2011年9月29日木曜日

秋到来

夏と秋の変わり目は、きちんとしていると思う。
いきなり空気の匂いが変わる。
焚き火の匂いと言うか乾いたものを燃やすような甘い匂いになる。
湿度のせいかもしれないけど、まあ、私にとってその甘く乾いた匂いがしたら、秋、なのである。

2日前くらいに、お日様の光の中にその匂いをかいだので、秋到来。

ごはんの美味しい季節でもあり、
(←今日も娘との不穏な空気の中、夜ごはんは、娘秋刀魚の蒲焼缶詰、母はお惣菜、)、

読書の秋でもある。
(←3巻続きの本を1巻だけ買って面白くて続きが読みたくて2,3巻を注文しようとしたら、
なんとああ、”通常6~7日以内に発送します”だそうだ。すぐ読みたいのに...orz)。

そして眠りやすい季節だね。
(←今日も帰りの新幹線で爆睡。口元緩んで液溜まりが...。)

2011年9月28日水曜日

雑な日々

明日は午後からの会議のはずだったのに、もういっこ朝から入りました。出張、朝早く出なくちゃ。
なので今日は出張先への報告ネタを作るために、ずっと集中しっぱなしだったので疲れました。
って、これじゃいつも集中して無いみたいじゃないですか。
そんなことないです...、たぶん。

ってことで、今日の夜ごはんは、白菜と豚肉と豆腐としめじを坦々スープで煮込む。作成時間15分。
でも梨もありますから!

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先日、娘んとこの学校の保護者会があって、ちゃんと事前に休暇を入れておいた、
...のに仕事が終わらなくて、朝、ぎりぎりまで格闘して、そして走りました。
あ、口紅塗ってくるの忘れた。鞄に入ってもないし。(いつも塗らないから)
途中のお店で買いました。1000円也。
大人の女性ですからね、身だしなみ身だしなみ...。
電車に乗り座って本を読み始めたら寝てしまって、
駅の名前の放送であわてて起きて鞄を横抱きにしながら電車降りました。
でもまあ、ちゃんと出席できてよかった。

2011年9月27日火曜日

レッスンメモ10

今日もいろいろあったけど、レッスンメモ。

・シマンドル 30エチュードNo.5
付点4分音符の収め方がミソなんだけれど...。
付点4分音符で弓を使いすぎると、返しの弓のスピードが速くなってしまって
音が痩せてしまうので気をつける。

・バッハ アリオーソ
今日のメイン。ゆっくりな曲だけに、どの弦を使おうかとか弓の返しとか
考えなければならない箇所も多い。弓を丁寧に使いたい。

上の2曲とも、弓を返す直前のスピードが速くなる。
すると音楽が安定しないので、そこんところを気をつけるように。

・オブリビオン
弓の返し方を中心に見てもらう。


次回の宿題(あ、今日のと同じだ)
・シマンドル 30エチュードNo.5
・シマンドル P31~35
・バッハ アリオーソ
・オブリビオン

先生にコントラバスのデュエット曲をやりたいと言ったら、楽譜を貸していただいた。
でも楽譜のサイズってA4よりちょっと大きくてコピーしにくいんだよなあ。

そんなこんなで、1時間のレッスンが20分延長。ありがとうございます。

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帰ってからも、弓の返しが気になっちゃって、また弾いてみたりして...。(娘そっちのけ)
ああほんとだ、気をつけると、音符の収まりがいい感じです。

2011年9月26日月曜日

馬たちよ、それでも光は無垢で

朝、会社へ向かい、歩いていたら「相馬運輸」と書かれたトラックとすれ違う。相馬という文字を追う。

相馬市は、相馬中村藩から廃藩置県の後、相馬市となった。
”馬”の名前があるとおり、馬の歴史を持つ。
それを、この本で知った。小さい頃からなじみの深いところだったのに、知らなかった。


福島県、中通に生まれた作者は、あの震災のあと、浜通りを目指す。
そして書く。



馬たちよ、それでも光は無垢で





 





読んでいる間、まるで、様々なパーツをつなぎ合わせたような、
物語と現実が錯綜するような時間だった。
書いていないと止まってしまうかのように、作者は次々と言葉を繰り出す。
読んでいる私自身も、時間を失う。

瓦礫のパーツは、瓦礫の山、ではなく、百も千ものパーツの集まりである。
ひとつとして同じ音楽ではないのだ。
ひとつとして同じ歴史はないのだ。


昔、相馬藩の南には、お城があった。今あるのは原子力発電所だ。
昔、相馬では馬の物語があり、馬は人とともにいた。今は誰もいない。
今、人はいなくなり馬は飢えて痩せて解き放たれた。
そして緑色の雑草に覆われた土手で、静かにそれを食みはじめる。

雑草たちを光が育てている。降る、陽光が。


誰も無いところに降る、静かな陽の光が、こんなに悲しいものだとは知らなかった。
悲しい、とは人間の自分勝手な感情に過ぎないと分っていても、だ。
読んでいると自分も混乱してしまうが、読み終わると、いつまでも馬と陽の光が離れない。

■■■
古川日出男の本は、「ベルカ、吠えないのか」を読んでいる。
この「馬たちよ、それでも光は無垢で」は、週間ブックレビューで翻訳家でもある金原瑞人氏が紹介していた。速攻でPC立ち上げAmazonで購入。その日のうちに届いてその日のうちに読む。

