2011年8月31日水曜日

お弁当作り再開の季節

明日から9月です。
学校も始まり、お弁当作りの生活も始まるってことですね。
母も起床時間を10分早めよう。

娘が9月からどうしても絵の教室に通いたいって言い出した。
「おう、それなら月謝の何割かをあんたの体で払いな」
ってことで娘にも以下の家事を分担してもらうことになりました。
①ゴミだし
→今でも朝はぎりぎり、もしくは間に合っていないのにゴミだし分の時間の捻出ができるのか?
②風呂掃除
→よろしくたのむよ
③夜ごはん作り(平日の半分)
→よろしくたのむよ
④自分の洗濯物たたみ
→洗濯たたみだけはどうしてもイヤと言っていたけど、とにかく自分の分だけはやってもらおう。


さて、9月からいきなり、いけるのか。
夏休みの宿題もこれからスパートの模様。(←って、ええ~!? )



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昨日も夜ごはんを作ってもらいました。
パスタ...酒盗とクリームチーズのソース
...はそのバランスが最適化されすぎていて味のロバスト性があんまり無いような気がしたけど、
まあきっと気のせいでしょう。
これからもお願いします。 (酒盗はそのままを日本酒と、が美味しいと思います。)

2011年8月30日火曜日

パリ 愛してるぜ~ 男一匹パリ暮らし

異国文化モノはもうそのままそれだけで、面白いことは分っている。
本屋で並んでたので、「買い」。



パリ 愛してるぜ~ 男一匹パリ暮らし


















娘が仏語を勉強している。(上達具合は母にはまるで分らないが。)
なのでパリモノはつい手にとってしまう。
語学教室で娘と待ち合わせの時に、読んでいたら
「あっ。私も買おうかと思って本屋で立ち読んじゃいました。」
「リヨン愛してるぜ~。」(←リヨン出身のフランスの先生)
とか、声かけられました。
しかし、フランス語って聞いてて気持ちいいです。うっとりしてしまう。
破裂音とか摩擦音が多いからでしょうかねえ。


さてこの本、女性人の感想としては、
「面白いけど、やっぱパリものと言ったらパリパリ伝説―不思議いっぱいパリ暮らし!、でしょう。」
でした。(陣といっても3人ですけどね。)
十分面白くて、ぷぷぷと笑えます。


アムールの国のアムールなところが男性目線で書いてあるので、
「この作者さあ、なんか女にがつがつしてるよね。こういう男はどうかと思う。」
(↑思春期真っ只中、世界の中心はワタクシ、な娘の感想。)
「そうねえ、でもパリの街ってこういうアムールな街なのかも。よくわかんないけど。」
語学力のなさは自慢できるほどの母はずっと日本で日本語とお付き合いする予定なので、
宇宙のことのように異次元のことのように読みました。


2011年8月29日月曜日

レッスンメモ8

そもそも会社の飲み会は苦手。
(でも少人数の会合は好き。ついでに美味しいお酒も好き。)
てなわけで、本日の会社の飲みはぶっちしてレッスンへ急ぐ。

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8/29、あ、肉の日ですね。そうだ、肉を買いに行かなくては、みたいな会話からレッスン開始。
先生の楽器、弦を変えたとのことで音が変わってました。(ベルカントから、ピラストロのオブリガート)
変えたばっかりということもあり、いつもよりばりっと音が裏返っての練習となります。(未熟な私が弾くと、ですけど)

(レッスンメモ)
・シマンドル P28、29
”四分音符は最後まで減衰せずに、8分音符は弓を使いすぎずに”
いつも言われるこの注意点、気を抜くともとに戻ってしまいます。
ダウンからアップに弓を返すときに、加速度がつく、このときに減衰してしまうのだそうだ。
弓のスピードは一定に。

・シマンドル30エチュード No.7
あんまりできない。

・G線上のアリア
これは一人で弾くとノれないので、「伴奏お願いします。」で、やってもらいました。
音は、はずしましたが。
なかなかいいです雰囲気もいい、と言ってもらえました。
(随分ながいこと練習してましたからね。)

(次回)
・シマンドル P30~32
・シマンドル30エチュード No.7続き
・バッハ アリオーソ

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レッスンが終わって、家に着く...とたん

「ちょっとー!制服のスカート片付けなさいよ。
あんたね、脱ぎっぱなしのスカート、洗濯物を隠れ蓑にしてるじゃないか。」

いつもの和室の洗濯物の山の中にこっそりスカートが紛れ込んでおるのですよ。
(洗濯物をたたまないのはいいんです。母がたたむのはボランティアですからね。)

「はははは。ばれたか。」
「やることが姑息なんだよ!」

2011年8月28日日曜日

おまけ

8月も20日を過ぎると、なんというか中途半端です。
夏も終わりのような、夏休みも終わりそうでまだ終わらない、
あってもなくてもいいんじゃないか惰性のような一週間。

今日は家中静かです。


金曜にamazonから本が届きました。
「Gさん、この”SPUR ”って雑誌は何ですか?」
「ああ、付録の荒木飛呂彦の漫画が読みたかっただけだから。」
といって、本誌の荒木飛呂彦インタビューのところだけ読んで、
付録本は自分の部屋にしまった模様。
雑誌本体は次の古紙の日に出されるでしょう。

そんな人が多いんですかね。
amazonの”この商品を買った人はこんな商品も買っています”のコーナーには、
ジョジョ関連の商品が並んでます、ファッション誌なのに。


Gさんはジョジョの大ファン。
荒木飛呂彦の本は大体そろってる(みたい)。
昨日、お好み屋で、娘にジョジョ立ちの指導をしておりました。









そういや、娘よ。
夏休みに作ったブラウスさ、
ボタン2個つけて終わってるの、気持ち悪くないか?
仕付け糸もほどいてないし。
ぐしゃって部屋に転がっているのを、
母が伸ばしてイスにかけておきましたぞ。




