調べていったりしてたら、人工知能ってどうゆうやつなんだろうとか、気になっちゃって...


■■■
チェーンのパン屋さん「ポンパドール」で
見つけたウサギパン。

見た目もかわいいけど、
中の餡子が羊羹のように寒天っぽくて、美味しい。
鯛焼きであれば、尻尾の端っこしか食べない娘もこの餡は「美味しい」と食べてました。

乱暴に持って帰ったり、時間が経ったりすると、
ウサギの目から血が流れます。
お気をつけください。

2011年1月13日木曜日

夜ごはんのお皿

今週の出張も今日でおしまい。新幹線通勤だと思えば、ま、いっか。

「連荘で大変だねえ。まあせいぜいがんばって働いて、お給料もらってきてくださいよ。」
と温かい励ましの言葉をいただきました。娘から。


昨日とおとといの夜ごはんに何を食べたかが思い出せないなあ。
まともなものを食べていのだけは分かっている..帰りの新幹線でぼうっと記憶をたぐった。


一昨日。
月曜に食べた水炊き鍋(残っていた具は白菜のみ)、それから
生協の配達物に入っていた坦々スープ鍋(中身は白菜のみ)。
つまりは2色鍋。双方の鍋とも具は白菜のみ。

昨日。
夜、帰ったら一昨日の残りの坦々スープ鍋に、餅を突っ込んだものを娘が勝手に作って食べていた。
母は、帰りに通る駅のお惣菜コーナーの誘惑に一時打ち勝ったものの、
乗り換え電車待ちの時間に後ろを振り向いてしまい、舞い戻る。

嗚呼オルペウスもきっとこんな気持ちだったに違いない(ってことはまるでないよな)。
そしてコールスローとブランマンジェGet。
家に帰り、テーブルにて惣菜パックのまま娘と惣菜コールスローを奪い合う。
「ちょっとー!半分だけって言ったでしょ。そんなに食べないでよ!」
「だってー。かーさん玉ねぎダメじゃん。」
「これは食べられるんだよ。私の食料これだけなんだから食べないで!」


食べ物で喧嘩したり仲良くなったり一致団結したり、
さもしいのか優雅なのか分からない私たちの日々です。


そして今日は。
「今日は早めに帰りまーす。」(with微笑)と言って席を離れ、
駅ビルで食材を買って家についたら。
またもや娘が白菜を...。
しかし今日は白菜の白ゴマサラダを作ってくれてた。
母も一応メニューを考えていたものの、変更して
生ハムサラダをてんこ盛りで作り、揚げ出し豆腐(生協製)。
そして、ここ大事。今夜はきちんとお皿に盛った!

...お互い、殺伐とした夜ごはんはちょっと苦手。
葉っぱでも何でもいいんです、テーブルに座ってお皿に盛った温かい何かを食べる
ゆとりの気持ちを添えて食事の時間をすごしたいですねえ。



2011年1月12日水曜日

パラダイムシフトか、ルンバ

吸引力の○○○○、もしくは世界で一番静かな掃除機○○。

そんな掃除機を選ぼうかとも思ったけれど、掃除をする時は
「掃除機を出して自分も一緒に動く」
これがなかなかできないんですよね。

■■■
先日、とある研究会で会ったママ友が言うには、
「もう10年ルンバを使っているからそろそろ2台目に買い換えようかと思うの。」
でした。
彼女のところは共働き(家事はご主人と半々だそうだ)で、二人のお子さんもいるし、子連れで英国留学し、現在は休日には自分はピアノを習いお子さんのバイオリンに付き添うというパワフルママです。


すかさず「どう?」と聞いてみたら「すごくいい。手放せないし、なんだかかわいいの、ルンバ。」ということでした。さらに重ねて「洗濯機、乾燥機、ルンバ、食洗器があったら、家事ってもうすること無いじゃない?」とも言ってました。
「”片付け”は片付けるものができた時にするので、特に時間をとる必要ないなじゃい?」
のだそうです。(...私には無理)

私の職場でも、出張が多い機械系女子(みんな既婚)の間で時折話題になるルンバです。
掃除の頻度は多くて週一回、な、みなさんですので、部屋のすみにうっすらと丸まっているホコリとか髪の毛とかがすっごく気になってるんだけど掃除機かける時間無いのよねえ、な、みなさんです。
休日は休みたいもんね。

そして、先日の運命の新年会にて、
「はい、ルンバお勧めです。うちではコレがないと生活できません。」
という力強い声を聞き、即効即日クリックです。
ラインナップで最もシンプルで安価なルンバ527にしました。

使ってみたところ、これがイイんですわ。


我が家にとっての掃除は、きっちり塵ひとつ残さず行うようなアレではなく、
夜中に静かな掃除機でひっそりやるアレでもなく、
・なんとなくきれいになればいい。
・うるさくてもいい。
・めんどくさくない。
 (モノを床から上に上げなくてはいけない、ではなく、
 床のモノを片付けたらあとはルンバを放すだけで掃除終了、というとらえ方。)

