2011年5月30日月曜日

なんでそんなにナナメに書くわけ?

家に着いたら、娘がテーブルに向かっている。
床に制服とお弁当と鞄は散乱しているけど、
鉛筆を握って数学の問題を解いている娘の姿を見て、母、感無量(←大げさ)。

「ねえねえちょっと。これってどう解くの?」
と聞かれた問題は、普通の計算問題だったのはまあいいや、とにかく。
やろうとする姿勢から、よね。

渡されたノートに解いていくと、
「ちょ、ちょっとー!なんで罫線あるのに、それを無視してそんなにナナメで大きな文字で書くわけ?」
「え、だって、計算が分ればいいじゃん。わたしゃきっちり罫線にそって書くことってできないんだよ。」
「なんで~?じゃ、はい、これはちゃんと罫線にそって書いて。」
「うー、書きづらいな。」
と言いながら、ちまちまと解いていく。
「これってさ、ふつうに解けば解けるじゃん。」
(娘よ、こんなところで躓いていたのか...。数字とお友達になっていないようです。)

母は、数学の問題を解くのと、線にそってきれいに書くことが、なんか両立できないんだよなあ。

会社での打ち合わせのメモもそう。ノートは汚い。

でも、その書いた字の雰囲気で、その場の発言とか雰囲気とか思い出せるから、
その思い出す引っ掛かりとして書く。

私の記憶はビジュアルらしい。
学校の頃も、覚えるものは教科書の字や図や絵を丸ごと(時にはページ数も)で、
今でも会社の人の発言、顔つきなどと一緒にノートの字面で記憶する。

殴り書きのホワイトボードのプリントアウトも、読めなくてもとっておくんです。

まあ、無くすことも多いけど..あはは。

2011年5月29日日曜日

気がついたら家から一歩も出ていない。

雨の週末。なんと家から一歩も出なかった。
掃除、昼寝、読書、コントラバスの練習で過ごしました。
自堕落週末。こんな週末も良いですな。

先日、ほんとひどい数学の点数のテストをゴミ箱から見つけ、
用紙のシワを伸ばし、娘の目の前に突きつけた母です。
娘もさすがに”これはひどかった”、と認めているようで、
「分かる範囲で教えるから数学やろうよ。」と母が言ったら「うんやるよ。明日からやる」。


「今日は?」「眠いから明日。」
「今日は?おや、眠いなら明日の朝のほうが効率いいかも。」「そうする。」
「おい!」「・・・」(←寝ている)

という日が続き、
またまた早々に寝てしまった娘にさすがにぷちっと切れた母が次の日言いました。

「口ばっかり達者なヤツっている。見てるといらいらする。言うのは誰でもできるんだよ。」
「だから?それをママに謝れってこと?」
「いや。行動と結果で示しなさいよ。」
「でしょ。だから、いいでしょ。」

さて。この流れは泥試合の幕開けか?

まあ、二人とも面倒なのはもういや、と学習したようで、
これからテストまで計画を立てて母がフォローする、というところに落ち着きました。

「まずは数学でしょ。」
「ああ、問題集と教科書、学校に忘れた。」

まったくやる気なしなのでは...。

■■■
ベクレルとシーベルトと日本の基準値の妥当性について知りたくて
食卓にあがった放射能』を読み始めています。(1990年に書かれた本の新装版)
薄い本ですが分かりやすい記述、具体的なデータがあります。


日本の食品の放射能基準値は外国に比べるとかなり高いです。
またがん死の危険率データも大きくばらついていて、37倍も違い、
どの値で計算するかで死亡率も異なります。
(基準値は、摂取しても大丈夫な閾値なのではなく、
 なるべくとらないようにする、と考えるべきなのはあたりまえです。)
放射線測定器についても記載あり、欲しいなと思いますねえ。
GM(ガイガーミューラー)計数管はガンマ線の検出効率はそうよくないんだそうだ。

全部読んだら、忘れないようにポイントをメモっておこう、あとで。

「Gさん、私の誕生日のプレゼントにガイガーカウンター買ってよ~。」



2011年5月28日土曜日

古代ローマ人の24時間

テルマエ・ロマエ』を読むと、古代ローマ人ってどんな生活してたんだろうって思ってしまいます。
寝そべって吐きながら食べてたとか街は糞尿くさいとか(本当か?)、奴隷たちはどんな生活を?とか。


この本の著書はジャーナリスト。さまざまな資料を元に紀元115年のトラヤヌス帝治下のローマ帝国のある1日を再現するという内容で書かれている。上流階級人々の暮らし、祖霊の暮らし、ファッション、美容法、巫女の生活、公開処刑、夜の生活。生活する住居や公共設備の違いはあれ、ローマ人の生活は意外と私たちに近い(と思った)。人間ってそんなに変わんないのね、と思いながら読む。

個人的には食生活についてが興味深い。レシピも書かれている。ちなみに食事中のげっぷは高貴で文明的な行為とみなされている、放屁も許可されていたとか。またフランス料理はイタリア料理に太刀打ちできない、など書かれてありイタリア人の著者が母国を誇りに思う気持ちが伝わってくる。饗宴、性生活まで、カメラを回しながらの臨場感あふれるレポートという形式で一日を追ってゆく。

この時代の上流のローマ女性は、地位の向上があった。一連の戦いでローマの上流階層の男性の命が場われ、相続の問題から、このままでは富が独裁者に集中してしまうという不安を抱いた元老院が新たな法律を出したのだ。女性が個人的に遺産が相続できるようになったことで、経済力を手にいれ自立することが可能となった。離婚も婚姻関係も自由となる。

ただし、この状態が続きローマ人の男女の性行動は奔放になっていき、結婚が減り離婚が増え出生率が低下し、現在の西欧社会と驚くほど似ている。
(この状況が変化するのは三世紀半ば、蛮族からの襲撃を受けるようになり平和から、不安定な情勢と経済危機による夫婦の絆の復活、そしてキリスト教の世界観へとなっていくのだ。)






古代ローマ人の24時間---よみがえる帝都ローマの民衆生活













この本、400ページちょっとあるけど、面白いのでするする読める。
なのに、なぜか読んでいるとどうしても寝てしまう...から時間かかっちゃった。
次に読む本がたまってます。



2011年5月27日金曜日

レッスンメモ4

今日も雨。ワタクシ、本格的に雨女かと思ってしまう。

「ピアソラの合わせはどうでしたか?」と聞かれて、
「いやあ(ぽりぽり)、もっと豊かな音を出せるようになりたいし、
音と音のつなぎがぼつぼつ切れるのを治したいし...」
と、伝えた。
「今日も練習しますよね。」
「え...、合わせは一回で、それが本番です。」
「ええっ。もう終わりですか。次はあるんですか。」
「えっと、一年後に...かもしれません。」

という話をして、レッスンスタート。(以下コメントと注意ポイント)