昨日飲んだカプチーノ、うさぎさんが浮かんでた。
La Perrucheの角砂糖、かわいい。











2011年8月27日土曜日

コクリコ坂から

これって、高橋千鶴原作のを雑誌「なかよし」で読んだことある。
ジブリの宮崎吾朗監督でどうなんだ?と思って映画のレビューを見てみたら、
”思ったより良かった”というのが多かったので見てみようかと思い立つ。

「土曜日見に行こうか。」
「友達いわく、微妙だったってよ~。」
「あ、そう。じゃあ、Gさんと二人で行くわ。」
「え、ひどい。」
「じゃあ、3人て予約しておくよ。何時のがいいの?」
と娘とメールのやり取りをして3人で見に行く。
(3人で映画見に行くなんて、あと何年できるだろうねえ。)


映画の後、3人でお好みをつつきながら感想大会となった。
映画自体は、時代設定が1963年ということで、その頃の絵の作りこみなんんかが
いい感じだったけれど、( 中原淳一ファンの娘は雑誌「それいゆ」がとても気になったらしい。)
文科系部室の巣窟となっているカルティ・エラタンを残そうとする、学生たちのお祭り的な雰囲気を経験済みの世代にとっては懐かしい青春の匂いがする。でも、このストーリーだけなら実写のほうがリアルだと思うし、1960年はじめの横浜が舞台である必然性とか、主人公たちの心情やサブキャラの描き方が、中途半端かな、もう少し深く描いてほしいよね、というのが3人総論。

当時の横浜の風景の描きこみやジャズの香りのする音楽はなかなか好き。



「なかよし」に連載されていた当時の絵柄、なつかしい。
あらすじ、もう忘れちゃいましたけど。

2011年8月26日金曜日

どこまでも

昨日の夜ごはんにてスイカを食べすぎて夜トイレに何回も起きて、
今日は一日眠かった...。

どこまでも、おばか。

2011年8月25日木曜日

改札の手前、曲がり角にて

午前中の出張を終えて、新橋駅での乗り換え。
改札近くでジョブズがアップルのCEO辞任のニュースを見た。
そうか、やめちゃうのかー。
曲がり角で立ち止まって読んでしまった。
Googleがモトローラ・モビリティを買収するというニュースはつい先日のことで、
この先”つながる環境”を牽引していくのはどこ(誰)になるんだろうか、などと考える。

20年くらい前(笑)、家に帰ればいつでもつながる環境が嬉しかった時代から、
いつでもどこでもつながることが当たり前となって、
それからつながっていなければなんとなく不安になっちゃったりする昨今、
これからどの方向に行くんだろう。

まあ、私はどっちかというとアナログな人間なので、すでに娘についていけてない。
昔、キーボード打てない、とか、マウスのダブルクリックのできないおじさんを、
ふふん、と小ばかにしていたが、すでに、自分がそっち側となっている。
これから取り残されていくんだろうーなー。


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今読んでいる本「ヴァギナ 女性器の文化史」がおもしろい。
早く読み終えてメモって整理したい気持ちになるのだが、混みあう電車では非常に読みにくい。
(家では細々とした雑用があるのでほとんど読めない。)
カバーをかけても「なんでこの単語を見だしにしてゴシック体にするんだよ!」な部分があると、
まわりをうかがいながら読んでしまいます。



2011年8月24日水曜日

見ていると食欲をなくすような色合いだね

月曜から今日まで、いつもはリビングにいない時間にテレビにかぶりつき。
(よって夜のコントラバス練習がろくにできない。)
BSで3日間放送された「SHERLOCK」を見てたからです。
一度見始めちゃうと終わりまでじっと見てしまう。
「いかんいかん、私は今、消費しかしてないぞ。でも体が動かない。」

2010年、イギリスBBCで放送された「SHERLOCK」は、自称「コンサルタント探偵」のシャーロック・ホームズと、元軍医ジョン・ワトソン。シャーロックの頭脳とジョンの現実主義が融合し、複雑な迷路のような謎をひもといていく。コナン・ドイルの原作を大胆にアレンジした「21世紀版シャーロック・ホームズ」。(NHK HPより)...なんだそうだ。
テンポもよいし、シャーロックとジョンの掛け合いもいい。それに「見ていると食欲をなくすような色合いだね(娘談)」のようなハリウッド的じゃない映像もいい。

今日の第3話で完結というので、もう今日はいいや練習、的な姿勢で見てたのに、
えー、これで終わり?
な終わり方でした。次回シリーズまでこれで持たせる気かよ~。

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娘がまた髪を切った。
なんとかという美容院(←娘曰く、有名な美容院なんだよ。知らないの?って言われた)
での講習会のカットモデルをしたから、ただ切りなんだそうだ。
(っていうか特典つきらしい。)
ツーブロックの刈り上げ部と反刈り上げ部がつながった、いわゆるベリーショート。
ほとんど少年ですなあ。
これは、母、真似できません。

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代替品の西瓜が届いた!
たらふく食べたら、おなかがぱつんぱつんになって、
...若干痛い。
おばかにつける薬はありませぬ。>自分

2011年8月23日火曜日

違う色の人々

微妙に暑くてしっとり重い空気です。
情報収集に、建築学会大会へと。かなり都心です。
乗り継ぎにどきどきしながら向い、たぶん遠回りしながら会場へ。
ついたら昼休み中だった。タイミング悪いな>自分。

機械系では条件や数値の意味づけをきっちりかかないと質問攻めにあうので、
「...こんな感じです。」という受け答えがなんだか新鮮でした。
データの取り方とか条件設定に気になるところがたんとあったんだけど、
もともと扱うテーマの目的があいまいな感じもしてくる。が、総じて面白かったです。
しかし、参加者が若いし、人々の集まりをぱっとみた色が黒じゃないのは素敵だ。 

快適性などの感性の定量化は数値にしたとたん陳腐化するような気がしている。
何か、腑に落ちるようないい考え方や指標ってないかな~と物色。
帰り、1400ページ弱もある電話帳のような論文集は、肩に担ぐとさすがに重かった。


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お米を研ごうと、お釜の蓋を開けたら、
あぁっ、何日前のごはんだよ!