2011年9月25日日曜日

風が軽くなった

昨日の、朝注文した本が同日夜の7時くらいには届く。恐るべし、Amazon。
こんなんだから街の本屋さんがどんどんつぶれていってしまう。
Amazonは便利だけど、本屋さんが少なくなっていくのは寂しいのだ。自分勝手なのだ。

休日は、3食ごはん作りの隙間に、掃除、コントラバスの練習、読書を挟み込む。
娘はテスト勉強。
「よかったー、明日英語だと思ってたら違ったよ、ほんとよかった。」
っておい、明日のテスト科目を今日確認してどうするよ...。


■■■
夕方、工務店さんに水漏れた部分を見てもらう。
先日の台風時、床下と壁の立ち上がりの境目の部分に
下から吹き上げた(通常下から吹き上げることは無い)水圧が想定外に大きかったらしく、
毛細管で吸い上げられるように外から内へ水がしみこんでいったよう。
パッキンで塞いでおく処置をしてもらうこととなった。

家の中を一通りみてもらう。
「床の色がいい感じに焼けてきましたね。」
「はやく黒光りしないかなと思っているんですけどね。」

日曜の夕方は、Gさんの早朝出立の準備でなかなか忙しく、ゆっくり話もできなかったけど、
そのうちまた会合でも開きたいものです。

「テスト終わったら、家に誰か呼んでよー。ケーキ焼きたい!」
「はいはいはいはい。まずはテストがんばれ。」

2011年9月24日土曜日

水のように

「この曲調、聞くとはかどるのよねえ」と言って、
テスト期間突入かという娘が聞きながらノートを広げている。
勉強がはかどる曲調、という意味らしい。
サカナクションのアルバムで単調なリズムと草系というか水系な歌声。

「ああ、水族館で聞きたい感じかも。会社行く時には聞きたくない感じだね。」

この歌い方...、歌っている人の顔ってもしかして髪は黒くて真っ直ぐ前髪が眼の上でぱっつん、なのでは?
うーんそうかも。
...なんてやり取りをしていたら、娘が踊りだす。
なんか踊りたくなるでしょう、この曲。
そうかあ?
なんて母も手を動かしてみたりする。
ああ、これは盆踊り、いや阿波踊り?

どこまでもおばかな日曜の二人、です。

■■■
夜ごはんのあとに、クッションにまたがってごろごろしていたら、
隣にいた娘から差し出された閉じ気味の手のひらが私の顔の前で開かれる。
うわっこれはっ(←やったことある人は分るはず。いやこのブログを読む人は分らないか、きっと)
息をぐっと止める。
「うはははは、どう?」
「いやどうって。うう、なんでこんな娘に。あんた女の子なのに~。もっとおしとやかに育ってほしかったよ。」
「えーそれをアナタがいうか?
たとえばさ、ずっと前さ、友達が来ているときに近所のバーベキューで酔っ払って寝ていた姿、あれを友達に見られたわけだけど。かーさん、アナタそれを、ま、しょうがないか、とか思っているでしょう?落ち込むとか打ちひしがれるとかしてないよね。ふつう、恥ずかしくて落ち込むものじゃないか?そんな人に育てられたらこうなるでしょ。」

あたたたた。不意打ちだ。そんな前の事例を持ち出すとは。忘れていたのに。
たしかに、落ち込んでも仕方ないもんね。仕方ないです。
しかし、今ここでその事例を持ち出すのはちょっとずれていないか。
何がどうずれているのか、その場では明確に言えないままであったが。
母が人から見たら恥ずかしいと思えることを瑣末なこととして扱って気にしない、ように見えてそれが印象に残ったのかもしれない。(でも、今だって修正できるなら修正したいことのひとつなんですけどね。)

娘は、恥ずかしがる、ということ自体を恥じるようだ(最近特に)。逆に、自分で面白いと思ったことでやれる範囲のことはやってみる、ようだ。人からどう思われるかではなく自分がどう考えるかに重きを置くことは、かっこいいと思っているようでもある。
まあその気持ちの持ちようとか処理の仕方は、私にもとてもよく理解できるので、娘の言うとおりなのだな。

この母にしてキミあり、ということで。

2011年9月23日金曜日

あこがれのヴェネチアン・グラス

六本木に行ってきました。
えっ?六本木?なんで?って言われそうな毎日を送ってるにもかかわらず、です。

サントリー美術館の「あこがれのヴェネチアン・グラス」を見に、です。
もちろん一人で、です。
(家族のみなさんからは、私が出かける、と行っても、どこに?何を見に?という質問は無く...)
混んだ美術館はイヤなので、10時くらいにつくように行ったら、
程よい混雑でゆっくり見ることでしました。
おば様方が多かったかな。



近くで見たら、その繊細なレースの模様に「すげー」といってしまう。レース棒をつないで作るのだそうだ。

それからダイヤモンド・ポイント彫り、がすごい。どうすごいのか...HPには写真が載っていないから、これって言えないのが残念...。

作っているところを見たいものだ。












さくっと見てさくっと帰ってきました。

展示は5部に分かれていましたが、できればもっともっともうお腹一杯ってくらい見たかったなあ。
(北斎展はそうだった。全部みたら疲れ果てたけど画風の流れが良く分った。)

I. ヴェネチアン興隆:技術の応酬
II. 流出したヴェネチアン:「ヴェネチア様式」の誕生 
III. ヴェネチアンと和ガラス
IV. ヴェネチアン再興:19 世紀イタリア
V. 今に息づくヴェネチアン:現代アートへの影響


そういえば、ウチにもあるんです、ヴェネツイア ・グラス。
もう15年以上前、ヴェネツイアのムラーノ島で買ったもの。



赤いシンプルなゴブレット。
でもまだ一度も使ったことが無い。
飾っておく棚もないのでいつも戸棚の奥にしまってある。



(障子の前に置いたのは、午後光がはいってくるのはここだけだから。)