です。
けれど何といっても、価値高く感じられるのは、
「自立的清掃」、つまり「付き添いいらず」「勝手にやってくれる」ところです。

きっちり掃除できる吸引能力や静音という機能にミリミリと開発コストをかけるんじゃなくて、知らないうちになんとなくきれいになってるというコンセプト、それを使うことによって時間を生み出す製品開発方向、なるほどです。

価値(V)=得られる効用(F)÷支払う犠牲(C)
とすると、ユーザーの支払うCが小さいので、Vが大きく感じます。

■■■
で、朝のご飯後、身支度中とか、
夜の楽器の練習中とかにルンバを放っています。
なんとなく綺麗になって満足~。

部屋の隅っこも回転するブラシが意外にゴミをかきとります。
リビングが玄関から20cmほど高くなっている部分では本体が段差を検知して落っこちたりしません。
走行アルゴリズムがぜひ知りたいところですが、距離を測りながら進んでいくようで、
椅子の足回りとか狭い部分も掃除しています。(←最初、面白くてついてまわった)



2011年1月11日火曜日

10,11,2,3「いい加減にしてくれ」,4:30,5:20

ブログ書こうと思ったらいきなりのネットワーク障害(たぶん)。
勘弁してくださいよ、私は眠いんです。
いろいろいじってみたけれど、今現在非常にネットにつながりにくい状態です。

休日開けの朝は、Gさんの朝も早いので、前日は10時就寝。

ところが。

10:00 就寝
11:00 「おいおい何してんの」(母起きる)
「メールチェック」(母の部屋の前で、娘、HDDの音をうならせる)
12:00 「ちょっと!なにやってるわけ?眠れないよ。自分の部屋でやりなさいよ。」
「ええーここでやってもいいって言ったじゃない。」
「んなこと言ってない。」
...いろいろ言い合う。

03:00 こんどは屋根裏のごそごそする娘。屋根裏は母の部屋の上です。
あんたは怪人二十面相か。
「何してるの?」「教科書を探してるの。」
   「...いいかげんにしてくれ」 母、キレる。
4:30 惰性で起きてしまう。もう眠れない。
5:20  起床

っつーわけで眠いんです。
おまけに今日から3連荘で出張です。

冬休みには宿題ってゆーのがあったんですね。
気にも留めなかったんだけど、そんなの。ウカツ母です。
そういえば宿題がどうのこうのって新年会で中2のお母さんたちが言っていた気が...。

それに確か、明日は朝練よねえ、娘よ。

■■■
 検討中だったルンバ 買いました。

待機中のルンバ。

ちゃんと段差も検知してくれます。
椅子の間も抜けていってくれます。

「名前をつけるとペットみたいで愛着わくよ」
ってお友達からアドバイスありました。

ルンバの話はまたいずれ。

2011年1月10日月曜日

シーパラ行くのに朝ごはん食べないなんて

朝ごはんのテーブルに娘と二人。
娘は今日もお出かけ。友達とシーパラだそうだ。

「あのさ、昨日の新年会はね、男の子のお母さんが多かったんだけど、
その話を聞いていたら、あんたのヘンさがなんだか小さく思えてきて
”うちの子のここがヘン”自慢ができなかったよ。残念だよ、うう。」
「でしょう。だから言ったじゃん私は中2ではごく標準なんだって。」
「そうねえ...。(いまいち同意しきれない)」

でもこの子の、そこはかとなく笑えるお笑い系ヘンは、なんか説明しづらいのよね、
母の会話力で説明すると場が止まるしね(経験上)、と思う母でありました。

「あ、でもね、アンダンテさんが言ってたんだけど、女の子より男の子の方がカワイイって。」
「ええ!?」
「あいやーそれは男の子の方が単純でおばかな、という意味だと思う。」
「ああ。確かにそうだね。」
「でもさ、その点女の子っていうのはさー、なんか、めんどうだよね。」(母、しみじみ)
「たしかに...、そうだね。」(娘本人もしみじみ。)

なんだ、本人も自覚しとるのだな。
”めんどう”の一言で、その言葉が指し示す内容が共通認知されてしまう(気持ちになる)、
それが女どうしということなのかもしれませんねえ。


「ああ!」と娘が急に叫ぶので、「ぬぬ?どうした?」と聞いたら、
「やばい!朝ごはん食べちゃった。」との答え。

「朝ごはん食べて何かまずいことがあるんですか?」
「だって今日はシーパラなのに!」
「なおさらごはんだべなきゃ、でしょう。シーパラでしょう?」
「何言ってるのさ。スイパラだよ。スイーツパラダイス!スイーツ食べ放題なの!」

ああ、ああ、そうですか。お年玉もらって豪勢だねえ。いってらっしゃい。

■■■
連休最後の日には掃除だよ、やだなあ。
「楽しいことは最初に、だって取っておいたらできなくなっちゃうかもしれないでしょう?
やりたくないことは最後に。だってやらなくてもよくなるかもしれないでしょう?」
と、先日Gさんに言ったら、
「たいていそうゆうふうに考えるからプロジェクトってゆーのが遅れるんだよっ。」
「いえいえ。私は嫌がっても必ずやりますから遅れません。」
と言った手前、午前中に掃除やりきりました、ほれ見ろ、ばんざい!