数日前の白米がお釜に半分、鎮座しておりました。
匂いをかいで即捨て、です。

2011年8月22日月曜日

本日の夕食

実家から、土曜に「西瓜おくるね。」と電話があった。
楽しみにしていたのに日曜に到着せず、月曜夜になっても届かなかったので宅配へ電話をしたら、

「西瓜が途中で割れてしまって、代替品を手配中です。」

とのこと。

えーーーー!
今日は、娘も出かけていてご飯いらないし、冷蔵庫には何も無いけど
思う存分、夕食に西瓜食べようと思って急いで帰ってきたのにー。

悲しく、えびせんを食べる母。

2011年8月21日日曜日

遠くで見ているからこわいんだ、中に入れ!向かっていけ~!

有休を3日ほどつけた長い夏やすみも今日でおしまい。
とはいえ、おととい金曜朝いちに会社から小さな問い合わせの電話があり、
まったりから戦闘的モードへと瞬時に切り替わる自分を感じて、ああサラリーマン哉、と思ったのでした。


食事時に。
「会社員ってさ、思えばつぶしがきかないよねえ。
会社に所属して会社の設備を使って、はじめてお給料がもらえるでしょ。
ひとりじゃお金を稼ぐの難しいしなあ。」
「そんなことないでしょ。独立して事務所開けば?技術コンサルとか?(とりあえず合いの手うっとけ的。)」
「あっはっはっはっはー。(何ゆーとんのじゃ、笑うだけむなしいわ。)」
「あれかなあ、資格ってこと?弁護士とか美容師とか..。」
「そう、職人とかさ。所属もできて一人でもやれて食べていくお金を生み出せる職業。
会社員って、会社員じゃないと仕事できないよねえ。会社員じゃないとできない仕事もあるけどさ。」

「あ、だったらさ、私と一緒に、 食品衛生責任者の資格とろうよ。
老人になっても持ってたら喫茶店とかできるしさー。」

娘よ、食品衛生って...い、いっしょにって...?いきなりですな。
あれですか?一人でもちゃんと食べていけるように、という常日頃の母の教育の賜物か。


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本屋で見つけた「海街diary 4」を即効買いして、
母→娘→Gさんと、しっとり回し読み。丁寧な気持ちの描写がいいです。
娘は三島を何冊か買ってきて読み始めている。「いいわあ。」とか言ってる。
学校の宿題でもあるらしいのだが、ああ、”三島を読む”ってさあ、なんかいいよねえ。
みずみずしく読めるのって10代の頃かもしんないねえ。
働き出すと実生活でいっぱいいっぱいになってしまうような。


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いやだなあ、しんどいなあ、この資料のやり取りの損失ってでかいよなあ、やらされ感がさあ、
なんて遠巻きに躊躇しているより、まずは向かっていく、迎え撃つ、気持ちで仕事しよう。
タイトルは、私が実際に体育教師に言われた言葉ですが、時々思い出します。
男子40人超の体育の時間、ラグビーの練習試合の審判をやらされた時のこと。
雄牛のように突進してくる男子群はほんとこわくて、足がすくんで審判なんて無理、と
遠まきにもみ合っている男子を見てたら、先生に「おい、おまえ~...」と、大声で叫ばれました。

2011年8月20日土曜日

発表会レッスンメモ1

震災以降5ヶ月ぶりに、お休みしていた先生1のレッスン。
「今年の発表会は出ますか?」の案内をいただいたので、
「出ます」と返事をしたのでした。

コントラバスレッスンについて、今後は教則本は先生2で見ていただき、
発表会あたりで不定期に先生1にレッスンしていただくこととし、それを伝えた。
曲は、去年と同じオブリビオンをコントラバスデュエットで、リベンジ。
ピアノ、ヴァイオリン、チェロのトリオの曲なので、
私はチェロパート、先生1はヴァイオリンをアレンジで、これにピアノが加わり、
あと2,3回のレッスンで仕上げる(予定)。
サックスとやっても面白いかもね、ということなので、当日までどうなるか分りませんが。

2度ほどやった曲なのに、難しいです、この曲。
音程、運指、弓の返しが、まだまだ出来ません。

去年までの講師の先生方(ピアノ、サックス、ドラム)は一新してました。
基本的にはジャズの人が多いので、当日、どうなるか楽しみです。
つーか、練習しよう>自分。

2011年8月19日金曜日

お金の気持ち


学校、習い事、小遣い...お財布から諭吉が飛んでいく時には、ああ子供ってこんなにお金がかかるのね、と思う。子供にお金のことを心配させるのは教育上、子供の精神面上、良くないんではないか、とほんのちょっとは思うのだが、しかし私はそれを言う。「あなたがやりたいといったこと、欲しいといったことには、これだけかかっている。大事に使ってほしいし、無駄にしないでほしい。」

お金って、つまりは親の時間(若さ!)と労働とを引き換えに手に入れたものだ。
自分たちの生活のためではあるけど、それより多く、もちろん自分の趣味も含め子供の環境のためも考えて多く手にしたい。子供が成長するためだけなら衣食住、安全と健康に足りるだけのお金があればいいはずなのに、なぜ人間って「教育」「経験」「環境」をも自分の子供に与えたがるのか...。
人間だから??じゃあ人間ってなんだよ...