2011年9月22日木曜日

台風のあと2

そういえば、昨日の台風で、家の中に水たまりが...。
地下コンクリートと壁のつなぎ目の一部からです。
3月の地震の時の影響もあるのかどうなのか。
速攻で工務店さんに電話です。


今日の午前中は静岡出張でした。
出張先では、木の枝が折れて散らばってましたが、
トタン屋根が飛んでなくなっていたり、木の上に鉄板がぶら下がっていたり、
台風通過の数時間は建物から出るの禁止、だったそうです。


ヴァギナ 女性器の文化史

原題は「The Story of V: Opening Pandora's Box (Vの物語 パンドラの箱を開く)」。なのに、何故「ヴァギナ 女性器の文化史」になっちゃうんだろう。なかなか外では読みにくいのである。
500ページ弱の本、他の本も平行読みしながらやっと読了。

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私はヒトのことについて書かれた本が好きで結構読む。
ヒトの進化、ヒトのエネルギー製造プロセス、ヒトの認知プロセス、ヒトの心、ヒトの歴史、ヒトから見た世界の確認のしかた、みたいな。生殖器や生殖のプロセスは、ちょうど心とメカニカルなシステムが交差するあたりで、とても面白いのだ。

本書では、女性器について、その歴史的な扱われ方、言われ方、動物・昆虫の生殖システム、女性器の形状、分泌物、匂いなどなど、さまざまな角度からのアプローチがある。読み終わる頃には、その器官としての精巧さを再認識する。
私が特に面白いと思ったのは、動物や昆虫ではメスの生殖システムが、どのオスを選ぶかだけでなく蓄えておいたどの精子を使うかまで選択しているという点だ。女性側の生殖システムが選択権を持つのだ。
男性は少なくても女性が大勢いれば種としてつながっていけるのか、と思っていたのだが、種の多様性を維持するためには、多くの男性が必要なのだ。女性が選び、またなるべく多くの、そしてなるべく自分のMHCと遠い男性の子孫を残したがる傾向にあるというらしい。へ~~。
(MHC;主要組織適合遺伝子複合体。免疫反応に必要な多くのタンパクの遺伝子情報を含む大きな遺伝子領域)

全体的に、”すばらしい女性の”という形容が充満していて、その部分だけはちょっと飽きちゃう。




ヴァギナ 女性器の文化史

2011年9月21日水曜日

台風のあと

台風です。大型です。


会社にて。午前中はそんなでもなかったので、離れている別棟でひとり作業をし、
また戻ってこようとお昼を食べたら...横なぶり土砂降りの雨です。
傘は役にたたなさそうなので、つっきって遠い建屋に向かうか迷い、たたずみ、そしてすごすご戻りました。
資料や上着やらおきっぱ、です。

そのまま雨風は強くなり、停電となり、終業時間を迎えました。

この前の地震の教訓をまったく生かせず、データと計算がぶっとびましたorz。

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風が弱まって、車で帰るというAさんに途中まで乗っけていってもらおうと、わらわら集まった3人は、
生粋のエンジニアBさん(50歳越え)、いまどきの若者風味Cくん(30歳くらい)、私。

BさんとCくんがいそいそと着込んでいるのは、家から持参したりっぱな合羽です。
上下に分かれていて、わしゃわしゃと音がするジャージみたい。

「もう雨ほとんど降ってないですよ。風強いけど。」
「でも、せっかく持ってきたから。」 (←わくわくな感じ。)
「そうですよね、上も下も着ちゃおう。」 (←うれしそう。)
「ですよねですよね。」 (←すごくうれしそう。)
「あ、とっても暑い。もしかしたらダイエットになるかも!」 (←嬉々。)
「ですよねですよね。」 (←すごくうれしそう。)
「できれば、こうやってフードもかぶりたいんだよ。」 (←ものすごくうれしそう。)
「うわー登山するみたいですねえ。」(←そこらじゅうフードをかぶって歩いている)

むりくり 理由をつけて「合羽は着なきゃね」とキャーキャー言っている姿は年齢関わらず男の子のそれです。(無邪気やねえ)

私といえば、あらかじめ決めてあった今日の献立に足りない1品を買うために途中で降ろしてもらうかどうかを車の中で迷い続け、雨の様子や停電の状況を見つつ2回も前言撤回したあげく、「やっぱり買って帰ります」と言って途中で車から降ろしてもらいました。
「決めてあった献立を完遂すべく、こんな暴風台風にもかかわらずスーパーへ寄るという、気合というか、無謀さというか、それが無意味な達成感であることはもちろん折込済みで分っているんでしょうねえ。」と、車に乗っていた男性陣からコメントいただきました。

2011年9月20日火曜日

高校時代が楽しかったなあと目を細める

明日は名古屋、その次は静岡に出張の予定...
だったのですが明日は中止。ちょっとほっとしました。

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時々、出張に一緒に行くTさんは、その性格というか持ち味のバランスがとてもいい。
会話の切り替えしのセンスやボケ味、鈍感ぐあいもちょうどいい、頼りがいのある(本人称して)おじさん。

新幹線の中で、高校時代(公立)がとても楽しかった、と話していた。

私は高校受験の際の内申点をとるめんどくささや、内申が取れないと、または美術も保健もまんべんなく点数を取らないと、希望する高校の受験もできないと、風のうわさで聞いていたので(ってゆーか、この風やネットのうわさで娘の中学受験を決めたのだが。)、そのうわさの本当のところはどーなんすか?と聞いてみた。