そしてGさん起きてきたのは掃除も終了間際のお昼の12時。
G「ごはん食べる。」
A「食べな。」

■■■
「Gさん、うちの子は中2男子にくらべたら自慢できるヘンじゃなかったよ。」
いや、十分ヘンだと思うけど。女親にとってはさ、
男の子の行動やら精神構造が訳わかんないんだよきっと。
そしてだからカワイイんじゃないかなあ。それは父親にとっての娘もおんなじかもねー。」
「そうかなあ。」

そして最近の、日本の政治について語りあう。(ちょっとウソ)

「ねえねえ。私はGさんと話す時は普通の速さで言葉キャッチできるんだ(^^)v。」
「ぐふ。それでできてるつもりなんかなー。」
「え?もしかして(言葉)出るまで待っててくれてるの?」
「あたりまえやん。もう慣れたわ。」

そうか...。
話したいことがあって、それらをまとめて、それから言葉をキャッチして声を発するのって、時間かかりますよねえ。なんで皆はスムーズにやれるんだろう。私なんか昨日の新年会での会話の中で、「あ、その話題聞きたい!」と思ったことがたくさんあったのに、よし聞いてみよう質問しようと思ったときには別の話題になってて聞けなかったよ。
うるるるる。




2011年1月9日日曜日

そうか、年があけたんですね、と、新年会。

前日、「明日のために口をすべらかにしとかないとね。」と言って、Gさん相手に喋る練習してみた。
が、次の一手のための言葉が捕まえられない。あのあれあれなんていうかなー、となるんですよ..。
「そんなん練習するもんじゃないで~。楽しめばいいのや。」
ということらしいのですが、いやはや、なかなかGさんみたく反射で喋られないので。
あたふたしないで、場をスムーズにつなげるには滑らかに言葉キャッチが必要よってことで。
(仕事で言葉につまらないのはその場に必要な言葉を常に使っているからだと思います。)

そんな今日はアンダンテさんところの新年会へ参加させていただきました。
娘作のケーキがずっしり重い。
「ちゃんと言うんだよ。」と、念押しされたので、これも練習してみた。
母「”これ、娘が作ったんですけど、美味しくないかもしれません。”」
娘「ちがうでしょ。”これ娘が作ったので美味しくないかもしれません”、だよ。」
母「あー、はいはいはい。」
そういう娘は、黒一色のゴスロリ服を着て友達をお出かけです。
「こういう服を着てたほうが、みんな恐がって近寄ってこないから危なくないんだよ。」
と勝手な理論を展開しております。


新年会は大人だけで10人以上となり、話を聞いて大笑いでした。
男子のお母さんが多く、話を聞くと”男の子はやはり宇宙人”と思ってしまうのですが、女子しか育てたことが無いので、男子の宇宙人具合に対する自分を想像したり娘の子育てと比べることができなくて、なんだか残念~。女子の場合、自分の通ってきた道だけに、子供の行動に驚くというよりは裏の裏を読もうとする心理的な攻防戦が多いかなと思います。

本日のお得情報。
・ルンバ使用の実体験が聞けたこと。
もう何ヶ月も買おうかどうしようか迷っていたところに一押し。もう、さっそく購入クリックしました。
・前から気になっていたが話題に上がり、おおおーそうだったのかーとこちらもクリック。
・「コテハン」という新しい名詞を覚えました。


人とお知り合いになると、いろいろな仕入れ情報も増えて2度美味しい新年会でした。
ありがとうございました。

■■■
家に帰ったら、Gさんと娘に「お帰りなさいー。どうだった?」
と聞かれて 「楽しかった~。」と答えました。
「で、私のケーキは?」「うん」「うんって何?」「美味しかったって。次回も期待してるって。」
と、もう少し色をつけた言い様があるだろう母よ、という按配で感想を伝えてたけれど、
娘は満足げでした(たぶん)。

Gさんに「なかなか反射で言葉が返せなくて。」と言ったら、
「よし、これから毎日練習だ。まずは僕ら(娘とGさん)の会話にちゃんとついてこられるように練習しよう。」
「そ、それは、無理っす。」

そう、彼らは際限なく喋ることができるんです。

2011年1月8日土曜日

休日仕様

朝起きて、流しに山と積まれた金物類を洗おうと、大きなため息をついたら、
「うああああー、私が洗うからまってー。」
と、娘がだだだだっと階段を下りてきた。

そう、ため息さえも聞こえてしまう、
いや、ため息がスピーカーを通したように増幅されて聞こえてしまう構造なんです、我が家は。
オナラやオナカが鳴っても聞こえてしまいます。内緒話はできません。(←家が小さいからです)