シマンドル30エチュード:
16分音符、だいぶ音が出るようになってきました。
低い音は響くまでに時間がかかるから、
弓に弦を十分ひきつけて、ゆっくり響かせるように弾かないと実の無い音になってしまいます。
弓のスピードが少し速いかもしれません。
左手でしっかり押さえないと、音の芯がなくなります。
次までにエチュード2番。

シマンドル教則本:P19~
フラット5個もあって、移弦も頻繁にあるので音程とるのが難しいところです。
この教則本では、ゆっくりだけれどちゃんとやろうとすると最も難しいところのひとつです。
でも音程とれてます。(←やたっ)
大事なところなので次、もういっかいやってきてください。(わはは)


YouTubeで見つけたエクレスのソナタがいいなと思い、楽譜を買おうとしたら在庫無し。
ネット上で中身確認できたので見てみたら、あら、
そのままプリントスクリーンで1楽章コピーできちゃった。
それをコピーして教則本にはさんでおいたら、すかさず先生が見つけて、
「エクレスのソナタですね。楽譜ありますよ。」。
1楽章ゆっくりやってみましょうか、ということに。
このソナタ、バイオリンでは初心者向けで、よく小学生くらいの子が弾くのだそうだ。
(YouTubeにもたくさん落ちてた。)
コントラバスだと音大の1年生くらいかな、なのだそうだ。
1楽章はゆっくりだけど、2とか4楽章は、私には絶望的に無理。
ハイポジを使います。今日はそこの指の形だけ教えてもらった。

池松宏の「コントラバス・レパートリ」もやろうといことになり、
じゃあカヴァレリア・ルスティカーナやってみてください...。
先生が弾くと、ああ、私はこういうふうに弾きたかったんですよ的な音楽がそこに。

結局、今回も宿題が大盛りになってしまいました。

2011年5月26日木曜日

学習しました

”電車に乗った。お惣菜買った。”


母の携帯メール 、
    ”で”
の文字を入力すれば、
あとは選択するだけでいけます。

2011年5月25日水曜日

次のフェーズへ

震災の関係などで、プロジェクトもストップとなり出張も少なくなっていたけれど、
そろそろ動き出しそうな雰囲気です。
本日出張。これから、まーた多くなりそうだなあ。

食器用洗剤と化粧落としが切れているのですが、お店が閉まっていて買いにいけません。
薄めたりしてちびちびと使っています。しょぼくれた気持ちになります。

ワッフルをお土産に家に帰り着いたら、そこにはパンがこんもりと焼きあがっていました。
私の視線の先を見て、娘がすかさず言います。
「あ、これは明日のお弁当と朝用だから。」
「え?夜ごはんは?」
「食べてないよ。待ってたの。」
うげー。母はもう作る気力もなし。キャンベルのコーンポタージュスープ缶詰で。
トマトを切り、パンも一個もらって夜ごはん。

白パンと黒(チョコ)パン。なんか色艶いいねえ。


最近、娘が将来の夢とその手段を語ってくれたのですが、
親としてはそんなに早くに将来への舵を切ることは無かろう、
リスクはできるだけ小さく、平均に普通に、などと考えてしまい、
思い切ってやってみな、とはなかなか言えません。
「そんなにやりたいのなら、遅いってことはないじゃないか。
その気持ちが変わらない、そして力があると思うのならその片鱗をまず親に見せてみなさい。」
と、えらそうに言い、様子見です。

でもこういうのって、
    思い込んだらまっしぐら(ワタクシの血か)。反対されるとなおさら。
なんだよなあ(経験上)。

2011年5月24日火曜日

休憩


オカメのチャイは、もう2歳も過ぎてだいぶ大人になって落ち着いてきたものの、
オレ様気質はそのままです。

夜、寝るときには暗くするため布をかけるのですが、
朝起きる時は、きよよよ!って鳴いてから布をはずさないと、
「くわっ」と、まだ寝てるんだから!みたいに、めっさ怒ります。

居候の分際で何様じゃ、と思います。

しかし、チャイは娘のことをライバルと思っているようで、
娘に対してだけは、常に威嚇し挑みかかっています。

こんなチャイ、今は抜け毛の季節です。家中、羽毛が舞っています。
ルンバも走っています。

■■■
K君の席の前で立ち止まると、もれなくK君娘の話を聞けるという特典つき。
でも忙しいときは目を見ずに通り過ぎたりします。
逆に疲れているときには意識的に立ち止まったりもします。

「おや、Kくん、めがねを変えたね。」
「そうなんです。先週変えたんですよ。ああ、聞いてくださいよ。
ボクめがね変えてですね、下向いて本読んでたんですけど、
あるときコロっとねじが落ちたんです。とうとう頭のねじが外れたかと思いましたよ。
メガネのねじでよかったですわー。」

K君、キミのその喋りを聞いてると、肩の力が抜けていいわー。 

2011年5月23日月曜日

夢のあとさき

「22日はコントラバスを運ぶから、ついてきてください。
で、夜までかかるから次の日は会社休みを取ってね。」
と、Gさんに言ったものの、私のほうが打ち合わせが入っちゃって今日は休めない。
急遽午後半休を取り、お昼に待ち合わせて一緒にラーメンをすするのがせめてもの接待。
そのあと珈琲のんでぶらぶらして、駅で見送った。
Gさん単身赴任先へ。また週末~。

私は会社にもどって仕事。

■■■
「でさ、今日の夕飯何たべたい?」
「んー野菜と果物。」
娘よ、あんたは鳥かい、と突っ込みたくなるが、ま、いいか、楽だし。

ジャガイモ、カブ、スナップエンドウ、葉っぱ、トマト、瓶詰めピクルスをきざんで。
あるものは茹で、あるものはそのままで混ぜて、
塩味は生ハム(もちろん国産のお安いほうの)と胡椒、まろやかさはオリーブオイルで。

あら!、意外ときれいな色じゃないですか。

かぼちゃをダシと塩と砂糖で茹でる。
スーパーで最後の一パックの苺、398円。

作ったものをこうやって並べてみたらば、
机の上に色がいっぱいで、なかなかいいんじゃないでしょうか。

娘が帰ってきて、サラダを丼で山盛りもりもり食べる。
時折さっき習いたての仏語でなにやら聞かれる。
おそらくジュマペールなんちゃら程度の言葉だと思うけれど、
母はさっぱり分からないので、娘に「むふっ」とどや顔をされた。
いや..、しかしもはや英語についても上から目線で見られる母だし。
(母はこれからだって日本の中で暮らすからいいんです。)


食事終わりごろ、「あ、これ」と渡されたのが、新しいクラスの集合写真で、
それを見ながら、
「あ、この子かっこいい」、とか、「この子姿勢いいねえ」とか言って、娘と頭をくっつける。
「隣の子とあんたさ、見るからにお笑い系よね」、と言い出したら
なんだか笑いが止まらなくなっちゃって二人で大笑いした。