ああ、そうなんですよ、ボクの受けた高校は通信簿に3とかあったら本当は受けられない高校だったんですけど、ボク3あったんですよ。でもどうしても行きたかったんですよね。だから本当に滑ったら止めてくれる学校に滑り止めのランクを下げてその高校受けたんですよ。先生にはこの成績じゃやばいぞお前、って言われてましたねえ。でも受かったときは嬉しかったなあ。もう友達と抱き合いましたよ!!で。高校時代は共学で男女とっても仲良くて部活も楽しかったなあ。共学いいっすよ、友達で男子校出身のヤツもいるけど大学入った途端はじけちゃったヤツもいたりしてね(とはじけ具合を話してくれた)... あの頃が一番よかったなああ、...って目を細める、おじさんTさん、新幹線で足を組む。

(テストの点数だけで決まらない受験ってどう?って聞いてみたら、)

確かにね、内申とかとるの面倒っちゃあ面倒だけど、それはまわりみんな同じで、自分でナントカするもんすよ。Aniaさん過保護すぎじゃないですか?

むーん、確かに過保護というよりは、心配性...というより自分のコントロールできないものに振り回されるのいやなんだよね(←自己中だから)。だからTさんの話を聞いても、15歳になったあの面倒な娘と格闘するのよりは12歳の素直だった娘と濃い受験時代を過ごせてよかったな、早く済ませられてよかったな、と思うのでした。

あとは6年のんびりしたい、と思ってたんですけどね、いろいろありますな。

2011年9月19日月曜日

フォーン・ブース / ぼくを葬る

今日は朝に掃除を終わらせて、
「昼は正しいお昼ごはんだろ文句無いだろ」
と言いながら茄子のトマトソースのパスタを作り、そそくさと片付ける。

昼からからDVDを2本見ました。


先日BSで宣伝していて、「ああ、これは中身解説しちゃだめだって!」とGさんがチャンネルを変えた。「持ってるから今度見ようか。」という話になり。

この映画、常にラストシーンの緊張で満たされている。
終わると、「ああ、疲れた~。」
中身を語るとそれだけでネタバレ。もう、非常に面白いです。
「この刑事、鶴瓶やがな~」「あ、似てるわー」





中古で買っちゃいました。
Gさんは途中からうとうとしていたけど、私は途中から体育座りでみました。
人が生きる、ということに寄り添う物語、そして静かな静かなラストです。
私も死ぬまでちゃんと生きたい。
初めの音楽からフランス映画で、学生時代を思い出して懐かしいです。
でも大人の見る映画ですね。


■■■
”ひよこまめ”が食べたくなって、昼から吸水していたものをスープで煮て、さらにベーコンと炒めた。
それとビネガーとオリーブで焼いたジャガイモ・玉葱とをあわせてサラダにする。
なんかいいでしょ、ガルバンゾーって響きがね。
お約束の「がんばるぞう!おー。」



2011年9月18日日曜日

美味しいごはんは人を幸せにする。

「今日は、夜ごはんまで食べないから。」少な目の朝ごはんの後の決意の女性軍。

夕方、誕生日で予約していたイイダさんの店に行く。
お料理の名前、忘れました。ワインメモも、もういいや。

どんだけ飲み食いしてるんだよっ、てくらい食べました。




「ねえ、このローズマリーじゃない花のほう、
フェンネルかな?」
「うーん、匂いあんまりしないよ。」
「ええ?するよ、匂い。」
「なーに鼻の中に草をつっこんどんのや、二人して。」
「あはははは。」




バナナピーマンが甘くて美味しい。










トリッパという言葉を見ると、自動的に
「あと、トリッパお願いします。」
と、口にします。








テーブルワインだけど、やわらかくてすごく美味しい


トマト・バジル・アーモンドを砕いてソースにしたパスタ








 お魚(なんだっけ?)のリゾット




 豚肩ロースのワイン煮



バルベーラの濃いの大好き。

ここでメイン終わりでチーズに行くハズだったんですけど、
「え~まだ入るでしょ!」(娘とGさん)

ってことで追加オーダー。


 ダメおしの自家製ソーセージ。

もういいよね、チーズで。
「あ、蜂蜜かジャムつけてください。」
「今日は栗の花の蜂蜜です。」



「バルベーラよりもぴりっとしているので、
チーズにはこちらのほうが合うと思います。」
「あ、ほんとだ~。」
お誕生日ケーキ。











「ほんとう、美味しいごはんって幸せよね、私は食べるものに関してはオタクになりたいのよねえ。」と、娘。
「食は生きることだからねえ。ほんと美味しいごはんは人を幸せにするよね。震災の時にも料理人の炊き出しとかでさ、あれってきっと人を幸せにするよね。美味しいごはんがつくれるっていいよね。あ、でもそういえばさ、対照的に芸術っていうのはさ...。今日、週間ブックレビューを見てたら、よく本の装丁なんかで見る彫刻の舟越桂さんのインタビューだったんだけど。その中で”震災の時の映像を見ながら、彫刻や芸術ってこの瞬間何の役にも立たないんだ、と鬱になっしまった”って言ってたよ。んーでもさ、たとえばイラストレーターの黒田 征太郎さんは東北の仮設住宅に絵を書いて、殺風景な住宅に温かみを与えているってことで、なにかの力になっていると思うしなー。」と母、まだ酔っていない時。
「それはねデザインっていうのは人に向かうものだからなんだって。人に働きかけるものでしょ。たとえば商業デザインとかね。でも芸術って自分の内側のものの表現であって、それが分る人には受け入れられるってものだからじゃないかなあ。」と、娘。