ため息で子育てはいけませんな、と思ってはいるものの隠し切れないため息ひとつ。

ともかく。
休日仕様の中坊(男子)のような風情で降りてきた娘に洗物もすべてやっていただきました。
母の(まがった)教育のたまものか。


満足げに、自作ケーキを貪り食う娘。
「うんまー。あのさ、ママ、これをね、よそのおうに持っていく時には、自慢げにじゃなくて、ごく自然に、”これ、娘が作ったんですよ”、って言うんだよ。さりげなくだよ、分かった?」と言われました。

隣にあるのはライ麦パン。二人で朝食用に併せてついばむ。




■■■
オカメインコのチャイのフンが最近水っぽい。
言動は元気そのもので、
「こいつが病気なわけない」と家族の意見は一致しているのだけど、
鳥の場合は具合が悪くなったら間を措かずいきなり落鳥してしまうことがあると本にも書いてあり、
動物病院に連れて行くことにした。
もちろん、「オカメインコも見てもらえますか?」事前確認もとる。
イケメン獣医さんにフンを調べてもらったところ
「フンに細菌もいないので、病気ではないでしょう。
少しの変化でもフンの状態が変わってしまうのでお薬で様子をみましょう。」
とのこと。
腸内のバランスを整える薬を出してもらった。

病院では元気に暴れまくり、
病院からの帰り道では、歌は歌うわ、ただいま、おはようを繰り返し言うわ、
ずっとご機嫌なチャイ...。
コイツが病気だったらいったいどんな鳥が病気じゃないと言うのか...。
(でも心配なので調べてもらえてよかった。)


帰ったらお昼。
キッチンは娘に占領されていて、
テーブルの上は休日仕様。
オタフクソースとマヨは冷凍たこ焼き用。










2011年1月7日金曜日

春の七草


”せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ”のお買い得パックを横目に、
蓮根を買う。今日は無性に蓮根が食べたいんです。
お、娘からメールが。
ミートソースを作ってパスタをゆでた。ママとGさん分もある。
ラッキー。

蓮根をタラコと煮たのと白菜の煮物、ミートソースパスタという和洋折衷な夜ごはんに、
カヴァのロゼ(1/4ボトル)をいただく。
「ちょっとー、何飲んでんのよ!」と言われつつ。 

■■■
コントラバスのエンドピンを上下させるネジが、何日かまえから回らなくなってきて、
クレ556を買ってきてさして見た。
でもだめだ。2度くらいしか回らない。
夜帰ってきたGさんに「ちょっとまわしてみて」とやってもらったら一瞬で回った(-_-;)。
クレ556買ったんですけど、もしかしていらなかったのか?

娘が夜中にケーキを焼いてくれた。ありがとう。
でも作り上げたケーキ以外の惨状を見るにつけ、
買ったほうが精神衛生上よかったかも、と思ってしまったよ。
惨状を実況すると、めらめらと火がつくので、ここはもう粛々と後始末をしよう、母が。

2011年1月6日木曜日

勝利の方程式が見えてこないと、なかなか進みません。

コントラバスレッスン。
「地味に毎日ちょっとずつ練習しているんですけど、勝利の方程式ってやつが見えてこないんです。

これでよしという感覚がなかなかもてなくて。...」
短い音になると、音が”響く”までに時間がかかる、
ダウンからアップになる動きのときに音が裏返りやすい...
などということを言い、今日も8分音符のみ、弓の持ち方、当て方、右腕の力動き、指の脱力...
それでレッスン時間の3/4を費やした

結局、弦と弓があたる角度(それも2軸方向に)と、腕の脱力の仕方によるものか、
という手がかりをつかんで...
引き続き基礎練習を重ねよう、ということになりました。

最後の15分で教則本。8分音符のアルペジオっぽいやつ。
これも地味にこつこつ練習してたんです。

「うん。いいじゃないですか。特に8分音符の音色が前より全然いいです。練習の成果ですよ。
あとは音量も考慮していくといいですね。今は一本調子なので。」

おおお。

「先生もしかして、今年からほめめて育てよう方針にしたとか?」
「いや。思ったことしか言いませんよ。」
これからも基礎練がんばります、と静かに決意しました。

次回はGマイナースケール。
それと「愛の挨拶」でもいいし、ピアソラの「アヴェマリア」でもいいし、ということなり、
これは悩みますなあ。

■■■
家に着いたら、娘がいた。
「おや?今日は仏語なはずでは?」
「日にち間違っちゃった。明日だった。」

ああ、ああ、よくあることだよ、私にもそーゆー経験、心当たりがあるよ。
一瞬でも確認すれば済むことなのにねえ(苦笑)。

娘はお年玉で裕福なようで、「TSUTAYAでDVD借りてきちゃった」と言い、
二人でキムチ鍋をつつきつつ「クワイエットルームにようこそ」を見てしまった。最後まで。
なんだか面白かった。