夏休み最後の平日に掃除機をかけつつ、そんなことをふと思った。

おや、ががーって掃除機かけてると、チャイがががーって真似鳴きする。面白い。

人間って(って一般化できるかどうかは全く分らないが、少なくとも私については)物理的な遺伝子以外に私(母)の経験やそれらをとおしての考え方、私が先祖から受け継いだ背景、そんなものも子供に引き継いでいってほしいと思っている。(これはドーキンスの言うミームってやつかもしれないが)
個人は子供をとおして、あるいは子供のいない人は各人の才能や考え方を書物や表現という形で、社会はその文化や習慣を、その構成員としての子供をとおして、残したがるのだ、たぶん。

自分の時間と労力をお金に変えて、それらで親の好ましい方向へ導くような教育をする、というのはこのためじゃないかと思う。教育論じゃなくて汎用的な人間の習性みたいなもの。きっとこのあたりはどこかで研究されているんだと思うけど、どのあたりですかね。(誰に向かって聞いてるんでしょうねえ。)動物行動論あたりか、文化人類学あたりか。

学生の頃読んだモリスの「裸のサル―動物学的人間像」を読み返してみる。裸のサルとは人間のことである。


芸術的、科学的を問わず、すべての探索行動においては、ネオフィリック(新しいものへの愛着)な騒動とネオフィビック(新しいものへの恐れ)な衝動との間に、不断の戦いが存在する。前者はわれわれを新しい体験に駆り立て、新奇なものにあこがれさせる。後者はわれわれを引止め、見慣れたものの中に逃げ込ませる。われわれはたえず、好奇心をそそる新しい刺激と、すでにおなじみとなった前々からある刺激という矛盾した誘惑の間でたえずゆれうごく天秤のような状態にある。( 第4章 探索)

子供はこのような過程を経て貴重な経験を手に入れ、成人する。そして子供のネオフィリア的衝動はたいへん強く、両親による制限が必要である。しかし両親は好奇心をうまく導くのに成功することはあっても好奇心を抑制してしまうことはできない...とある。(おなじく 第4章 探索)



子供の好奇心は、ある意味親という固体のエゴに沿って導く力と影響を与え合い戦いながら生活していく、ということか。子供の好奇心と親の希望(エゴ)が合致しますように、というエネルギーソースは絶えず親の心の内にわきあがっている。私たちの経験を受け取り飲み込み、残しつつ、生きやすいように少しずつカスタマイズしながら成長していってくれよ、というのが親の勝手な希望。そのために働いて金を稼ぎ、環境を整え、教育に使う。


娘よ、だから(?)お金は大事に使ってほしいし、無駄にしてほしくない。
お金は(それを言うこと、扱うことは卑しいものではなく)、対価だ。
何の対価?そして何に変えてく?
それを考えてほしいんですよ。

2011年8月18日木曜日

残暑

娘は街へ、母は家で、まだ夏休み。

着ていく服や外見を気にする様子を見て「何をしにいくの?」と聞く母に
「散歩」という娘との間で、
またもや朝から不穏な空気が立ち込める。
ちゃらちゃらして物欲しげな目の中学生に感じられてしまう。
個人的にこういう中学女子は好きじゃありません。
もう少し地面に足つけて歩けよ。
地面に足つけてって、具体的にどういうことだよ?
何か好きなことに邁進する姿を見たいんですよ。
いやだから、それを探してるんです。

翻って、自分の時にはどうだったのか...。

家で一人、そんな自問自答の母です。

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キャンセルをしそこない若干どうしようこれ、と思っていた斉藤和義 ライブDVDを見る。
男の子の妄想で構築された一大叙事詩的な場面に、くすり、とした。
なんか懐かしいよなあ、なんかなあ。

でもなあ、いつまでも懐かしがっててもなあ。

いつも時代ごとの空気とか匂いっていうのがあって、
それらを吸収しながら自分なりのカタチに作り上げていく過程は、アンバランスなのだと思う。
そうやって自分を納得させる。
私だって、母親としたらずっとアンバランスのままだ。



夕刻にチャイも帰る。
預かってもらって、帰ってくると、いつもなんだかおとなしい。
いるとうるさいけど、いないと寂しい。









2011年8月17日水曜日

現実への帰還

Gさんちは、古くて広い家で、仏間のある和室は少し暗い。
けれど中庭もあって、窓を網戸にしておくと風も抜けてとても過ごしやすい空間で、
まあつまり、私なんかは一時間くらいぼーっとしてしまう。
娘は、デフォルト裁縫、時々「うぉーっ」と自転車で田んぼのあぜ道ダーッシュ!
個人的に、こういう中学女子は好きだ。
畑で取れたての野菜は、切ったり焼いたりしただけでうまーい。
もう少しいたいよね。

出発の朝、パンのバイキングを食べに行く。
これのために朝ごはんはちょんもりに抑えたのだ。
でも朝ごはん食べなきゃよかったかもね。
「あら、そういう食べたり食べなかったりっていうのが一番太るのよ。」


がつんと盛ったお皿。


Gさんは単身赴任先で明日から仕事、母と娘は家へと向かう。
家に向かう、見慣れた風景が現実の風景。

2011年8月16日火曜日

関宿

なぜか娘のお気に入りの関宿、今回も行く。銘菓「関の戸」も買う。
しかし、観光シーズンなのに、お店は閉まりがち。商売っ気無し、かも。
娘が再度行きたかったナガオ薬局(喫茶店)、も閉まってる。











2011年8月15日月曜日

東から西へ

移動日。

いや~、もずくとか、めかぶのとなりにケーキのショーケースがあるってさ、いいよね。
そんな、ご飯処で蕎麦を食う。



おじさんが写真を撮っていた関西本線。2両編成。
つられて撮っちゃった。
いつもは近鉄だから、初めて乗るのだ。


今回の三重帰省中の娘の課題は、Gさん母に教えてもらって基本のブラウスを縫うこと。
Gさん母は、編物、裁縫、刺繍、レース編(ここまで先生できる)、
ついでにガーデニングと、何でもできるスゴイ人なんですわ。
ついたその夜、さっそく近所の大型スーパーに生地を買いに出る。
むーん、「20世紀少年」?