このあたりまでが普通の会話であとは食べること飲む事に集中しました、私たち。

2011年9月17日土曜日

再び素数へ

金曜の夜は娘の習い事もあり、で待ち合わせて帰るまでの間、会合に参加。
ほろ酔い気分で帰宅です。
郵便受けの確認も明日でいっかー。

Gさん帰宅後、「あーあ、不在連絡票になったやん。」
と言った言葉で、あ、と気がつきました。

申し訳なし。

で、今朝届きました。今年は青いブリザードフラワー。
ありがとうございまーす。




”この一年も優しさと愛情に満ち溢れたすばらしい年でありますように!”のメッセージが。


「ねえねえ、これさ、Gさんが考えたの?」(←Gさん文章書くの、めっさ苦手)
「もちろんや。文例集を見ながらちょこちょこっと。ああ...、こんな文章だったな。」
「ほほう。」含み合いの手。
「もうさ、バラの花年齢の数の分とかは難しいやん、経済的に。」と余計な一言付。

ちなみに、私がプレゼントに所望したのは、スコアメーカーFX5 StdGさん作業付、です。
楽器の練習って伴奏があるとぐぐっと楽しくなるのですが、
コントラバスの練習曲は数が少ない上に今もっている練習曲集はピアノ伴奏CDはついていない。
でも自分じゃピアノは弾けないから、楽譜を読み込んで音にしてくれるソフトが欲しかったのです。
iPhonアプリ にはあるみたいですけど。


なおちなみに娘からのプレゼントは、もう見つかって前日に食べちゃった無花果ケーキ


「41は素数、42は約数いっぱいだったけど、43でまた素数で、なんとなく落ちつくわー」、と言ったら
「わかるわー。」と同い年の友達に言われました。

ですよね~。

昨日は43の誕生日。
お母さん、生んでくれてありがとう。

2011年9月15日木曜日

こんな遅くまで残暑ですか

家に帰ってきたら、「ちょっと、こっちこないで!」と言うので、
そんなこと言われたら寄っていくじゃないか。

娘がケーキを焼いた道具を洗ってた。
隠すもなにも、さっきからオーブンに火が入っていて甘い匂いがしてて、まるわかりやん。

で、次の日の朝、食す。
「夜は太るから、朝!」なのである。



無花果のコンポートの入った米粉入りパウンドケーキ。もちもち感がある。
上にはワインシロップがしゃりっと甘い。

うまいっす!











夜の月を見て、
月の表面を写真に取れるかな、と思って露出をいろいろ変えて撮ってみたら、
意外にに見えますな。デジタルコンパクトでも。



 月も微笑む、明日は金曜だ!





2011年9月14日水曜日

レッスンメモ9

今日は先生の都合でオケの練習室にてレッスン。
広~い防音室です。

(レッスンメモ)
・シマンドル 30エチュードNo.7
「すいません、これあんまり好きじゃなくて。練習してても楽しくない割りに難しくて。」と私。
「確かに、そうですね。」と先生。
というわけで、さらっと流しておしまい。
最低音あたりの16分音符は、無理やり弾かずに、ゆっくり、弦をひきつけて弾くように。

・シマンドル P30~32
指の移動、特に下がって来るときに間が開くので、すばやく移動すること。
「P31の6番、6/8のこの曲、好きなんです。」と言って弾いてみた。
「なかなかいいですが、もっと曲想を大げさにつけてせっかくなのでもう一回!」

・バッハ アリオーソ
この音の並び、好きな曲だ。
練習したけど音程と指の置き場所が定まらない。
運指を確認してもらう。
「この音は、これ以外ありえない。」と時々先生は言うが、気になっていたので
「その、ありえない、という理由というか根拠は何なんでしょう?」と聞いてみた。

まずフレース最後の伸ばす音、これはビブラートをかけたいから開放弦(G)はありえない。また、開放弦では音が明るすぎるしD線の音のほうが柔らかいので。とするとD線で押さえることになります。フレーズ的なまとまりを考えると、いくつか前の音からD線に移動しておきます...。
そうやって決めていくらしい。なるほど。

でもD線の第Ⅴポジション以降は厳しいですわ、指が。

・オブリビオン
ついでに見てもらう。運指も確認。
え~~!いや、分りますが、それ、難しいですって。...あ、はい練習しときます、
となりました。

(来週の宿題)今回も盛りだくさん
・シマンドル 30エチュードNo.5
・シマンドル P31~35
・バッハ アリオーソ
・オブリビオン


■■■
やはり帰りにはお惣菜を買う。一緒にネクタリンも買う。
家についたら、期待していたゆでブロッコリーが食べられており、がっかり。
二人で争うように、お惣菜とネクタリンをがつがつ食べた。

食事時、BS「世界ふれあい街歩き」を娘と見る。
ドイツの学生(恋人無し)が「まだ本当の愛を見つけてないんだ。」と言っていたのを聞いて、
「True Loveですか。ああ、ほんとの愛ってなんやろね。」と二人で。

「でもさ、私が思うにさ、愛っていうのは、進化の結果の感情というか思考回路だと思うのよね。
(←すでにこの時点で娘は母の方を見てない。母の”語り”初めの気配をぴぴぴっと察知、防御体勢。)
子孫繁栄のためには必要な進化した感情でさ、
”愛”ゆえにつがって、”愛”ゆえに子供を生んで、愛によって子供を育てる、みたいな?...」
「あーはいはいはい、もういいからいいから。わたしゃわからん。」

「あ、はい...。」(相手してもらえなくてしょんぼり。)

さて風呂入って寝るか。
あ、お弁当箱出しなさいよ!!