「集合写真って毎年とっててさー、写真写り悪いし面倒だな、って思ってたけど、
親と楽しめるこんな使い方があるんだー。」って娘が言った。

「そうねー。」母も頷いた。


2011年5月22日日曜日

準備をして、そして旅をする。

「コントラバスを手持ちで運んだら次の日、青あざや筋肉痛となりました。」
なんてブログ記事に書いてあるのを読んでは、大げさだな、と思っていたのですが。
自分の肩の、狭いエリアにずっと一定圧力がかかるので、確かに運び終わった後、痛いですわ。
階段も担いで上ったので、明日の筋肉痛が楽しみです。(う。あさってかも。)

今日の雨は一時のざーざー降りがありましたが、小雨でとどまってよかった。
無事、アンダンテさんちまで楽器を運び(そこでかなり力尽きたものの)、
皆さんに混ぜてもらって私も楽しむことができました。
弦どおしあわせるのはとても気持ちいいです。

私的には、2曲のしあげ練習に踏ん切りがつきました。楽しかった。
また何か楽しい曲を探そう。
バイオリンの音もピアノも息を飲むほど素敵でした。
(演奏の、迫り来る感とか緊張感に圧倒されて息継ぎできない感じで聞いていました。)


■■■
「これ、娘が作ったつまらないものですけど、って言って出すんだよ。
あ、娘にそう言えって言われたとかも言っちゃダメだよ。ちゃんと言うんだよ。」
って娘に言われたので、そのように言っておきましたよ。
昨日の夜に作ってくれたチーズケーキをお土産に持って行きました。
ふわふわととっても美味しかったです。

「今日はハレの日ですから。思い切って食べないと」という天の声と内なる声に導かれて、
母もテーブルに並んだ色とりどりのお菓子やらお肉をいただきました。

家についても、お腹いっぱい胸いっぱいです。
また何か楽しい曲を探したいです。
アンダンテさん、誘っていただいてありがとうございました。

2011年5月21日土曜日

雨 コントラバス 運搬

昨日、お天気チェックしたら、日曜の降水確率50%でした。

で。
「雨 コントラバス 運搬」でぐぐってみたら、
みなさんそれだけでひとつのイベントになっているようで、いろいろためになること満載です。
雨の日対策としては、楽器をビニールで覆い、ケースに入れ、それからまたビニールシートをかける、がいいらしい。他にも、新幹線での場所のとり方とか、在来線の何号車がいいとか、タクシーの乗せ方とか、...ノウハウがあるようです。

■■■
日曜はアンダンテさんちまで楽器を運ぶことになっているのです。
雨が降ったら楽器は持って行かないつもりだったのですが、練習した曲はどこかでくぎりをつけないとねキモチワルイね、ってことで雨天決行にしました。

昨日、会社の帰りにLLサイズのカッパと70Lゴミ袋10枚を買ってきたので、これで雨対策をして運びましょう。どうしようもない大降りの時には、レンタカーを借りてGさんに運転してもらいましょう。
(ただし、Gさんは年に1回くらいしか運転しないという、別の問題がありますが...。)


決心がついたところで、天気予報を見たら、なんと昼間早いうちは、お天気持ちそうじゃないですか。

あとは腕の準備なんですけど、これがねえ、なかなか....。

2011年5月19日木曜日

計画と実行との間には、大きな溝があるんですよ。

今日のプレゼンは失敗した。
詰め込みすぎが敗因でしょう。
いちばん言いたいことは何なのか、もう少し考えないとね。

■■■
昨日、上司から「これやってみて。5分くらいで深く考えないで。」といって、紙を渡された。
ちゃちゃっとやって点数つけて合計した点数によって
あらかじめ別けてある4つのタイプのうち、どれかに分類される、というやつ。
タイプの特徴が書いてあってそれを読むと、
ええ~?、あってる!
と思ったのだが、ああ、あたりまえか。
自分で質問に答えて、それらを総括した特徴だからなあ。
つまりは自分で思っている自分なんじゃなかろか。


こんな質問。もっと質問は多かったような気がする。
http://www.jah.ne.jp/~pegira/cgi-bin/coach/coach.html

コーチングのひとつのやり方らしい。
http://www.coach.co.jp/coaching/use/appliedskill17.html
(分類タイプ)
    人や物事を支配していく「コントローラー」
    人や物事を促進していく「プロモーター」
    分析や戦略を立てていく「アナライザー」
    全体を支持していく「サポーター」

私は、アナライザータイプだった。それもダントツの点数で。
分析して計画立てるのは好きだ。決断するときはExcelでマトリクス作るほど。
アルペジオをメトロノームを徐々に早くしていきながらこつこと練習するのも好き。
[アナライザー・タイプ]
行動に際して多くの情報を集め、分析し、計画を立てる。
物事を客観的に捉えるのが得意で、小さな達成をこつこつ積み上げていく。
大きな変化を要求せず、彼らの変化のペースに歩調を合わせることが大切。
人と関わるときも慎重で、あまり感情を外側に表さない。
むりやり気持ちをいうように仕向けるのは逆効果。
(私が見せられた分析表にはもっといろいろ書いてあったが。)


この結果を見て、しばし考える上司。
「しかしさあ、計画たてるのはできてもさ、なんで実行する時はそう無謀なの?」
って言われちゃいました。

仮想空間と実空間の間には大きな溝があるんですよ、はい。


2011年5月18日水曜日

密度薄いですね、今日の夜は。

今日から娘は学校の合宿だ。
朝は集合時間かが逆算して、二人で5時に起き、準備はちょっぴり、朝ごはんはゆっくり食べた。
私たちは、朝早いからって朝ごはんタイムを縮めたりはしない。
もちろん"朝ごはん食べない案"なんてのも頭のちょっとの領域も占めたりしない。
朝ごはんの時間を確保したまま起きる時間を早い側へシフトした。

持ち物準備は母は手伝わないので、忘れ物があったか無いかも分からないが、
不備があったら、なんとか自分で対処したまえ。

「じゃね、いってくるよ。」「おう、いってら!」と、たぶん間に合う時間に出た。


そして、夜、母は家にひとり。

おお、一人で飲みに行くとか、
だれか誘って飲みに行くとか、
いややっぱり静かにひとりで飲むとか、
いろいろできるじゃん!(って、妄想選択肢いっこじゃん。)
そんなこともち考えたけれど、結局会社でずるずる仕事。

これじゃあまるで、
「あの人、家に帰っても一人で何もやること無いからさ、会社いるんだよ。」
ってのと同じだな。

こういう薄い夜は、
「嫁になんかやりたくないなあ、ずっとこの家にいたらいいのに。」
という気持ちがめりめりっと強くなる(笑)。


■■■
実家の母が白内障の手術をする。
白内障か...。ちなみに私は0歳で白内障を患い手術した。
そのまま右目の視力は戻らなかったけど、
両目が見えるってのはどんな具合なんだろう、
視界の次元が変わる感じかしら、などと想像してみる。
朝、「お母さん、手術うまくいくといいね。大事にしなね。」と電話した。