■■■
年末の「笑ってはいけないシリーズ」で個人的にはまった「神々の遊び」ネタ。
Gさんとか娘基準では「えー。それってもう古いよ~」らしいのだが。
自分でYouTubeで探そうとしたら、探し当てられない。なんか検索したページの趣ちがうぞ。
!ああ、そうか。
「モンスターハンター」じゃなくて「モンスターエンジン」(コンビ名)ね。
だって、よく「モンスターハンター」って耳にするからね、あ、これが「モンハン」ってヤツなのか。
「モーハン」だと思ってたよ。モーハン?なんだそれ?って。
(Googleさんに”もしかしてモンハン”って聞かれちゃいました。)



2011年1月5日水曜日

鳥レバーパテ

「そういえば、私の携帯のさ、マナーモードの振動音、私真似できるんだよ。」
「へえ。やってみてよ。」
「うぃーーん。うぃーん。うぃーん。」 (←すっごくうまい)
「・・・・・・(←あまりにも似ているので笑いすぎて声にならない)。す、すごいねえ。」
「まあね。あいつと付き合ってもうすぐ2年だからね。」

 母、ここでお茶をひとくち。

「あんたってさあ。学校でもそうんなふうなの?友達からの言われようはどうよ?」
「うーん(しばらく考えて)。ヘンって言われる。」
「ええっと、面白い、じゃなくて?」
「うん。面白いっては言われないなあ。ヘンだって。」

そうか。でもよく分かるわあ。親としては複雑だけど。

■■■
一ヶ月くらい前にレバーパテを作ろうと思い立って生協に注文していた鳥レバー(冷凍)。
そろそろ使いたい。そうでなければ永遠に冷凍庫の底から浮上してこないような気がする。
おお、ちょうど良い具合に今日はお正月休み最後の日ではないですか!
「作ろう作ろう。」と娘と二人、足りない材料を買いに出た。
家を出てからも喧嘩しながら歩く。
「あんたはね、言ったことをしないじゃない。いつもそう。あれもそうこれもそう。」
と、母が列挙しだしたからだ。初めの一言に対する娘の言い訳を買うと長引くのだ。

でもこの喧嘩もパンやさんまでだと予想はついてたんだよね。
美味しいものを前にすると、気持ちがひとつになるのが私たち親子の特徴なんです。

作った鳥レバーパテ。レバーの小さい塊がまだあるから、もうちょっとすべらかになるまで攪拌したほうが良かったかも。
買ったライ麦パンもことのほか美味。
「ぜったいやばいよ、これ。」と言いながら夜ごはんにぱくつく。






■■■
夜「これ読んでみてよ。」と、娘が言うので読んでみた。
最近、漫画家の”楠本まき”がお気に入りらしく古本屋で探してきては買っている。

乾からびた胎児

イラスト的な画風。繊細、行き過ぎると独りよがりな方向か?と思いきや主人公たちのたくましさがバランス良い感じです。パズルのピースをはめるような収束の仕方とかも好み。








この本を読みながらお風呂に入っていたら、ああ、私が家に早く帰ってくるのとか、会社の飲み会行かないのとか、娘が家にいる時にはなるべく家にいようとするのとかって、自分の娘が好きで一緒にいたいからなんだなあと急にしみじみしてしまった。喧嘩しても一緒に出かけられるのが嬉しい。あと何年こんな時間が続くんだろうねえ。

いつまでたっても子離れできない母だよ、まったく。


2011年1月4日火曜日

Waltzing With Bears 熊とワルツを

 先日の家族忘年会の時にGさんが読んでいて、タイトルが面白そうだったのでめくってみたら
ぷぷっと笑えたのでそのまま奪って読み始めた。
Gさん「随分前に買ってそのまま読んでない本や。面白いと思う人がまず読めばいいよ。」

帰省の往復で読み終えた。プロジェクトのリスク管理の本です。
タイトルは、どこかの歌からとったものだそうで、リスクという熊とのダンスを楽しみながらソフトウェア開発を進めるべし、というメッセージらしい。本のそこかしこにちりばめられたエピソードは、ソフトウエアプロジェクトでなくともモノを作るプロジェクトに携わった者であれば「あるあるある~こんなんよくある~」と思ってしまう。ブラックである。

たとえば最も起こりうる最も大きなリスクについて、われわれは目をつむりたがる。
特にプロジェクト開始前から「納期に間に合わない可能性大」というリスクが非常に高いのに、誰もそれをリスクにあげようとしない、とか。仕様がいまだにFixされていないのに(または、納期に対するその仕様はありえないだろ、的な状態なのに)、そのリスクは無いものとされてしまうとか。

チームリーダー「この件については明日会議を開きますが、事態は悪化しそうです。」
プロジェクトマネージャー「では会議をやめよう。」


幸運に任せる前向き文化、やればできる論に任せずに、リスクについてプロジェクト開始前にリスト化し、その確率を数値化し管理しようというもの。プロジェクト完了日についても確率で監理し、目標を若干高めに置くここと。 (そう、数値化できないものはコントロールも改善もできないのだ。)