2011年8月14日日曜日

小さい頃、泳ぎに行った鳥ノ海。

帰省2日目。

誰もいない海のまわりには、瓦礫の山があった。
「何も無くてもう片付いているな、と思ってみてたんだけど、
本当はここにもあそこにも本当は家がたくさんあったんだね。」
「たしかこの辺に公園があったはずだったよね。」
「ああ、ここだ。」
「...ないね。何も。」









北上。
一面の田んぼにはまだ車や流れてきた木なんかが残っていて、
5月と比べると田んぼの色だけが雑草色に変わっていた。
信号がとまっていて暑い中、警察の人が交通整理していた。

塩でやられた木の茶色の葉っぱに加えて、新しく生えてきた緑色の葉っぱのツートンの庭木。


2011年8月13日土曜日

宮城の実家

宮城の実家に3人で帰省。
東京駅でお弁当を買い込む。Gさん焼肉、娘は中華、母は生ハムとアスティ(おやおや?)。
「中華ってね、狭いとこで食べると匂いがこもるのよねえ。
あんたさ、前回もタイ風カレーでココナッツの香りぷんぷんだったじゃないですか?」
「うおー、そうだったよ。もっと早くに言ってよー。」

■■■
東北もあっついですね。
誕生日に母に送った花束は、窓辺に残ってた。
雑草だらけの我が家と違っていつも花にあふれている実家。
むむー、たしか私は母から生まれたはずなんですけどね。





2011年8月12日金曜日

帰省週間

明日から帰省です。
宮城と三重への切符を受けとり、請求額を見たとたん、無言になりました。
娘 「かーさん、どうしたのさ?なんか機嫌悪いわけ?」
Gさん「切符の値段の合計額をみたからだよ。」

チャイも買ったお見せに預かってもらったので(電車の中で歌うのでハズカシイ)、
家の中が少しさびしいです。

おっと、帰省中の生協の配達物に冷凍食品1つとお豆腐を混ぜてしまったのが発覚。
もう、これはあきらめ、ですな。

いろいろ書きたいこともありますが、準備もあるのでこのあたりで。
ブログ、しばらくお休みですな~。

みなさまもよい夏休みを。

2011年8月11日木曜日

どうする? 日本企業

タイトルが残念。違う著者の本だったら絶対買わないよ、このタイトル。
でも、三品先生の本はこれで3冊目で、データの整理の仕方やデータの読み方がとても参考になる。


従来の著書と同じく、「大量生産と(長期的)利益は両立しない」、「戦略を決める”人の観”が重要であり、経営戦略とは、集団が合議で決めることではなく、卓越した個人の心の叫びに従うものである」、ということが一貫して書かれている。
企業は人であり、人を観る・育てるシステムが企業戦略にとって重要ということになるのだろう。

本書では、「イノベーション」、「品質」、「多角化」、「国際化」といった企業の模範解答に対して否定論を展開しながら、ではどうするのか?を探っている。ビジネス書というよりは、徹底したデータ分析により帰納法的に見えてくるものから今後を予想していく。その手法が鮮やか。
こういう分析手法、いただきたいな、と思う。


本書において「品質」の章で取り上げているのが、ピアノ、である。ヤマハ、スタインウェイ、ファツオリの戦略を比較している。(三品氏も音楽好きらしいのが文章から推察できる。)
19世紀のショパンの愛したプレイエルをはじめとして、イバッハ、ザウター、ベーゼンドルファー、グロトリアン、そしてデファクトスタンダードを生み出したスタインウェイ。対してヤマハは、戦後、川上源一氏が社長となると従来の100倍の規模でピアノの大量生産に乗り出した。1971年にはアメリカでグランドピアノ市場の半分まで占有した。

このヤマハの挑戦は、「工芸品」と「工業品」のどちらが高品質なのか、を提起している。ハーバードビジネススクールのデヴィッド・ガービン教授によると「品質の多義性」と理解されるのだそうだ。スタインウェイは、パフォーマンス・クォリティ(製品が顧客の期待を上回る)、対してヤマハはコンフォーマンス・クォリティ(製品が顧客の期待を裏切らない)という言葉で区別される。
一時期、ヤマハは品質(均質さ、最適化)に磨きをかけ勝負に出、CFXクラスを投入したが、トップクラスのピアニストはヤマハに転向しなかった。そして10年後(1980年頃)からヤマハの衰退が始まる。その時期はトップ人事の迷走、中国メーカーの進出と時期を同じくする。代用品の寿命は短い。

ヨーロッパのコピーをやめて新しい時代のピアノを一から設計しスタインウェイ。そのスタインウェイを超えるスタインウェイを目標に模倣しピアノを造ってきたヤマハ。しかしピアノを工業製品に仕立て上げた川上源一氏はピアノが特に好きだったわけではなく、後を引き継いでのピアノ事業だった。ピアノと向きあって「やりたいこと」がなかったため、求める価値が「規模」「成長」だったのだろうと筆者は分析している。そのためピアノ事業が天井に届いてからは、ヤマハは多角化へと舵を取る。
その一方で、ファツオリは、スタインウェイとは別のピアノを造る、を合言葉に、音楽家でもあるパオロ・ファツオリ氏がもう一度ピアノを進化させる試みをしている。いたずらに規模を追わず、ピアノと向き合ってに何をやりたいのか志が明確である。
ピアノは大事に使えば100年もつ、音楽をする人々にとっては財産である。10年もつ工業品を買う場合と求める価値が異なるのだろう。

かといって、ヤマハがなければ安価で(それでも一般家庭にとっては背伸びしないと届かないけどね)、品質の高いピアノを身近には感じることはできなかったと思うし、教室も充実しているし、個人的にはヤマハがあってほんとによかった。