何か最近、ぐぐっとお疲れぎみな感じなので今週末の休みはゆっくり酒でも飲もう。

2011年9月13日火曜日

加齢性...

見えないはずの右目から、ゆがんだような画像が見えるような気がして、
やばくないか?やばかったらやばい、と思い、仕事は切り上げて眼科に行く。
こういうのは、早期発見が一番。
網膜剥離だって定期的に検査してたら奇跡的な小ささの時に発見できたのだ。

ヘンなのは右目だけど両目を検査してもらう。 
眼底検査である。薬をつけて瞳孔が開いてまぶしいアレである。
眼底の写真をとる。光をぱっとあてて撮るまぶしいアレである。
右目は普段見ようとしていないので、
無理に何かを見ようとすると空気にさらされて異常に涙が出てくるのだ。
それでなかなかよい写真が取れなかった(らしい)。3回も撮った。
左目は一発O.K.。

「念のため、網膜剥離がないか確認のためレンズあてて見てみましょう。」と言われた。
え~~そんな念のためだなんて、ホントは破れちゃってるのを確認するためなのでは?
せ、先生、ホントのこと言ってください...ってな心境ですよ。疑心暗鬼でどきどき。
さらに痛み止めの目薬つけて、目にレンズ装着、光を当てられ眼底をめっさ見られた。
(なんかはずかしい。汚い目ですみません。)

先生、見終わって、
「左目の飛蚊症はありますが、両目とも網膜の破れも黄斑変性もないようですよ。」

はあ、よかったです。やはりお疲れ様だったのか...。
レーザー当ててるし、半年に一回くらいは検査したほうがいいかも知れませんね、ということだ。
本日、2600円なり。3割負担だとして..保険ないと結構高いっすね。
ちなみに見えない右目は視力が微妙に上がっていた(0.03→0.05わはは)

これからは歯と目の定期健診、だなあ。

■■■
娘と待ち合わせて家に帰る。
「今日は生協から舟和の餡子玉がとどいてるはず!」
と言ったら、娘、顔がにんまりして、
「今日はそれを楽しみにして家に帰ろう。毎日何かを楽しみにきめとかないとさ。
毎日つまんないんだよ。特にテスト2週間前とか。
勉強し出すにはまだ早いし、何か好きなことやるには時間がないしでさ~。」

おいおい、勉強しろよ。


コントラバスの練習をするときに、ライトがやたらまぶしい。
考えてみたら、まだ瞳孔開いてるもんな。


2011年9月12日月曜日

陽と月と秋

だいぶ日も短くなりました。
Gさんが出る時と日の出の時間は同じくらいです。
もくもく雲の後ろから射す陽がちと不気味な感じ。

今日は一年でお月さまがもっとも綺麗な日、らしい。
夜、外に出てみたら雲ひとつ無い空に月がかかっていて全然面白くない絵だった。
やっぱり、雲とか雲とか..比べる影あっての月の光よね、と思う。
どっちかっていうと、三日月派です。

目の具合が可笑しい...あ、いやおかしい。
お疲れ様なのか。
飛蚊症→網膜剥離(偶然にも早期に見つかりレーザ照射済み)とやっているからなあ。
もともと目は片方だけなので大事にしたいところです。様子見。




2011年9月11日日曜日

とり肉のスープ

とりもも肉が冷凍庫にあるのを娘が目ざとく見つけて、
「これこれこれ、これ食べたい」
とスープレシピ本を持ってきた。
とりもも肉のスープである。
バターたまねぎ小麦粉をいためて、
焼き色をつけたとりもも肉をワインと牛乳とで煮て生クリームを入れる
聞くからにカロリー高そうなスープである。

「ってゆーことで、夜ごはんはこれでいいでしょうか?」
「ううーん、ええんちゃう?」ちろっとチャイを見て、答えるGさん。

うーんチャイ許せよ、ということで作ってみた。
ワインは料理にも使って、ごはんのとき一緒に飲んじゃえと、家にあったやつを適当にあけた。

■■■
「小麦粉がだまだまになってるけどね。」
と辛口コメントはあったものの、スープは美味しかった。
実は小麦粉から作るのは初めてだったのだが、市販のシチューのルーより美味しいねえ。
余分な味がない、普通の美味しさだ。

「そうだよ!だから私が作るときはさ、ホワイトソースも小麦粉とバターから作るんだよ。」
娘が力説していた。

手間だし、キッチンが粉っぽくなるけど、時間のあるときはこうやって作りたいですな。


あけた白ワイン、おいしかった。
料理に使うのはもったいなかったかも。

Sportoletti Villa Fidelia Bianco 2008 IGT
スポルトレッティ
ヴィラ・フィデリア・ビアンコ 2007 IGT
イタリア・ウンブリア州
グレケット 60%、シャルドネ 40%

ウンブリア州ペルージャ郊外からアッシジにかけての丘陵地に20haの畑を所有する家族経営のワイナリー。ネットで2000円ちょっと...だったんだと、今分った。


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休日に3食ごはんを作って掃除をすると、それだけで一日終わってしまう。ぶーぶー。