あらゆるソフトウエアプロジェクトに共通のリスクとしてあげられているものか以下の5つ。
(1)スケジュールの欠陥
(2)要求の増大
(3)人員の離脱
(4)仕様の崩壊
(5)生産性の低迷
これらのうち(4)仕様の崩壊については、笑えるけど笑えない。
製品仕様はプロジェクトの初期に合意する必要があるが、大抵はそうはいかない。人々は合意することになっている。協力することになっている。
他にも、リスク発生の検出における進捗メトリック、EVR(稼得価値)、リスク軽滅のためのインクリメンタル手法の説明あり。究極のリスク軽滅戦略は「早くスタートすること」だそうだ。そりゃそうだ。
数量化の方法も書いてあるが、本書はリスク管理の概念がメインで、具体的なメソッドやツールについてはあまりない。(ツールとして書かれているURLへのリンクがある。)

リスクも数値化して監理してみたらいいかも、できるかも、と、まず一歩を踏み出そうかと思わせる本。

熊とワルツを - リスクを愉しむプロジェクト管理

1日帰省

新幹線に乗り込む前に、いなり寿司Get。
Gさんから奪った「熊とワルツを」が意外に面白かったけれど途中からやはり爆睡となった。

最寄り駅に到着。両親と娘が迎えに来てくれていた。
2日ぶりで会う娘よ、中途半端というか大げさな東北弁は聞いて気持ち悪いからやめなされ。
それって宮城弁というより山形もしくは岩手方面だと思うよ、まあ地元の人間以外は区別つかないけどね。
おじいちゃんおばあちゃんの家では、かなーりのびきった生活だったらしく、言動も変だよ、きみきみ。

■■■
実家について夕方、
のびきった精神と身体のために散歩にでも行こうじゃないかということになり娘と二人出かけた。
近くに白鳥の飛来地があるのだ。
「あんたさ、散歩の時まで携帯持ってくるのはどうかと思う。」
「えー、だって、○○子から久々にメールなんだもん。嬉しいのさー。」
「ああ、そう(-_-;)」

川原べりを二人であるいたら、寒いし疲れちゃうし「もうかえろうか」になってしまう母に
「えーやっぱりね、かーさんはすぐそう言うんだから。」と言われた。若干ムキになる母。


目的の広場に着く。
いつも思うんだけど、この川べりの冬、それも夕暮れノスタルジーにはやられちゃうね。
見上げると、薄水色の空は、雲のすき間から差し込む蛍光の橙と押し寄せる桃色と紫色に分断されている。
天井画のように広がる色。自分たちの上空にこんな色々が迫っているのかと思うとなんだか恐いねえ。 
視線を少し下に。
暗くて低い山々と白く光る高い山々までの間には、視界を遮るものが無く
山のふもとには線路があって時折電車が通っている。
それらの風景をモノトーンにして川が映し出している。
時々鴨と白鳥が泳ぎ、風景がゆれる。

文字で書くともどかしいなあ。
なんだかさー、この寒さあってこその風景だよね。

「かーさん、携帯はね、こういうときのためにもあるんだよ。」
といって、娘がぱしゃりと写真を撮る。
見せてもらったら、うーん、確かに目の前に風景に違いないんだけれど、同じじゃないんだよね。
質感がちがう、みたいな。

再び川べりを戻る時、「よし、クロスステップだ!」といって急にクロスステップで娘が走り出す。
(マイムマイムのあのステップですよ)
元気やねえ。


■■■
私の実家は東、Gさんの実家は西と、短い休みには両方行くことが難しい。
でも両親たちは自分の子供に会うのを楽しみにしてるしね、ってことでそれぞれの親のもとにばらばらで帰省したのでした。チャイがいるからね、1日の帰省です。

帰りの新幹線に乗り込む時、娘はおばあちゃんからおやつを買ってもらっていたもよう。
でもさ、「あたりめ」「酢いか」「胡椒サラミ」ってあんた、それって酒のあてじゃあないでしょうか。
中2の乙女の選択じゃないよねえ。



2011年1月2日日曜日

酔っ払い初め

救急車のピーポーピーポーって音の重なりが二つ。
ドップラー効果+救急車までの距離の違いによって、不思議な音程になった。
そしてある瞬間、 なんだかとても懐かしい気持ちを呼び覚ました。

そんな経験ありませんか?
...ってそんなの無いか、ふつう。

ってな感じで元旦の朝起きました。
お正月から救急車での出動のみなさん、ご苦労様です。

■■■
朝からぐるっと時間が経って夜に。
Gさんと、おせちの残りの鳥レバーパテとローストビーフ、東京駅で買ったお稲荷さんを食べながら、ヴーヴクリコを飲んでいたら「でもさあこれって絶対赤ワインよねそうよねっ」てことで地下から一本持ってきてMazerって書いてある瓶を抜栓。
グラスに注いだら、一瞬、軽そうな透明感のあるルビー色で味も軽いのかと思いきや飲んでみたら果実実も複雑感もあり、そうそう、イタリアのワインってこれよね。フランスもいいけど安心するよね、お日様の味って感じ~。イタリアワインの飲みながらBShiのイタリア特集を見る。