しかし、
実家の母を泊まり出張中の留守番役としてアテにしていたんだけど、出てこられないらしい。
娘は目を輝かせて、「私一人で留守番できるさ!」というが、
いーや、そういうヤツこそ心配なのさ。


2011年5月17日火曜日

檸檬の花が蕾んだ。

気温が上がったり下がったり、湿度が上がってきたりで、
金属の膨張で音程変わるし、吸湿するのかがさがさするし、
なんか調子悪いなあ、コントラバス...と、気候のせいにしてみたり。

でも明らかに冬場とは違います。
だって冬って湿度20%くらいだったのに、今は気温が上がって60%ですから。
空気中の水分量、どんだけ多くなってるんじゃ、と肌と楽器で感じる今日この頃です。

家には湿度計が4つ、60%を越えた練習場所ではコンクリの黴対策でもう除湿機かけてます。


いつもブックレビュー、アタック25みてました。
最近お休みされていたので心配していました。
児玉清さんが胃がんでお亡くなりになったそうです。
合掌。

2011年5月16日月曜日

今日は静かの海

娘の気の使いようは、実はとても良く分かるのだ。母も同じ頃、同様だったからだ。
(娘のその言い方、昔の自分を見てるみただよ、と思いつつ聞いている。)
でもそれがかえって気がついてよ的に物欲しげに感じてしまう、そのインプットとアウトプットの関係もやはりなんとなくもやもやと分かるのだ。もちろん分かるような気がするだけで比べてみることなんかできないのだけど。

思っていること、いいたいことはちゃんと言わないと、相手には通じない。
(分かってもらえないと、あきらめてしまう動きも、同じだったり。) 
しかしたとえ言葉を尽くしていったところで分かり合えない。
でも伝えようとしないとはじまらない。伝えるスキルも上達しない。

今はそう思う、ちょっとだけ経験のある母は、娘との言い合いをやめないし意地も張る。
(時間が許せば、しつこいと言われつつ)最後まで言い合いにつきたいたいと思う。
さあ自分の主張を続けなさいよ、と思う。

昨日、言い合いの末
「お互いに言われたことは聞く耳を持って、できる部分は努力していこう。」、
ということになったからか、今日の二人はなんだか静か。
シーズン最後の”とちおとめ”390円がさらに2割引を「やっぱり2パック買いでしょう!」(母)。
でも食べてみたら「すっぱいね。こういうときは苺ミルクだわー。」(娘)


エゴと気弱な自分、相手に映った自分、それが気になって仕方ない、そんな時代だったなあ。
そんな時期を経て、こんなおばさんになってゆくんだよ、きっと。わははは

2011年5月15日日曜日

「ブラック・スワン」それも家族で....

最近、娘は夜ごはんを食べるとうたた寝をしてしまい、そのままなだれ込むように本寝に入ってしまう日々。そして母が寝ようとして娘の部屋を通り過ぎる時、その気配でむっくり起きて、風呂に向かったりパジャマに着替えたり、うがいをしたり(←ハミガキの途中で本寝に入ってしまったらしい)するのですが、昨日、いつものように寝ようとして娘の部屋の前を通り過ぎようとしたその瞬間、
「ふぉーっ!」
っと一言、掛け声が抜群のタイミングでかかりました。
あんたはマイケルジャクソンか、と思って、くっくっくと夜中に声を殺して笑った母です。
次の日、本人に言ったらまるで覚えてなく、泣きそうな顔で笑ってました。


さて。娘が見たい母もみたいからブラック・スワン。じゃあ、ボクも、とGさん。
15なりたてってことで予約しちゃっいました。
これを3人で見て大丈夫かなあ、エログロだってレビューに書いてあったし
...って考えてたら、前夜、想像流血シーンを夢にまでみちゃった、嗚呼、繊細な母です。

3人で出かけるときにもひと悶着あったのですが、
まあそれを言い出すと愚痴愚痴になってしまうのでここはこらえて。



この映画「ブラック・スワン」は、内気なバレリーナが大役に抜てきされたプレッシャーから少しずつ心のバランスを崩していく様子を描くいた心理サスペンス。現実と、壊れてゆく精神が作り出す幻影が絡まりながら、ラストまで緊張感が続く。
内気な主人公のニナと彼女の心のうちにあるもう一人が見せる情景、それはそのうち現実と区別がつかなくなっていくのだけど、その精神の葛藤プロセスの可視化に思わずひきつけられてしまった。自分の行く手を阻むもの、それはいつだって自分自身なのだ。彼女はラストで果たして自分自身に勝ったのだろうか。
「Gさん、このラストってもしかして 肉を残して骨が砕かれる、もしくは明日のジョー的な...。 本人だけのうちでの勝利なのかもしれないねえ。」

心配していた痛みの場面も濡れ場もこの映画に深いものにしていたし、必要だったと思います。
ナタリー・ポートマンの美しさと、演じるニナの悲しみの喜びがとても際立っていました。

そういえば、私は、チャイコのオーボエの白鳥のテーマと、組曲最後の静かな和音がとても好きなんです。


■■■
娘は見終わって、「消化しきれず混乱してる」と言っていたけれど。
そのうち、いつものように些細なことで言い合いになり、映画の余韻はまるっとなくなってしまいましたねえ。ええ。
Gさんは賢明ですね、じっと嵐が収まるのを待って口出しせず、でした。
「とくにたたかわない。」そして世界は平和なのですな


2011年5月14日土曜日

5月のビール

Bliggerのシステム障害がここ2,3日あったらしく、アクセスしにくかったり、リードオンリーになっていたり、あ、一日分の記事が消えてる~などあったようです。
もともとBloggerブログの使い勝手は、私のような初心者にはあまり優しくなく、そうでなくとも、まあ待つしかなかったのですが、障害レポートも英語しかなくて、なんだかよく分からない。
(レポートはGさんがかいつまんで読み上げてくれました。)

回復したようですね。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1105/14/news005.html

さて。
金曜土曜の夜は飲む日と決めているのですが、最近はビールが多いです。
特に、オーストリアのビール、ツィラタール ヴァイス ビールが好きで最近はデフォルトこれ。


しかし先日、成城石井を除いてみたら、おや、新作が!