2011年9月10日土曜日

今晩も、お惣菜買って帰ろう。


「地面が見えてるんだよ、かーさん!」と娘が言った。
 3日間、家を留守にしたら庭の雑草がすっきりと無くなっていた。
片隅の申し訳なさそうなハーブだけは残しておいてくれたのが心憎いねえ。
ありがとう、お父さんお母さん。
(↑軍手と草むしり用具をを目立つところに置いてきた、ひどい娘...って私のことだ。)

泊まり出張、疲れました。日中の仕事もあるけど特に夜の懇親会が。

私の日常は仕事をささっと終わらせて、
まったり娘と二人夜ごはんをついばんで、
コントラバスを練習して夜11時台には寝るという毎日なので、
夜遅くまでにぎやかにお喋りするのはねえ、次の日に響くのだ。

でも、お店のママさんに仕事のどんなところが楽しいのかを伺ったり話術の巧みさに感心したり、
またほかのお店では壁一面レコードジャケットに壁一面の本という空間が面白かったり、と、
行った事のないカテゴリのお店に行くのは新鮮。(だから疲れたんですねえ。子供の知恵熱か?)

そういえば一緒に仕事をしている部署の上司の方に「Aniaさんってなんだかオタクの匂いがする」って言われて、そんなことはこれまで言われたことなかったから、うひうひうれしかった。


2011年9月6日火曜日

荷造りめんどう

明日から週末まで出張なので、
実家の母に「出てこない?」と言ったら両親そろって来ることになった。
留守番である。
それも、私の留守中に来て帰るから、私とは会わない。
彼らは孫に会って、チャイに会って、やっぱり自分ちが落ち着くよね、と自分ちに帰るのである。
ヒトんちに泊まるのは、これまでの実績から2日が限界らしい。

「暇だったらさ、庭に草がぼうぼうだからさ...軍手出しとくわ。」

と、電話でお願い(?)した。
というわけで、その間ブログもお休み。

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子宮頸がんのワクチン接種、2回目。もちろん私じゃなくて娘ですが。
ちょっと話題となった副作用などを調べてから受けるかどうか決めようと思っていたけど、その調べる気力が消滅している間に市から補助期限が迫りもう摂取しなくては、ということになった。
病院から情報では、HPV16,18型ウィルスの感染予防はほぼ100%だけど、がんから16,18型が見つかるのは60%と書いてあり、数字的には微妙なところだ。(予防期間や長期的な副作用については未知とのこと。)
今のところインフルエンザワクチンのように腕が重い...のが副作用らしい。

その帰り道。
なんの拍子か大学入学の時期について、なぜ日本は4月入学なのか、という話になり、
娘「でもさ4月入学だとしたら、東大を滑り止めにしてハーバードとか受けられるわけでしょ?いいよね。」
母「・・・・」
娘「ん?なに、そのあいた口は。私はね、日本の情勢について話をしているのであって、私個人の話をしているわけではないのです。言葉がない、あいた口がふさがらない的な顔はなにさ。ああ、私は東大とか受ける気ないし。」

いやー、あのさあ、受けるってさあ...。

「あのさ、なぜ皆が東大を目指すと思う?」
「うーん、学費が安い!」
「そうねえ。第一線の先生がそろっていて設備もそろっていて税金の投入も多くて、お得!」
「ふーむ、なるほど。」
「そして、ステイタス!...まあ、あそこって、へん..あいやユニークな人が多いから(←経験にもとづいたイメージです)、自分の価値観が変わったりと飽きないところ(←あくまでもイメージです)が魅力的なんじゃじゃないですか。」
「そうかあ?」

ああ、ここで東大という固有名詞をブログに載せている時点で、もう自分ちのことじゃないんですけどね。まるっと他人さま事。我が家では、大学は出といたほうがいいからと説得になんとか成功したばかり、というステージです。

そして理系ってきもちわるい、って言われる母ですから...(しくしく)。


2011年9月5日月曜日

本をたくさん読むことは大事だと思う。

何か面白い本はないかなあ、と思う時、本を物色させてもらうブログが4つか5つかあって、有名な404 Blog Not Foundもそのうちのひとつ。(一時、期雑誌の書評が多くなっていた頃はあまり読まなかったけど)

内田樹の研究室(これもわりと読ませていただいている)の「学ぶ力」についての記事を興味深く読んだ。
内田先生が中学生に向けて書いた2011.09.02の記事、私が中学の時に読んでたら、むむっと思ったかもしれない。(もしくは全然引っかからなかったか。 ) この意見の対比というかズレみたいなものが面白い。そもそも学ぶという行為自体が個人的なもので自分でしか認知できないと思うのだけど。

私は中学時代に、”学ぶということは自分自身で新しい視点を掴み取ることだ”と、読書感想文に書いたことがあったのだ(たしか曽野綾子の何かを読んで)。だから、個人的には小飼さん側の意見。

学ぶの定義ってって、内田先生が言う 
「昨日の自分」と比べたときの「力」の変化についての情報なのです。
はよく分かる。学ぶって新しい視点を得ることだと思うし自分の中の世界を再構築する力だと思うし。
けれども何を知識として蓄えて、どこからそれを得て、...を決めるのは自分だ、と世界の中心は自分だった中学生の頃に思ったわけである。 今でもそういう考えは変わってないから、成長してないんだろうな。

もちろん、私にとってはデータベースである師(人でも本でも)からより多くの情報を引き出そうとはするけど、内田先生が言うようにまっすぐな気持ちではないし(ってゆーかまっすぐな気持ちってどんな気持ち?)、自分の視点や視野が変わっていくのを感じるのが単純に面白かったに過ぎない。あ、そういう意味では好奇心的にまっすぐなのか...。



