2011年10月31日月曜日

遺体

■■■
石井光太の本は何冊か読んでいる。ともすると野次馬的な題材を扱ったルポなのに、筆者の立ち位置がとても人間くさくて温かい。どの本を読んでも筆者の匂いがする。

石井さんは、震災が起きてすぐ3月14日から東北へ入り、5月の連休まで2ヵ月半を現地で過ごしたそうだ。私は筆者のブログもツイッターも読んでいて、子供が亡く なったことが受け入れられずに体液が流れ出てもずっと抱きしめている親のことが書いてあったりしたので、この本も人の内側に踏みこんだ内容になるのではと、読むのが怖かった。
タイトルが『遺体』になります、とブログで告知があって、なんだかそのままだなあと思ったのだが、読んでみたら、納得した。”一瞬のうちに約三万人という未曾有の遺体が出た時、人間はどうその現実と対峙していくのか。それが本書のテーマだ。”と石井光太は書いている。


さっきまで生きていた大切な人に表情がなくなるということ。目の前にある親しい人の遺体は、ぜったいにモノではない。けれどもう笑いかけない。その不連続感に対峙できない。多くの人が命を落としたあの震災で、人と遺体のかかわり方はどうなのか。それらが丁寧に追ってある。

私も以前、伯母が亡くなったとき、その遺体が目の前にあることにどう気持ちを切り替えていいのか分らなかった。この目の前になるのはいったい何なのか。何だったのか、今でも分らない。伯母はどこに行ってしまったのか。生命の生きている状態と死を明確に別けることは難しいという。生命システムが自立して動かなくなるという物理的な面からも人と人との関係性の面からも、生きているということとはどういうことなのか。
伯母の場合はがんだったし、数ヶ月前から覚悟はしていたが、それがいきなりであればそしてそれが大切な人であったならば。...きりきりと痛い。(被災はとても個人的な体験であり、分かち合うことは出来ないと、ある被災された方が書いていた。私も決して被災された人の心の痛みを分ることはできないし、だからこういうことを書くのは本当はいやなのだが言葉が思いつかないのだ。)

忘れないことだと思う。ひとりひとり、個人を伝えることはできないけれど、大きな震災があったということを伝え、そこに生きていた人がいたということを伝え、そこに悲しみがあったことを伝え、笑ったり泣いたりむっとしたりしながら、私が生きていくこと、生きていくことをつなげていくことをきちんとやっていこうと思う。生きていくことを投げ出さない。




遺体―震災、津波の果てに

2011年10月30日日曜日

そろそろ暖房の主電源をいれようか、な季節。

■■■
昨日は一日寝ていたので、家の掃除してないのが気になって...ああ、小さい自分。
午前中いっぱいかかって掃除。でも2階は挫折。
こんな小さい家なのになあ、そうだ、ちゃんとスケジューリングできていないからなのかも。
土日のあき時間やルンバの効率的投入のしかたとか、もうちょっと計画的な掃除にすれば、”こんなに時間かかっちゃって感”無しに掃除が終わるかもしれない。かかった時間の総和じゃなくて、心理的時間だからなあ...などと考えながら雑巾がけをする。
掃除が終わると安心。

5日ぶりにコントラバスの練習。

+++
文化祭の季節、そういえば2年前はどこぞの(とくに男子校の)文化祭へよく行っていた娘であるが、もうあんまり興味もないのか他の用事もあったりと、行かなくちゃみたいな執着色が見えない。そんなもんなんだろうなー。
でもたまーにどこかの文化祭へ行く時。
「どんな格好で行くの?」
「え。制服。でも違うブラウス着ていくけど。だってウチの学校の制服着ていくといかにもって感じでさ。でも着てる人みんな制服だから私服だと目立つんだよ。」
「へー。つまりは学校名を下げて歩くのはいかにも感があるけど、目立つのはイヤで、かつ中学生ですというブランドはつけていくわけね。なんか中途半端だねえ。いつもと言ってることが違うんでは?」
「だってさー...。」
みたいな会話をする。

おい母よ、喧嘩売ってるのか?

+++
夜、放鳥の時間に階段で遊ぶチャイ。
「うー、階段、フンまるけやん。」



2011年10月29日土曜日

イヴの7人の娘たち

■■■
本日、風邪でダウン。起きては読み、つかれて眠る、そしてまた読む...を繰り返して、メモを書きにもそもそと起きる。 
出版が2001年と11年も前なので、今はまた新たな説も加えられているかもしれないが、ミトコンドリア好きなもんで読んでみたくなった1冊。科学ドキュメンタリー。


ミトコンドリアDNAは必ず母親から子に受け継がれる。ゆえにミトコンドリアDNAをたどっていくと全人類に共通の祖先(母)がアフリカにいたとされる、「ミトコンドリア・イブ」の話は有名である。イブの娘らに共通する条件は2つあり、1つめは娘を産んだこと、そして2つめは、二人の娘を産んでいることである。また、ミトコンドリアDNAは組換えを経ることがないため、個々人のミトコンドリアDNAの違いは突然変異のみによると考えることができ、約1万年に1回の割合であることが解析的に分っている。