ドイツの、ホフブロイはドゥンケルもヴァイツエンも好きでわりとよく飲むのですが、
この、ホフブロイ マイボック、初めて飲みました。とても美味しいビールで、二人で絶賛。
Maibock(マイボック)のMaiは、英語でいうところのMayで5月という意味で5月のビールなんだそうです。入荷したてなんだ~。アルコール7.2%とちょっと高めですがコクとやんわりとした甘さがあって、連荘で買って飲みましたよ。うまいです。

つまみも作る。
Gさんの実家より、肉厚のアサリ、たくさんの新鮮さやいんげん、大きくて甘いアスパラが送られてきた(ありがとうございます!)のを使って。
アサリの酒蒸し。
セール品の鯛をグリルしてにアサリの白ワインソース。
さやいんげんは、素あげして麺つゆと一味をかけて。
じゃがいもとアスパラをかるく塩茹でにして、少しのバターとチーズに塩胡椒で焼く。
(げ、カロリー高いじゃん、の声が上がったが、これにはバター入れたほうが絶対美味しい!)


2011年5月12日木曜日

朝の幸せごはん

一昨日は、前日残ったパスタをグラタン風にアレンジ。
昨日は、ホワイトソースがら作ったの、とグラタン。キャベツをざくざく切ってもりもり食べる。
今日は、ほんとにふんわりふわふわにできたシフォンケーキ。(おかずは朝の残り)

部屋は相変わらず汚いが、めっきりごはんを作り支援をしてくれるようになった娘である。
ありがたいことだ。

「そういえばさ、あんたが小学校の頃って母はどんなおかずを作ってたかな。まるで覚えてないんだけど。」
「私も。全然覚えてないよ。」
はて、4,5年前はどんな食生活してたんだろうねえ。

「ねえ、ごはん食べた後はさ、デザート的なものを食べたいよね。」
「わかるー。」
「胃の中のおかずの油分を甘いものでシールするってゆーか。はいこれで〆ってゆーか。」
「わかるー。」

女二人気楽なものである。適当に食べている。
ただ、葉ものを食べないと体が欲するのが分かるので、それは常に常備してあるくらい。


そんな娘が、「朝が楽しみだわ~」という。
ご飯が炊きたてだと、さらに目を輝かす。
最近の朝の幸せは”卵かけごはん、魯山人風”。
近所のおそばやさんに教えてもらったのだ。
熱湯1分ぐらいつける卵は白身が少しにごり卵の黄身にコクと甘みが出て、
それを炊き立てごはんにかけて食べるその時が、娘の朝の至福のひとときらしい。

2011年5月11日水曜日

もやもやの醍醐味と心配

今日で3・11から2ヶ月。
昨日、宮城県水産高校の授業の様子をニュースで見た。
三年生の男子生徒は海で生きることを決めたが祖父が亡くなってしまった。大型船舶の免許取得を目指してきて、遠洋航海(ハワイ)の実習が必要だが放射能の検 査を必要としているが、それには費用がかかるという。
「実習を受けることによってスキルが身につくのでぜったい必要、でもお金が...。」
「地元が好きだし、ここで海の仕事をして生活していきたい。」
と生徒たちが言っていた。


その高校の授業風景を見ながら娘が言う。
「へ~、授業中、意見を言ったりして活気があるねえ。ウチの学校なんか授業中誰も発言しないんだよ。」
「ああ、そういえば授業参観の時、私(母)もそう思ったよ。
無気力っていうかしーんとしてて活気が無いねえ。」
「そうなんだよ。そういう雰囲気だから、私もそれに沈んじゃうんだよねえ。
それに比べると、この水産高校の生徒はさ、なんかすごいね。
目的があるっていうか自立してるよね。でも高校生だもんね。私はまだ中学だし。」
「あんたも、高校になったらもう少し目的意識ってゆーか、そういうのが芽生えてくるのかなあ。」
「うーん、なんとなく大学行くための勉強をするって感じかもしれない。
あいう生活基盤を築くような自立の仕方っていうのはないかもー。」

娘を見ていると、決して無気力というわけでもなく、それなりに興味のあることを見つけては(見つけようとしては)トライしてみたりしている。ただ娘や彼女の学校では、友達どうしなんとなく学校に来てこのまま大学受験?私は何をやりたいんだろう?みたいなもやもやと一緒に過ごしてもいる様子だ。温室的な。一方、このもやもやを感じつつ迷ったりするのもまた10代の醍醐味なのかなとも思う。

いろいろ考える時間を持たせてやりたい選択肢を広げてやりたいという親心からすれば、まさしくこのもやもやを味合わせてやりたいということでもある。そうした中で、テレビに映る彼ら高校 生が自分の生活基盤を作り上げていかなくてはならない必要性、しかし災害によってそれがゆらいできている切迫した状況と、娘自身を対比させていろいろ感じるところも あったのだと思う。

娘は私は違う人間であることは分かってはいるけれど、その心の内を推し量ってみては親もまたもやもやとするのである。


ちなみに私は公立中学、当時は校内暴力全盛の時期で、よく男子が音楽の先生にゴミ箱をぶつけて泣かせてみたり、授業中何人かは行方不明になったりしたもんだ。時々窓ガラスも割れていたかもしれない。そして中学の頃は、何故か将来はエンジニアになると漠然と考えていて、紆余曲折あったけれど現在に至るというなんか面白くない結果となっている。理数系が得意ということも無かったので、逆に理数系がデキる、ということに憧れたのだ。単純な話。

レッスンメモ3

3回目のレッスン。今日も雨。
いや、私は雨女じゃありませんから。

シマンドル、P22,23まで戻った。
見開き2ページ、ほぼ毎日練習していたが音符を追うのでいっぱいいっぱいだった。

(注意点)
・アップとダウンの弓のスピードが違う。アップの法が強くなる傾向にあるので同じ調子で弾く。
・音が変わるとき、指の動きと弓の返しのタイミングが少し合わない。
指の準備ができない無いタイミングで弓を返すので、音が混ざってしまう。
指の押さえの準備ができてから、弓を返す。(わずかのタイミングの違い。)
教則本は、運指の間違いは気にせず、音や音の変わり方の音そのものに注意をはらう。
・来週はP19(4♭が5つもあるorz ,5)、P20(6,7)をやってくるように。
ポジション移動の練習です。(このまま最初に戻るかも(笑)。)

宿題ちょっと多すぎますと、言ってみたけれど...。


シマンドル 30エチュード 1番
・低音(D,E弦)を使っての付点8分と16分音符を弓を返さずに弾くのがどうしてもできない。
(この練習曲の山場)
・この16分音符は、くっきり明確にと、しかも、重くならないように。
・来週へ持ち越し。
・来週は2番もやってくるように。

先生方には教え方に特色があって、どちらもなるほど感があるのですが、
このまま、オケの先生の方でレッスンを受けることにした。
様子を見ながら、ジャズの先生も復活していくかもしれない。(発表会があると張り合いがありますし)
もう少しお金と時間があれば...。

2011年5月10日火曜日

今朝みた夢。


寝ていたら、ベッドの下からゴキブリが見えた。
叩いてつぶそうとしてもなかなか死なない。
そのうち3匹になり、1匹に腕をかまれた。
ふと見上げたら、家の壁の中にまだ肉片のついた骸骨が埋め込まれていた。
壁なのに、骸骨のまわりだけ樹脂で固めてあった。
夢はカラーだった。