モノには消耗品、嗜好品、宝物、いろいろある。どんな思いでつくるのか、買う側の思い、それらの交差するところに、こころざし、のようなものが存在するのだと思う。

この本には他にも「イノベーション」、「多角化」、「国際化」についても企業の事例が紹介されているのだが、紹介は割愛(笑)。


2日間灼熱の名古屋へ通い出張だったので、新幹線の中で読んだ。
200ページくらだが、往復で読めてしまう。





どうする? 日本企業

私が望みを託す活路は「リ・インベンション」、すなわち歴史に残る発明を取り上げて、一からやりなおそうというものです。それは、技術力以上に構想力を要します。
構想力は秀でた個人に宿るものです。日本にも優れた人材が育ちつつあると、私は感じています。
これという人物は、リ・インベンションに挑戦させ、新事業の芽が出たなら、若くても経営を委ねるくらいのことは、やってもよいのではないでしょうか。(本書カバーより)





三品和弘:一橋大学商学部、89年ハーバード大学文理大学院企業経済学博士課、89年ハーバード大学ビジネススクール助教授、北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科助教授等を経て、現在、神戸大学大学院経営学研究科教授。



わーい、今日から夏休みだ!

2011年8月9日火曜日

歩いて帰ろう

Gさんが、「帰りにサラリーマンの群れの中歩いてて、
これがイヤフォンから流れてきたらさ、なんかいい感じだった」って言うので、
私も朝、新幹線に向かう雑踏で聞いてみた。
んーやっぱ、この曲には夕暮れが欲しいわね。

資料つくって会社に申請して審議されていたその期間5ヶ月。
一旦は認許と言われていたのに、最後の最後でどんでん返し。却下された。
ちょっと立ち直れない。

ここは、歩いて帰ろう、かな。

2011年8月8日月曜日

レッスンメモ7。今日は白玉の日

多すぎてこなせません、な、宿題を持ってレッスン。
先生が演奏旅行だったため、一ヶ月ぶりのレッスンです。

(レッスンメモ)
・シマンドル教則本P28
#4つです。途中で自分がどのポジションにいるのか分らなくなります。
→「すみません、こことこことこことここ、次回もお願いします。あ、今日は白玉の日なんですよ。」
と、8/8の日付を書きながら、申し訳なさそうに先生。

いや先生、そんな申し訳なさそうに言わなくても。こちらこそすみません、できなくて。
へー、白玉の日なんかあるんですか。肉の日みたいに、ご家族で白玉食べにいったんですか?

→「いえ、まだです。」

あのー。”まだ”って...。食べに行くんですか?


・シマンドル30エチュード
No.7 今日は5段目まで。
→低音はもっと深くはっきりと弾いてください。

いや、先生、この弾きやすい楽器だからこそ何とかこの最低音も音になってますが、
自宅の楽器では音もにならないんですよ~。(←自慢してどうする)

・G線上のアリア
先生が別のコントラバスで伴奏をつけてくれた。
→あ、いいじゃないですか!あとは、スラーを切らないようにとビブラートですね。
ビブラートは、親指を支点にするとやりやすいです。

了解です。

(来週の宿題)
・シマンドル教則本P28、29
・シマンドル30エチュード No.7続き
・G線上のアリア 次回で終わらせましょう。次はアリオーソか象。


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自宅に娘の友達が遊びに来ている。
なんだかこなれた対応ができない、ってゆーかむしろ...

2011年8月7日日曜日

水のように

暑いですね。ぬるいお風呂の中にいるような昼間です。
頭髪に熱気がたまっているのを実感できるのは節電の夏のおかげ。
夏バテなのかあまり食欲がありません。
いやちがう、しゃかりきにスイカを食べるとそれでおなか一杯になってしまうんですね。
で、水太りのようです。体が重いです。実際に体重も重いです。えー、なぜ!orz


それでも西瓜をつまみながら(しかも一口サイズに切ったものを手づかみ)、
「ねえねえ、40代ってなんかいいよね。」
「いやいや20代だって30代だって、それぞれによさはあるんだよ。」
「でも20代の頃って、20代いいよねなんて思わなかったよ。その時々いっぱいいっぱいでさ。」
「そやね、あの頃は若くてあたりまえだと思ってたなー。」
「もったいないからこの40代、楽しまなきゃ損よね。」
とGさんとぽつぽつ会話。

もう、ぱつんぱつんの若さは無いけど、若さに振り回されない経験値や、経済的安定もあって、
バランスがよい40代、落ち着いて身の回りのことを考えられるのかも、ですな。


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昼下がり、もう少ししたら夜ごはんの準備しようと思って、クッションにごろんとしてたら
やっぱり眠くなってうとうと、ということろで電話。
「で、お豆腐どんくらい買ってくの?」
帰りがけにお豆腐を買ってきてって娘に頼んだのでした。
「えっとー、おおきいのいっこ。」
「うん、分った。  ...あのさ、あんた寝てたでしょ。」
「え。うん。なんで分ったの?」
「ふふん。」

ふふんってなんだよ、ふふんってさ。
なーんか電話の向こうの顔が想像できるぞ。

娘が帰ってきて、「で、どうだったの?今日のデッサン」と、聞いたら、
「技術的なことって言っても分んないでしょ。
説明するの面倒だし言いたくない。でもはい、クロッキー。」
ってクロッキー帳を見せてもらった。
はあ、ほんとに裸婦だねえ。
おもしろい経験だねえ。


そういえばGさんは、
「子供には出来るだけいろんな経験させたほうがいいと思う。」
と言っていたけどさ、そのためには母のスネの太さが足んないとい思うんだよねえ。


2011年8月6日土曜日

ワインとトマトと西瓜

昨日は会社の仲間3人と会合。Gさんも途中参加。
軽く食べて飲んだ後は我が家に来ていただき、さらに飲む。
久しぶりにトカイワインも飲んだ。


うちから提供したのはこれ。(写真は落ちてたヤツ)
凝縮感も果実味も酸味もバランスよくて美味しかったなあ。


DONNAFUGATA・Vigna di Gabri 2009
ドンナフガータ・ヴィニャ ディ ガブリ

シチリア土着の葡萄品種であるアンソニカで作られたワイン。ワイン名は「ガブリのブドウ畑」の意。
葡萄は9月最初の3週間で収穫。 収穫して柔らかくプレスし、葡萄の窄汁液は温度調整をして発酵。約20%をバリックで発酵させる。マロラティック発酵を行い瓶詰めし、瓶熟成は最低4ヶ月行う。