オックスフォード大学の人類遺伝学教授の著者ブライアン・サイクスは、化石化した古い人骨からDNAを抽出することに成功した同分野の第一人者であり、本書では6億5000万人にのぼる現代ヨーロッパ人の母系祖先は7人の女性(アースラ、ジニア、ヘレナ、ヴェルダ、タラ、カリトン、ジャスミン)に分類できるとしている。また男系の父親から息子へと引き継がれるY染色体を解析した結果も同じ結論にたどりついた。女の歴史と男の歴史は遺伝学的に一致したのだ。
新石器時代の農民は間違いなく重要な存在で20%は彼らを祖先とするが、その他80%の現代ヨーロッパ人の遺伝子プールの母体を作り上げたのは、旧石器時代の狩人たちだった。

どちらの学説が正しいのかという学者同士の攻防戦や、ヨーロッパの祖先はどこから来たのか、ネアンデルタール人とクロマニヨン人のクラスターが交じり合った痕跡を果たして見ることができるのか、といった謎に挑む臨場感が、とてもスリリングに書かれていて読み飽きない。また、7人の娘たちの物語も時代背景とともに語られている。(ドラマっぽい)
ただし、もうすこし専門的な話(分析の仕方、統計処理の方法、図や絵)があるともっと奥行きのある読み物になるのに、と思うのは欲張りすぎか...。

あ!続編もある..... ぢゃないか。


イヴの七人の娘たち









風邪で一回休み。

■■■
布団に入って読書でもしよう。

2011年10月27日木曜日

いきなり寒いのは気温のせいばかりではありません。

■■■ 
喉と目が痛いなあ眠いなあと思いつつ、今日も出張。
現地でヘルメットをかぶって実験である。
計測器で測定するときはどきどきしてしまう。設計どおりの値なのか、果たして...。
「なんか自分の答案用紙を返してもらうような気持ちですね。」

どうやら合格点をもらえたようで、ほっとして帰る...てか新幹線で寝る。

+++
あ、メールだ。娘からだ。

”待ち合わせしませんか?冬物を見てほしいのです。”

不気味な丁寧語だな。
私はこういう回りくどいやり取りが苦手なので、
買ってやってもよくってよ、さっさと買って帰ろう、と決めた。

待ち合わせして冬物洋服母と娘用のを買って蜜柑も買って帰る。
そういえば最近、言い争いが少ないような気がする。
中2病脱出か。お互い(?)大人になったのか。



家に着いたら宅配便が届いた。オタマと箸。
特にタテオタマはスタイリッシュでよい感じ。
「お気に入りの箸置きが使えないね。でもうちって、箸はさあ、食事中置く暇ないよね。」


2011年10月26日水曜日

風が冷たい日に、目が熱い

娘が風邪をひいていてすごい鼻声になっているとか、
新幹線の座席に座り瞼を閉じるとそのまま眠りに落ちてしまいそうとか
目が痛いとか、
ついでにごくりとすると喉痛いとか...


うつったか...。

2011年10月25日火曜日

いっしょごはん

いつもの朝ごはんより早くになることもしばしばである。
けど「私も一緒に食べよう。」と言って娘は起きてくる。
一人でご飯を食べるのいやなのだそうだ。

私は中学生くらいになるとひとりでごはん、平気だったけどなあ。
むしろ気が楽だったかも。一人で考え事をしながらもぐもぐと食べる。
私の両親も共働きだったし、母は夜遅くまで働いていたので、両親の帰りが遅いとき
下ごしらえしてある夜ご飯のネタを仕上げて弟と別々に食るなんてことも多かった。
ふむ、だから自分の内側で考えるくせがついたのかも。
(今では考えるプロセスを省いて結果だけ人にしゃべるので、??という顔をされること有り。)
だから(?)、食事中(に限らず)ぽんぽんとしたリズミカルな会話は不得手なのだ。


■■■
「ボク、仕事から帰ったら思考のスイッチを完全OFFにしてぼーっとしたいんですよ。家族としゃべるときってものすごくエネルギー要りますよね。もうしんどいんですよ。」
と言う同じ職場のTさん。
「ああ、それすっごく分る。私ももうしゃべらず頭の中だけで考えたりぼーっとしたりしたいんですよね。」
二人とも、それは立派な日本のおやじさん(←イメージです)。

いや、でもね。
娘と二人暮し始まったた当初、母は家でもがんばって定格の120%くらいでしゃべっていたのだ。
(娘には、あれで?といわれそうだけど)
家の空間を会話で満たそう、
母の思っていることや考えていることを伝えておこう、
たくさん会話をすることで娘の知識や興味を引き出そう、できれば知的レベルがあがらないか...
そんなことも考えつつ、がんばってしゃべっていた。