怖くて目が覚めた。


よって今日は眠い。

2011年5月9日月曜日

アブダクション

たれぱんだ的と言われたGさん曰く。
「でも、たれぱんだでいることは案外難しいんだよ。
 まず、たれぱんだでいられる場所を見つけなくてはいけない。 これがまず難しい。
 たとえば、このおふとんの上、ここはイイ。たれていられる場所なんだよ。」
と、(ダレて)言ってます。
(いや、Gさんがたれていられるのは、
私のキャパの大きさがあってのことだろう、と、こっそり思ってみる。)

お、急に動きが早くなったかと思いきや、
「たれぱんだVSめかたれぱんだ!
  ばばーん!
...でもとくにたたかわない。」
と再びたれるGさん。ココロは小学5年生。←って本人も納得してたよね。

■■■
G.W.も終わり、仕事も始まった。

ところで。
現場第一主義の方というのはどこにもいると思うけれど、そんな方々、だきあわせのように数値実験(シミュレーション)に懐疑的な人が多い(のではないか)。そんなおもちゃみたいなやつで、とか。そんなこともあって数値実験の有効性を分かってもらえる説明の仕方というのはないだろうかと、時々考えてみたりする。
例えば私は、仮説を立てる時に、帰納法と演繹法のハイブリッド的な思考がしっくりとくる。しかし、帰納法的に事例や結果から法則を導き出す場合、材料となる事例の数はそう多くない。そこにシミュレーションを適用することで(経験の加速)多くの仮想事例を得られるとすれば、そこから導いた法則(仮説)
の妥当性を今度は実験で検証するという(実験とシミュレーションのハイブリッド)方法論が説明できないかな、などと考えて、ぐーぐるさんに手がかりを探してみたら...、

アメリカの哲学者・論理学者のチャールズ・パースが推論過程の一つとして再定義した言葉、アブダクションに行き当たった(私が知らなかっただけで3つの推論様式として有名なのだそうだ)。アブダクションは帰納法と比較して創造性の高い拡張的推論ということみたいだ。つまりは、法則性を導くからもう少し思考の飛躍があり、既存の法則からひらめきや創造へとつなげることなのだろう。

この、法則性の検証からひらめきへ飛躍する瞬間ってどんな状態なのか。
脳の自発活動、ノイズともきっと関係があり、ランダムノイズがあるタイミングで事象と法則を結びつけるんだろうなあ...、などと考えて一日終わった。
おい、仕事しろよ。>自分




帰納・演繹・アブダクション:
パー スは推論という作用を演繹(deduction)、帰納 (induction)、仮説形成の三つに分け、規則と事例から結果を導きだす推論である演 繹、事例と結果から規則を導きだす推論である帰納に対し、規則と結果から事例を導きだす遡及的推論型・仮説形成型の推論をアブダクション (abduction)とした(この用語自体はアリストテレスが分析論に用いたApagogeをもとに造語したものである)。また、パー スは、帰納も演繹も実はアブダクションにもとづいたもので、3つの推論方法は本来は総合的にはたらき、何かを発想したり、思考を始めると きには 先ずアブダクションをし、仮説を形成しながら推論しているとした。アブダクションは、東洋の思考法に多く見られる傾向であり、西欧で比較的多く見られる二 元論的な思考論理の限界を認識するという意味でも興味深い論法である。(http://i.impressrd.jp/e/2008/02/01 /362)

2011年5月8日日曜日

休みの終わりなのか始まりなのかの土曜日のもうひとつ。

昨日はもう一本DVDを見たんだった。
娘より提供の「シド・アンド・ナンシー」。TSUTAYAで借りたうちの1本。
セックス・ピストルズのベーシスト、シド・ビシャスとその恋人ナンシーの短く過激で破滅的な愛、ということらしい。

朝いちで、娘がなにやらDVDをセットしてるなと横目で見つつ、ついでに朝ごはんもセットできた頃、画面はシドがナンシーの編みタイツを破ってこれから濡れ場へ突入、という場面だった。

「ねえねえ、これ見ながらら二人で朝ごはんってなわけすか?」(Gさんはもちろん睡眠中)
と母が聞いたら、
「そ、そうっすね~。朝のさわやかさとはちょっとちがうよねえ。」
と、娘はDVDを停止し、ニュース番組を見ながら和やかに朝ごはん。

そんなわけで、夜ごはんの後、3人で見ました。
濡れ場もあったけれど激しくなく、しかし決して美しくもなく、けれどこういう二人の状態を悲しく美しい愛というとらえかたもする時期があるかもなあ.....ああ、この二人って共依存というやつなのか。二人で依存しあってセックスと薬におぼれてゆく姿を悲しいとだけにしか思えないのは、私が母となったからなのかもしれないね。弱さを見て美しいと思えれば安心できるのかもしれない。そして絶望へ落ちてゆく悲しさから目をそらすことができなくて最後まで見てしまった。(しかし、ナンシーはもう少し美人でもよかったのではというのが3人の共通した感想。)

娘はどう感じただろう、と思って目を娘のほうにやってみたらば、寝息を立てて寝ておった(笑)。

映画が終わってエンドクレジットが流れる頃、
アトムの毛布の下からむっくり起きた娘に、もう寝たらと促すと、
「私、寝てないよ!」
「いやいや、ごうごう寝息立てて寝てたって。」
「...でさ、話はどうなったの?」



■■■
以前、YouTubeで「Tanti Anni Prima」をチェロで弾くStjepan Hauserを見て、ああカッコイイなあと思ってブックマークしてたんですが、あれ、いつのまにか非公開になってしまってもう聞けない、残念。(Stjepan Hauser:クロアチアのチェリスト、1986年生)

顔というか雰囲気がねえ、好きです。


向かって左。
若い頃よりも、少し年を取った今ほうが
断然カッコイイ。









いろいろ探してみるうちに、マイケルジャクソンの「Smooth Criminal」のチェロ演奏が
一時話題になったらしく(クラッシック詳しくないGさんも知ってたくらい)、聞いてみたり。
 http://www.youtube.com/watch?v=OlVbEclPj4c&feature=player_embedded

有名チェリストのモノマネ映像とかをぷぷぷと笑いながら見てみたり。
http://www.youtube.com/watch?v=hC5TQqW44dY

2011年5月7日土曜日

La vita è bella

雨だし娘は部活と習い事だし、GさんとDVD鑑賞会。

Gさんから提供、マイケルジャクソンの「ライヴ・イン・ブカレスト」。
92年(私が就職した年だ!)、ルーマニアのブカレストでのライブDVD。有名なライブらしい。
DVD見てたら涙する人失神する人が何人もいました。
さすがのエンターテイナー。私ごときがなにやら書くこともできないのでamazonのレビューを。
「THIS IS ITのように演出裏話も知りたいなと思っちゃいます。
THIS IS ITには、マイケルファンではない私も、静かに感動しました。