2011年9月4日日曜日

この前草むしりをしたと思ったら、その時より背丈高く雑草が育っている。
雑草の勢力分布も変わったようで、うちの庭は単子葉類の天下である。
まるで稲穂のようなこの状態、見てみぬふりもできないくらいなので午後に草むしり。汗びっしょり。
虫の苦手な方は、この作業は無理世ねえと思いつつ、ぶちぶちと抜く。

いいかげん、造園やさんに頼もうと思う...そのうち。
(まずはイメージ固め、から。そうだ調べるところからだ!わくわく。)


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午前中に、知り合いのお母さんよりお電話いただく。
中学受験の面接へ臨む服装について、である。(女子校の受験には面接が多いのです。)

そう、別にブレザーじゃなくてもいいのだ。
デニムにトレーナーだって問題ないはずで、清潔で中学生らしい服装であればいいのだ。
これは正論である(と思う)。
でも、中学受験の渦中にいる親は必死である。私だってそうだったもの。
親の落ち度で失敗するなんてことを想像すると胃がきりきり痛い。
親がする準備やスケジュール調整、健康管理はきっちりと完璧に、が
ベースにあってこその子供の学力だろう、ってそう考えてしまうんです。
「○○か△△のブランドの服じゃないとダメらしいって言う書き込みとか、見ちゃって。
それから□□校は地味目の服じゃないといけないってデパート売り場の人にいわれたんですけど...。
もう皆さん買いに行っていて、売ってないかも。願書用の写真だってもう撮りにいかれているお宅もあって...。」
切羽詰った様子のそんな相談を受けて。
(いやそんなことはありえんだろう、まだ夏ですよ。
願書はたしか1月で、うちではもっと後だったしなあ、と思いつつも)
まだ大丈夫ですよ、日能研では写真屋さん手配してくれますから、それからでいいと思います。
無難な服装がいいと思います、目立たずみんなと同じ、それが安心、とお答えした。

中学受験期のあの異様な精神状態は経験しないと分らない。
(逆に経験者以外の人に相談しても???と思われるかもしれない。)
経験者に話すだけで安心もするのかもしれないよなあ、と思う。


しかし。
あの怒涛の受験期を経た娘は今...(家では寝ていることが多いけど。歯を磨きながら、とか。)
学校や部活以外でやりたいことを見つけたようで、
でもそれって通っている温室のような環境があってこその今なんだろうなあ。


とりあえず、平和です、...まだ。

2011年9月3日土曜日

いいですか?

お昼に、近くの「そば屋へいきたーい」と娘が言うので、
「うー、だったら自分で電話して予約しなよ」と言って電話させた。
(お店が混んでたらいやだけど電話は面倒だしね。)

「あの、今月の新作でてますか?」(←毎月そばの新作がでるのです。)
「○×△。」
「あ、はい。じゃあ、あの、では、行ってもいいですか?」
(←行ってもいいですかって....、だめっていわれたらどうするよ。)
「□△○。」
「あ、はい、じゃあ3人で行きます。」


電話を切った娘に、「なんだって?」って聞いたら
 「”いいとも!”って言われた!」


同年代のそば屋の大将がなんだが愛おしく感じました。


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ピンポーン!
(あ、娘が帰ってきた。でも眠いなあと思ってごろごろしていたらGさんがインターフォンに出てくれた。)

「はい。ああ。 じゃあ面白い顔をしたら鍵あけます。」(←カメラ付インターフォンです。)

いや、面白い顔って...。
いっぺんで眠気も覚めましたわ。


面白くは無かったけどへんな顔だったらしいです。


2011年9月1日木曜日

ノイズとリンク

台風が近づいているというので大きな傘を持って出張に出た。
でも雨が降ったのは家に着く直前で、折りたたみでもよかったかな。


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髪を切った娘は、これまで「ふふ。モード系。」と悦に入っていたが、
朝、久しぶりに制服を来たとたん
「あうぅぅ。これじゃあタダの体育ばかみたいじゃん...orz」
と鏡をみて嘆いていた。
いや、あんた。それ初めから見た目体育会系ベリーショートですから。

朝のお弁当作りがまた始まる。

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宮崎駿「iPadは自慰行為そのもの」 「iナントカじゃ大切なものは手に入らない」
なかなか衝撃的な見出しだなあ。

私にとっては宮崎作品も、iナントカと同じで、作る側にとっては生産活動かもしれないが見る側にとってはヴァーチャルな活動だ。ただ、自分が見ること読むこと体験することは、何を経由したかによってノイズの多さが違う。
個人的にはノイズって自分には大事だと思っている。

例えば仮想空間に落ちている「ラブ・イズ・ザ・ベスト」という言葉。
自分でも、そう、「ラブ・イズ・ザ・ベスト」だ!と思っていても言葉を見ただけでは気持ちがぐぐぐっとは動かない。けれど佐野洋子さんの「ラブ・イズ・ザ・ベスト」を読むと自分の仲で何かが動く。
または自分の経験や記憶を通して、「ラブ・イズ・ザ・ベスト」の言葉が無くても体で思ってしまう。
体感ってその時の音や匂いや映像、「ラブ・イズ・ザ・ベスト」に関係ないノイズそのものをひっくるめての経験だ。ノイズが多いほど個人の記憶の網のどこかに引っかかり、記憶とリンクし、時に共鳴しながら思考の回路の太さや複雑さ変化させていくような気がしている。

五感(六感?)を使って感情の振幅と大きくして記憶を固定していくことが、生活していて楽しいかな、と、最近思っている。