ふんわりしあわせ。そして酔っぱらいのからみ酒。

イタリアってさ、人と違う考えとか多様性とかが当たり前っていう風土みたなところあるでしょう。で、日本ってさ、人と同じとか和をもって尊しとするみたいな風土があるでしょ、たぶん。でもそれぞれの風土で育ったら、結局育った風土の考え方に染まるわけで結局はそれぞれの価値観の持ち様とかそのプロセスって同じなんじゃないかなあ。風土とか習慣に育てられるってところがさ。
・・・・
あのさ、うちの娘って小さい頃からじーじとばーばに美味しいもの食べに連れてってもらって、私も面白がったりしてたんだけどさ。そんな風に育って小学校の頃は自己紹介文に好きな食べ物は葉山牛とか書いてたわけ。フォアグラ丼とか食べてフォアグラはもう飽きた美味しいものってちょっと食べるのがいいよねとか言ってたり、京都の川床とか料亭とかにも連れてってもらってた訳ですよ、じーじばーばにね。私は一緒に行ってないけどね。でね。それを人に話すとね、あんまり小さいときから美味しいもん食べてると大人になってから食べるものなくなっちゃうんじゃない?とか言われるんだけれども、そうじゃないと私は思うの。世の中には、いろんな食べ物ってあるでしょう。美味しい不味いって人の感じかただし。世界中にあるいろんな食べ物を生きてる間にどれだけ食べられるかっていうと、ほとんど食べられないよね。だから沢山いろんなもの食べる経験したらいいと思うのよね。
でね、「考え方」だって同じだと思うの。ちいさいときからいろんなかんがえ方とか、たいけんとかしても、しあきることはないとおもうんだよね。どんどんへんかするし、うけ入れるかいれないかもそのときどきでかわるしね。
・・・・

あれ、Gさん、なにピコピコしてるの?
それはね、携帯がピコピコ光ってるからだよ。
あ、Tさんふさいから、ねんがメールだ!

(そして立ち上がって歩いて携帯メールを読む。
酔っ払いはむやみに動いてはいけません。酔いが急に回るからね。)

Tさんってまめ、というかいつもきちんとしているよね。れいせつとかそういうやつ?
でさ、Tさんってやっぱすごいと思うのよね。きちんとやりたいことみつけてどりょくしてる。ちょっとあついとかひとによってはうざいみたいにおもわれるかもしれないけど、やっぱりすごいとおもうんだよ。まずやりたいことをみつけるってぶぶんで、やっぱりそんけいするよ、なかなかみつからないよ...


....こうやって酔っぱらいの夜は更ける....


気がついたら毛布に包まって寝ていましたよ。

目が覚めて
「お風呂入る?」
とGさんに聞かれました。

テーブルを見たら、無い。
「あれ。ワイン飲んじゃったの?」
「うん。美味しかった。途中からどんどん美味しくなって。寝てる間にかぷかぷ飲んじゃったよ。」
「え~お稲荷さん全部食べちゃったの?私ももっと食べたかったのに~。」
「おおう。美味しかったよ。じゃ明日また買ってこよう。東京駅でな~。」

ああ。お稲荷さんって、心の奥深く、本能を揺さぶるちょっとメランコリックな味つけだと思うのですよ。





Mazer Valterrina/Superiore/INFERNO
マゼール ヴァルテッリーナ・スーペリオーレ・インフェルノ 
イタリア・ロンバルディア,キアヴェンナスカ(ネッピオーロ)100%,  生産者  ニーノ・ネグリ

 ヴァルテッリーナは、ロンバルディア州とスイスとの国境近くにある山脈地帯の総称で、山の急斜面にへばりつくように階段状に造られた畑。
キアヴェンナスカは、ネッビオーロ・クローンのひとつの品種で、土壌や気候条件が違うため、バローロやバルバレスコを造るネッビオーロとは別のクローン。



ヴァルテッリーナ・スペリオーレDOCGには5つのソットゾーナ(サブゾーン)があり、ニーノ・ネグリはそれぞれのサブゾーン名を持つワインを造っており、マゼールは「インフェルノ」で造らる。INFERNOとはイタリア語で「地獄」という意味で、Mazerというのは「美しく、美味しく、たっぷり」という意味のこの地方の方言、だそう。


2011年1月1日土曜日

いつもと何かが違って欲しい、それがお正月ってもんだよね。

2011元旦です。
あけましておめでとうございます。

今年のお正月は寝正月にしようねってGさんと誓い合ったのに。
8時になるともう限界。チャイが鳴き出す歌い出すからです。

母がもそもそと起きて鳥かごにかぶせてある布をはずすと
「チャイちゃんおはよう!」と、もちろんチャイが答えます。withつぶらな瞳。
「はいはいはいはい、おはよう。」と母。 (←”はい”は一回ね)

娘もしばらくすると起きだし、
おせちの包みをどっかりテーブルに出し、すでに臨戦態勢となっております。
ちょっとまて。Gさん起こそう。
   「眠い。けど食べる。」(Gさん)

と食卓にそろって9時。平日の何にも無い休日より早いよ、正月なのに。

いただきますの時。

Are you ready?
(箸を持って無言で息を呑む)
Goooooooo!!!