私からは「ライフ・イズ・ビューティフル(伊題La vita è bella)」。
私が最も好きなイタリア映画。ラストシーンではやはりしゃくりあげてしまう。
生きててなんぼ、です。
この映画のことは前のブログでも何度か書いてました。
イタリア映画でもう一つ好きなのがロベルト・ベニーニの「Life Is Beautiful」
生と死、残酷さと美しさ、対極にあるもののを飲み込んでそれでもなお、暖かさを感じる映画です。
グイドはあたりまえに自分の命を息子ジョズエにつなげた。
(ジョズエに対する嘘のつき方が見事なのだ。息子が悲しみや不安を感じさせない嘘である。)そしてジョズエの天真爛漫の笑顔のラスト。それを見て感じたのは父グイドが伝えた、生きている(生かされている)喜びと感謝である。
他人である誰かの感動のためでなく、自分の息子ジョズエの喜びのためである。


そういえばGさんの日常は、自他共に認める、たれパンダ的生態なのですが、いざというときには、この映画の主人公のグイドのように私たちを笑いで救ってくれるに違いないと思っています。(思い込まなくちゃ..。)
よろしく頼みますわー。

2011年5月6日金曜日

母の日って

おや。今日は帰りが遅いぞ、と思っていたら、
「ママ!Mother's Day!」とか言いながら玄関からにゅっと腕が。
「いやあ、ハンカチとかよりもさ、ママにはコレでしょ。」
と、いただきましたケーキ。シーキューブのラプリマヴェーラですな。

「おう、ありがとう。あんたお金持ちだね。」(←おばあちゃんからお小遣いもらったのである)
と、いつものごとく、一言多い母である。

「でさ、私がもらったんだから、一人で食べていいの?」
「いや、3等分でしょ。120度ずつね。」
「でも等分じゃなくてもさ。私が180度とか。」
「いいよいいよ。ボク60度で。」
とか3人で譲り合いつつ(?)、結局120度/人。

紅茶も入れてたいへん美味しくいただきました。




「しかし、母の日ってあさってでしょ。」
「えええ?明日じゃないの?」

ま、いっか。

2011年5月5日木曜日

英国王のスピーチ、そして天麩羅

娘:「ロバのマネ!」(鼻の下の伸ばしかたたがポイントらしい。)
G:「ラクダ。ロバとは違うんや。ラクダはこう!」(上下ではなく横方向に動かすらしい。)
娘・G「じゃ、うさぎ!」 (小刻みにシャリシャリ。って二人でやるかよ...)

あんたら、おばか(-_-;)。
Gさんと娘が口の動きの真似しあいっこしてるんですよ。
ハタでみてた母は、脱力しまくりです。

あんたら余力があるようだし、せっかくの休みだし映画でも、
ということで「英国王のスピーチ」を見に3人で出かけた。
(アカデミー賞を取ったということだ。知らなかったけど。)映画館は半分くらいの入り。

吃音であったゆえに内気で自信が持てないジョージ6世がそのハンデを乗り越えて、国民の心を一つにするために第二次世界大戦の会戦のスピーチをするという、そんな話である。(戦争に向かわせる言葉、という側面に関しては置いておいて。) その裏側に英国王室の内情、戦争争裏幼き日の虐待、父や兄弟との関係、夫婦愛や家族愛、言語聴覚士ライオネルとの友情などが絡まっていて2時間引き込まれる。

最後のベートーベン7番2楽章が、テンションをあげていく。
娘いわく、「ボレロみたいな映画だね。」。
ああ、そうかも。最後のスピーチへの収束と音楽の高まり具合にぐっと心を掴まれた。
すいません、母は最後涙が出てきちゃった。


■■■
Gさんの誕生日も兼ねてその後、食事に行く。
エビフライ、餃子、チャーハン好きなGさんにフレンチとかイタリアンでもあるまい。
「天麩羅でどうだ!!」
「いいねえ、天麩羅。」
ということで予約しておいたのだ。

天麩羅、家ではやりません。
揚げ物は極力やりたくないけど、天麩羅はさらにハードルが高い。
天麩羅は揚げたてが美味しい。だから揚げてる人は食べにくいんだよ。
その前に上手く揚がらないけどね。
だから1年分食べといて。

2011年5月4日水曜日

今年のBBQ

「去年の今日みたいにならないようにね」
と、Gさんに念を押されました。
「大丈夫ですって。昨日ワイン飲んだから2連荘では飲めないからさ。」
と何を根拠に?的な受け答えをして臨んだご近所の方々とのBBQ大会。


今年は、ちゃんと、ゆるーくまったりほっこりと楽しめました。
お酒もビールにワインにリモンチェッロと華やかなラインナップ。
お肉もお約束の焼きそばも、皆さんが持ち寄ったお料理も美味しいく、
わが家では何も無かったのでGさん実家から送っていただいた筍とアサリを提供した。
筍を焼いたら栗のような味わいで、なんてうまいんだ。あさりも肉厚で美味。


この界隈は集落みたいな家の集まり方で、
昔からここに住む先輩方に我々若者(!?)が加わったという構成になっています。
先輩の方から定年後にはじめられた趣味の話などの参考になるお話を聞けたり。
最後までちびちび飲んでいた若者(笑)夫婦群は、その出が文・理・芸ときっちり分かれており、
考え方や行動様式がほんと違っていて、とても興味深いテーブルの囲み方でした。
ああ、こんな話、娘にも話を聞かせたいよう、と思ったのでした。
(娘は前日まで参加する、と言っていたのですが、残念なことに風邪気味で一日寝ていた。)

「来年もまた是非!!!」

■■■
夜にこんなのを見てたら眠れなくなってしまって。
http://www.youtube.com/watch?v=mvC1uvCKlT8
http://www.youtube.com/watch?v=hBQltRW3d00&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=INR5Go90sx8
津波の映像に音楽とコメントと加えた日本の民放の映像とその物言いには
なんだか怒りがこみ上げてきたりもしたけれど
映像だけを前に、音も無く押し寄せてくる津波を見て
「お願いします、もうこれ以上...」誰に言うでもなく言ってしまう。
夜、眠れず。

それでも朝は通常に目が覚めてしまう、主婦のサガでしょうか。
普通の生活をちゃんとかみしめて楽しみます。

今日は一日ゆっくりしました。
コントラバスの練習もできた。汗かいた。


2011年5月3日火曜日

帰省から帰る2

帰省2日目。
前夜、ものすごい強風のため家が吹き飛ぶんじゃないかくらいの音だった。
朝になったらおさまっていたので、せっかくだから街にでようじゃないか、と娘と話す。
「今日(5/2)帰るからさ、新幹線に間に合うお昼まで戻ってくればいいじゃないか。」
「昼を食べに行こうよ。ご飯?いやどっかのカフェでお茶しよう。」