ネットで3000円ちょっと。



家では娘もまじって、大人のぐちをふんふんと途中まで聞いていたが、
会社ネタはつまらなかったらしく、途中で床で寝ていた。
大の字を若干カスタマイズした娘の寝姿はとても15歳の乙女とは思えない。

「Aniaさんもさー、性格が男っぽいとこあるけど娘さんもさー...。」
「あはははは。いや、私は十分女性らしいと思うし実は分らないように繊細な心配りをいつもしてるんですって。
ところで。それはそうと男らしいとか女らしいって、具体的にどういうことですかね。私は、この目の前の事象をかなり感情がごっちゃになった心象風景で見てますよ。これって女性の特徴かと思いますけど。脳梁が細い男性って目の前の情報の処理が...(えんえん)...。」
「そうそう。それそれ」(男性陣)  
適当そうな相槌に、おい ほんとか?

娘は、次の日「いつもの日々話のほうが面白いよー。」と言っていた。
そうだね、会社のミーティングの続きのような話よりは
もっと各人のキャラクターに迫った話をしたかったね。今度はそうしよう。

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実家から西瓜とトマトが送られてきたので。トマトはドライトマトにした。
天日で干してもできるらしいけど、私はオーブンで。
トマトを半分に割って、塩(できればケチらずにいい塩)を多めにふって、130℃くらいのオーブンで30分、さまして水気を拭いて、またオーブンで30分...ってゆーのを3回くらい繰り返して出来上がる。
昼寝をしながら作った。


洋風梅干のような趣になる。
ビールのおつまみにも良いし、細かく刻んで調味料としてもいい。
でも作るのに大量のトマトと少しの気合が要るので、作るのは年に一回くらい。





娘は、明日は教室で裸婦を描くらしい。
...私も見たい。裸婦を描く学生さんたちを眺めたいです。


2011年8月4日木曜日

どうにもとまらない

絵の教室に通うようになった娘から、「待ち合わせして帰ろう」と、電話があったので、
これまでの事例を想像し「しかたないな洋服をねだられてやるか」と、
「あと一時間。」と言って電話を切った。

待ち合わせして食料を買出しながら、もちろん西瓜も忘れずに買い、
いつ「服を見に行こう」と、言い出すのかと待っていたら、
「ほんとは、ママと洋服を見に行きたかったんだけど。」と言う。やっぱりね。
「見に行きたいじゃなくて買って欲しい、もう目星はつけてある」だろうよ、と思いつつも、まあいいや。

今日も腹の立つことあったし、洋服でも見に行きますか!

物色し20%オフの夏物を買い込み、家路。
家がある森のすぐ後ろ、木々の陰から大きな三日月が見えた。
まんまるより三日月の形のほうが綺麗よね。

家に着くなり、電話が鳴る。
「今日の仏語来なかったのでどうしたのかと思い。」と、語学教室からの電話だった。
すっかり忘れていたらしい。
でもね、一回の授業料を思い浮かべ、ここ最近の会社での腹の立つこともあわせて思い浮かべ、
そうすると、ぐぐぐっと腹が立ってくるんです。
「あんたがこの高い授業量を無駄にして、ぶらぶら街を歩いてたと思うとね、腹が立つ。
母は会社で理不尽で腹の立つことが重なっても
ぐっと我慢してなんとかやり過ごして、手に入れた給料を無駄にしたのか。
この無駄にした分は分割して返せ。16ヶ月分割にしてあげます。」
と親としては最も悪い見本のような小言をぐだぐだと言った。そして、
「こうやってぐだぐだとしつこく言うのは、あんたがしつこい親だな、と、いやな気持ちになって、
そのいやな気持ちを忘れないようにだよ。」
と、駄目押しの単にイライラをぶつけるだけの、あたまの悪い人間になっていた母です。


相手の思考を停止させる、動物的マウンティング手法だなこりゃ。
分っていても、とめられない、今日もいらっとさんな母です。
そして今日ばかりは、おとなしく小言を聞いていた娘です。

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明日は家に人がくる。
しかし金曜の我が家は一週間で一番汚い...。


2011年8月3日水曜日

3/8の西瓜

4時半に起きて5時半に家を出ました。本日、出張です。
午前中で用事を終え帰ってきたものの、もう眠くて仕事になりません。


娘が帰ってきました。
いないときは寂しいけれど、いたらいたで、早速険悪なムードです。
だって楽しみにしていた西瓜を食べられちゃってねえ。
生協から届いた小玉西瓜、昨日半分食べて、
今朝残りの1/4食べたその残りを楽しみにしてたわけなんですけどね。

「大変おいしゅうございました。」と娘の感想と薄皮ばかりが残されておりました。
急いで帰ってこないで、西瓜買ってこればよかったな。

ほら、一応、帰ってきてるかな、なんて思ってね、いそいそと帰ってみたりしたわけなんです。


ちなみに、娘からの伊豆土産は、
酒盗、烏賊のうに味噌和え、だし粉
あんた、酒飲みおやじかい。

2011年8月2日火曜日

精神の生態学

過ごしやすい日が続いていて、
閉めた家の中ではチャイが暑くて死んじゃうんじゃないか、って心配しなくてもいいのがうれしい。

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第一拘束:仕事は効率良く定量的効果をあげなければいけない
第二拘束:仕事をしてる状態に保つことを常に禁止する

この状態を同じ人物から同時に要求された瞬間、仕事をする気がまるっと失せた。
なんだかな、こういう状態について、何かで読んだ覚えがあるぞと、頭の中をごそごそとあさった。
これってダブルバインドか。