...てなテンションでおせちにパクつく娘。
手を伸ばしやすいようにイスに浅く座り、前傾姿勢、ひじはテーブルの上に支点として置き、すばやく一個ずつ箸でつまんでおります。

「そうやって攻められると落ち着かないよ。正月くらいゆっくり食べたいよ。」と、母。

タカシマさんのところで作ってもらったおせち。めっちゃ美味しくて一瞬で規定量の一人一種類食べつくす。


娘はこの後、母の実家へ向かうのです。
3人で東京駅までお見送り。
途中、道端でジャージ姿で「こち亀」を夢中で読む大人発見。
元旦のよき日になぜ?

電車で3人爆睡。

新幹線の改札口にて、
「きっぷっ切符きっぷ..。あれ?ないなあ。Gさーん、これちょっと持ってて。」
「はいはい。ゆっくりやりな。」
と、ごそごそやっているやりとりを聞いて、母デジャヴ...ヴ?。
  
(注:デジャヴ・既視感: 一般的な既視感は、その体験を「よく知っている」という感覚だけでなく、
「確かに見た覚えがあるが、いつ、どこでのことか思い出せない」というような違和感を伴う場合が多い。wikipediaより)

あいや、この娘の様態はいつどこで見たかか思い出せないんじゃなくて、 
いつもの母じゃないか(-_-;)。
「親子だねえ。」(Gさん)
「う、ほんとだねえ。」(母)

そして実家向けに東京駅で買ったお土産を、
気がついたら娘に手渡さずに母が持ったまま新幹線発車ですよ、のおまけつきですよ。

娘を送った帰り。
街の様子を眺めながら家まで帰ってきたのですが、
お店は開いてるし人は普通に出かけているし車にお正月の飾りとかも無いし、
ましてや門松なんかにもお目にかからない。
お正月っぽくないですね。
元旦くらいさ、お店開いてなくて不便だなあくらいのお正月っぽさがあってもいいよね、
なんて今年も勝手なことを言い初める母です。



■■■
今日の夜は、昨日作ったローストビーフとおせちの残りで。
ヴーヴクリコもつけよう。お正月だし。
Gさん「なんだかんだ理由つけていつも飲んでるよね。」

うははは。

これから夜ごはんです。さすがお正月、おかずはもっとあります。(残りものですが)



チャイよ、今年もよろしく。
去年は「ボギー大佐」「アルプスの少女」「ルパン三世」をマスターしたので今年も新しい曲に挑戦だ!

手前にあるのはチャイお気に入りの鍋つかみ。
カメラを前に威嚇直前のチャイ。
(レンズ恐いらしい。)

2010大晦日

今年も残すところ今日だけとなりました。
お世話になった皆さま、ありがとうございました。2011もよろしくお願いいたします。

年末といえば大掃除ですが、我が家では小掃除をしました。
でも、娘の部屋は掃除機をかけられるくらいのスペースができました!!
掃除機をかけられるってすばらしいですね。
うれしくなって雑巾がけもしてしまった母です。
(娘にやらせれはよかったかも、と若干悔やみましたが、
この清清しい気持ちに逆らうことはできませんでした。)

夕方、頼んでいたおせちを取りにタカシマさんところに3人で出かけました。
良いお年を、と、年末のご挨拶も兼ねて。
「タカシマさん、やっぱり素敵だわ~。」(娘)
「うむ。たしかに。でもさ、そーゆーことは本人に言いなよ。」(母)
「そんなの、はずかしくってできないわ。」(娘)
 だそうです。
 イタリアンから食堂に変わったお店ですが、
やりたい方向性がお店の雰囲気から伝わってきました。
以前より、ほっこりまるい雰囲気になっていました。

途中のそばやで、お持ち帰りの生そばとてんぷらを買って帰りました。

娘が「ローストビーフが食べたい肉は私が調達してくるよ」というので、
夕食ネタ無しだった母としては簡単だしいいねってことで、
大晦日はローストビーフに葉っぱのサラダ大盛り。
中心の肉の色がきれいに赤くなったので火入れは成功です。

ワインは、シャンポールミュジニー(Chambolle-Musigny 2006 Domaine Anne et Herve Sigaut)
このやさしい味が好きです。開けて半分くらいして開いてきました。
葉っぱ系のサラダには、娘セレクトの叙々苑のドレッシング、
ママたちばっかりワインずるいから私にも買ってよ、
といって選んだベリー系ジュースは、「後味に香料が残る~。」と言って
半分も開けずにテーブルの上に残ってるんですが!ちょっと!

時々紅白見ながら。




おや。うたた寝していたら新年になってしまいました。
12時過ぎてから、眠い目でそばをゆでました。
が、あるはずのネギが無い!...からセリでご勘弁を。
さて、Ania家の皆様、今年もよろしくお願いしますよ。頼みますよ、ほんと。