最寄り駅に行ったら、昨夜の強風のため東北本線が激遅延していて、
これは帰りの電車が遅れたら新幹線に乗れなくなるし、出かけるのはやめようかとも思ったけど、
せっかくですからね、せっかく経済ってことで。

仙台駅は、痛々しく修正中、な、いでたちでした。

ホシヤマ珈琲店へ。
ホテルのラウンジのような居心地です。ゆったりくつろげる。
壁面いっぱいに、カップ群があってなかなか見ごたえあります。
メニュー見たらばキーキセットが1600円くらい。「た、高いね」、と娘と顔を見合わせる。
娘:ブレンドにモンブラン
母:マンデリンにチーズケーキ

















その後、母がもう一度行きたかった青葉通りの白松が最中の2階にある「甘味処 郷」へ。
あら、店内リニューアルしてる!
ここの寒天が食べたくて。
クリームあんみつ、栗あんみつをそれぞれ注文。
当時大きな歯ごたえのあるここの寒天が大好きでねえ....
「あら。ちょぴっと小さくなってる気が...そして歯ごたえ感が変わってる気が...。」
「それはさ、ママ。ママの味覚が変わったんだよ。当時と今じゃ経験値ちがうじゃん。」
「そうかねえ。」 (若干しょんぼり。)

それにしてもケーキと甘味で5000円使いましたよ、私たち。

仙台の町はさ、ごみごみしてなくていいよね。
なんか住みやすそう!
とか二人で言いながら街をぶらつく。

さて帰ろう、という時間になり駅に戻る。
電車遅れてても動いてたからさ、と、根拠無く 大丈夫、と考えてたら
やっぱり大幅な遅れはそのままで、新幹線にぎりぎり間に合うくらいの電車となり...
(しかしこの間牛タンを買い込む)
でもやっぱり、超のろのろ運転のため「もうだめだ間に合わない。」な時間に途中下車して
新幹線の切符を取り直しました。

でも帰れたからいっかー。

■■■
家に何とかたどり着く。もう夜。
実は5/1はGさんの誕生日だったので(Gさんはひとり自宅でお留守番だった。ごくろう!)、
機会を狙っていたワインをあけた。タイバーネ2007。

琥珀色で、少しシェリー酒っぽさもあり、凝縮された味わい。
とにかくとにかくうまかった。
仙台から買ってきた牛タンと、東京駅で買った生ハム、おいなりさんと。


ラ・ビアンカーラ タイバーネ2000 500ml

ガルガーネガ100%, alc.15%。
ブドウの糖度が高いだけでなく品質が最高な時にのみ極めて少量生産される遅摘みワイン。
今までに、1990年、1991年、1996年、1999年、2000年、2007年がリリース。







ラ・ビアンカーラ
ソアーヴェの隣のDOC地区である、ガンベッラーラで、アンジョリーノ・マウレが1989年より、7ヘクタールの畑とともに始めたワイナリー。年間生産量は4万本。ガンベッラーラDOCもソアーヴェと同じく、ガルガーネガ種を主体にしたワイン。畑の土壌は火山岩質で、ミネラル分に富んでいる。斜面も日照条件のいい南東~南西向き。畑では無施肥による有機農法を実践、ブドウの収量制限、イ・マシエリ以外のワインには野生酵母を使用、瓶詰めまで二酸化硫黄未添加、バリックから大樽への回帰など、醸造理論に関しては。エドワルド・ヴァレンティーニ。ジャンフランコ・ソルデーラ、ヨスコ・グラヴナーらと考えを共にする。
(インポーター資料より抜粋) 

2011年5月2日月曜日

帰省から帰る


娘の帰りを待って、なんとか予定の新幹線に乗ることができた。
お弁当買って新幹線で食べようということで、娘「グリーンカレー」。
母「え。車両の中じゅう、カレーくさくなるよ。」
娘「あ!そういうことは買う前に言ってよ。」

母は、娘に「やっぱりピンク色のがいいよ。」と言われたので(ありがとう!)、1/4ロゼとサンドイッチとチーズと生ハム。

当日の朝、5時半起きで、その後家の掃除を一日かけて(単に休み休み)してた母は、その後うとうとした。




娘と二人実家に着いたのは夜の10時過ぎ。
実家に帰って、
いつもはワンワンと出迎えるジョニーがいないのを寂しく思いつつ、すぐ寝てしまった。

■■■
次の日もゆっくり起きて午前中も実家でまったりとする、母と娘。
我が家では新聞とっていないので、新聞を読んでみたり。
地震以降、広告がほとんど入っていないとのこと。
新聞の地方版には、今でも毎日80人くらいの県内で亡くなられた方の名前が載っている。
”訂正があります。○○○さんの年齢は1歳ではなく0歳です。”
などの文章を読むのがしんどい。

実家でも壁にひびが入ったり、外壁の角にひびが入ったりしていたけれど
住むのに支障は無いようで、まずは安心。
近所では瓦屋根の家の瓦が飛んでいる家が多い。屋根の峰(?)の部分。
道路にも陥没とか隆起があったり。
でもここらあたりは、被害はとても少ない地域だろうと思う。

メディアではあまり取り上げられていない地域の状況もひどいものだった。
仙台から南に走る東部道路の海側を父と見た。

道路一本渡っただけなのに、海側と山側では被災状況がまるで違う。
東部道路が防波堤となったということだ。
名取市の閖上より南の海、荒浜鳥の海は、私が小さい頃に泳ぎに行った海だ。
海水浴といえば、ここ。思い出がたくさんある。娘も小さい頃連れて行った。
(海に近い部分、被害がひどい地域へ行く道路は封鎖されていた)

海へ行く途中通る亘理町の信号機や電信柱は傾いでいたし、
田畑には木材や車やキッチンやよく分からないものが積まれていた。

もっと北の仙台空港の周りにあった多くの駐車場は、ほとんど無くなっていたし、
まわりの家は立っているけれど中はがらんどうで向こう側が見渡せた。
それらはもちろん、テレビやネットが伝える風景ではあったけれど、
実際に目の前にあるそれをみると、”復興”なんて言えなくなってしまう。
「これが、海沿いにずっと岩手まで続くわけでしょ。元通りになんてできるの。」
父も私も言葉がでない。

カメラを持って行ったけれど、
撮っても単にシャッターを押した私の画角の中には何も無いなと思い、
カメラをしまった。


ただの川べりに見えるけど、
流れ着いた細かいいろんなものが。
仙台空港あたり。
ひしゃげた車が積まれている。














せめて地元の好きな日本酒(一ノ蔵)の、前に買った美味しいやつを買って帰ろうと思ったけれど、
蔵元も被害に会い出荷できている種類が少ないということで今回は挫折。
(4/18から酒造り再開だそうだ。)


ひやかしに行くようで複雑な気持ちだったけど、
やはり見ないことには気持ちがおさまらなかったのだ。