人間精神におけるダブルバインド(二重拘束)状態:
生物の間で交わされるメッセージには複数のレベルが存在することをラッセルのパラドックスなどを通してベイトソンは明らかにした。そして、互いに背き合う二つのメッセージを受信したために、本来は理解できるはずのメタコミュニケーションの本質が覆い隠されてしまう心理状態のことダブルバインド状態、とした。

1. 2人以上の人間の間(支配者と被支配者)の状態である。

2. 繰り返し経験される。
      ダブル・バインドの構造が習慣的な期待となるような、繰り返される経験である。

3. 最初に否定的な命令=メッセージが出される。(第一次禁令)
「何々の事をするな、さもなければあなたを罰する」
あるいは
「もし何々のことをしなければ、あなたを罰する」

4. 次にそれとは矛盾する第二次の禁止(=メタメッセージ)が、異なるレベルで出される。
これは3に比べて記述することが難しい。その理由としては、以下がある
(1)この禁令は普通非言語的手段(ポーズ、ジェスチャー、声の調子、意味深長な動作、
表面上の言葉に隠された含意)によってに伝えられる。
(2)第二次の禁令は第一次の禁止のどの要素にも衝突する。

5. この矛盾する事態から逃げ出してはならない(第三次禁令)。

6. ついにこのような矛盾した形世界が成立しているとして全体をみるようになる。
犠牲者が自らの世界がダブル・バインドのパターンのうちにあるのだと知覚するようになったときには、
これまで述べてきた構成因子が完全にそろう必要はもはや無い。


精神の生態学(ベイトソ ン)』が家にあって、それを思い出したのだ。
このダブルバインドは、児童虐待、親子関係(例えば、親が子供に、自立しなさい/親の言うことなんだから聞け、を両方発信するとか)、セールス、恋愛などの状態についても適用(説明?)できる。被支配者の対処法としては、動かない、支配者から逃げる(しかし5によって禁止されている)しかないらしい。この状態が続き、行き過ぎると被支配者は統合失調症となる場合がある。

ああ、私も親としてはダブルバインドにおける支配者かもなー、などと思い当たり、自戒の念ももくもくとわき上がる。


開発のスピードは速まる(仕事量も増え、効率良く、目に見える効果を必要とされる)のに対して、
節電・安全・セキュリティの面から、仕事をしている状態(データや資料やモノが出してある状態)にしてはいけないという管理が常に徹底される。そして私はきっちりもモノを整えるのが苦手だ。
しかしあまりにも重箱の隅をつつくような管理に「仕事してほしいんですか?してほしくないんですか?」と。かつ、この状態からは逃げられません、である。

でもまあとにかく、状況の説明が自分なりにできれるだけで、もやもやが薄らぐのだ。よし、自分の状況が分って非常にすっきりした、と、思ったところに、更なる第二拘束を言い渡され、あまりにもやる気が失せてしまって、「今日はもう帰ります。 」となって帰ってきた。

なんか、世知辛いよなあ。 のどかに仕事ができた頃が懐かしい。
ああ、わたしゃ飲み屋で愚痴をこぼすおじさんみたいだ。

2011年8月1日月曜日

檸檬の木がある。
待ち構えていた感もあったアゲハの幼虫、である。
(ダメな人もいると思うので写真は載せない)
虫はダメだけど、アゲハの幼虫だけは大丈夫で、そればかりでなく
ド・レ・ミ・ド・レ・ミ、と草を食むその動きを見ているのと和むのである。
時々ミカンの匂いの液体をぷしゅーと出す。

もう一週間たつのに、さなぎからは蝶が出てこない
...ってことは寄生バチにやられちゃったか。
昔、アゲハのさなぎから蜂が出てきたのを見たときは、
足が震えて、それ以来飼えなくなってしまったが、
我が家のベランダのそれは、もう無理だとは思いつつも
毎日、もしかしたら蝶が出てこないかと思ってみてしまう。

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月曜から会社が始まって、金曜の夜に「はあ、休みだー。」の繰り返しで、
これがこの先、ずっと、延々と続くのかと思うと、急に吐き気がしてきた。
ソファに寝転がる。朝5時半。

一見、果てしないこのルーチンに
無理やりにでも何かを挟み込んでいかないと、やっていけないのではと不安になる。
...何にしよう。
「オーケストラとか?時間は何とかなるんでは?」とGさんが言う。


会社で、ひたすらマシンに向かってクリッククリック時々数字、の合間に
となりに座って同じ動作をしているK君(オケでトロンボーン経験者)にその話をした。

「いやあ、オケですか。でも、あの人間関係がねえ。」
「...ああ、そういえば思い出したよ、あの以外にしっとりとした人間関係。
あそこの場ってなんか独特よね。私2年でやめちゃったもんな。
ブラスのほうが体育会系でさっぱりだった気がする。」
「パートごとに雰囲気違いますよね。
バーベキューやっても、たとえばホルンは真面目って言うかお上品っていうか、
みんながそろって肉が焼けるまで乾杯しないんですけど、
トロンボーンなんて肉焼き始めたとたん、それぞれ勝手に飲んでますからね。
ましてや弦なんて.....。」

全部がそう、ではないはずだけど、なんだか場の方程式が違うような空間だった記憶がある。

「一人でしみじみ練習っていうのもいいですよ。」
「...かもね。」

今日もルーチンの始まり。
いつもと違うことといえば、娘がいないので、
夜ゆっくりお風呂に入って漫画を読んだことだ!


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娘は今日からパパと弟と旅行だ。
娘が小学校の頃は毎週会っていたのに、
中学生になると忙しくなって、以前のようにはいかなくなった。
娘パパはさびしいようけど、
その一方で娘は自分の生活に夢中で、さびしいと思う隙間さえないようだ。(たぶん、だけど)

そうだようなあ、あいつ、弟いるんだよなあ、と他人事のように思った。