今はGさんがいるからとっても助かっている。節電モードな母に甘んじるのを許されている感じ。
Gさんと娘の会話はすごい。(ってゆーかこっちが普通かも)
あんたら、ちゃんと考えてる?と思うくらい反応でしゃべってないか、とか思う。
食事中、私の頭越しに会話している。私は間に挟まれてひとりもぐもぐしてる。

つまり結局何を言いたいかというと、
いっしょにご飯を食べて会話をするってことはとても家族的なふるまいだと思うし
いっしょにご飯を食べたいと思えるような関係って素敵だな、ということなんですよ。
会話するってパワーがいる。それを家族のために使いたいと思うことって素敵だなということなんですよ。
でももう、”がんばって”じゃくて、
ゆるゆると会話も間も楽しめるようになった..ような気がするがいかがか。(かなり強引なまとめだ)


先ほどのTさんも母も、
二人とも家に帰ったら、残った体力をエネルギーに変えて使って、
それがしんどいと言える幸せをかみしめるてんですね、きっとね。

2011年10月24日月曜日

レッスンメモ12

今週は真ん中から3日間出張が入っていて資料ネタ作りとまとめを2日間でやらなければならない...、
けど今日はレッスン。
作業を明確に、時間を区切って4時半には終わらせるようにがんばる。(集中と気合しかない。)
仕事は、自分の満足するまでやろうと思えば時間はいくらあっても足りないのですが、自分のやりたいこと全てを相手が期待しているとは限らないので(←経験上、自分の興味と相手の期待していることはずれていることが多い)、要求されていることをはずさないように気をつけながら結論と必要最小限のデータをつける。枝葉は余裕があったら。(でも枝葉を考察するほうが魅力的なことが多いのですが。)

さて、レッスン。
先日の演奏会の帰り、偶然先生と駅でお会いしたのです。先生も帰るところのようでした。なんとなく不思議な感じがしていたので「観客と演奏者が同じ電車で帰るって、演奏者もそんなに帰るの早いんですか?」と、聞いてみたら、「帰るのはあれくらいのタイミングです。」とのこと。演奏会というとアマチュアは、片付けと打ち上げ~!で、帰るのはぐぐっと遅いですけど、そうか仕事が終わったら帰る、んですね...。
「ショスタコの5番ってお得感があって好きなんです。」と言ったら、「あ、そうですね!でも私は職場でやったのあれが初めてなんですよ。」とお返事が。「職場って?」と聞きなおしてしまいました。でも確かに職場なんですね。演奏をして帰るということが仕事の日常、私からするとなんか妙な感じ~。
「演奏会来て頂いてありがとうございます」、っていうのは、「ウチの製品買っていただいてありがとうございます、その開発に私も携わっているんですよ」、っていう感じなのかしらねえ。


(レッスンメモ)
・シマンドル P34、35
練習するときに気をつけようと心がけていることが4つあります。
①音程
②右手のアップの弓使い(丁寧にやさしく)
③弓と使い過ぎない
④音楽的に強弱記号とフレーズ

けれど、大抵①②を気をつけると、ほかの事が頭からすっぽりと抜けてしまい、丁寧にゆっくり弾くとボツボツと面白みの無い音符の羅列となってしまいます。この練習曲も4分音符が多いですが、どうにもうまくいきません。「ちゃんとフレーズを感じて弾きましょう。」

・オブリビオン
う、楽譜忘れてすみません..。でも暗譜している(上手くならないけど)。
2つの音符にスラーの場合は、後の音が大きくなることは、ほぼありえない。

次回は、
・シマンドルのエチュード30No6
 ・オブリビオン

 
■■■


この季節は栗きんとん、でしょう。
買いたてのほやほやで、写真がいまいち美味しそうではありませんが、この鎌倉「美鈴」栗きんとんは、めっちゃ美味しい。12月初めまでだそう。

娘と二人、うはうは。大事に一口一口かみ締めて食べる。




明日もがんばる。仕事もちゃんと間に合わせよう。(←綱渡り的)

2011年10月23日日曜日

小さいお店の話

夕方、Gさんと「タカシマさんが新しくオープンするお店に行こうか」という話になり。Gさんがいない時に勝手に誰かと行ってしまったら「ボクすねます。」と言うので、この機会に行っておこうか。
学校からまだ戻らない娘にメールしてみたら、現在立ち読み中らしい。
再度メール。
「たかしまさんのおみせにいこうかというはなしになったんだけどあめふりそうだしがいしょくばっかでしゅっぴもおおいしあんたはかえってこないし、よやくできるかはわからないしどうしようかっていうはなしになってるんですよ」
「すぐ帰るわ!!」

雨もなんとか降らずにとどまりそうで、お店に電話してみたら、席まだありますとのことで。
「ゆこうか。」
「よしゆこう。」

タカシマさんとは、ほかのお店で修行中のときからの顔見知りで、イタリアンのオーナーとなった時にも時々行っていたし、娘の中学入学祝とか、Gさんとの”一つ屋根の下お披露目会”もそこでやっていたのだが。もっとお客さんと密に接することができるようなお店をやりたい、ということで小さい小さいお店を開いたのだ。「深夜食堂」みたいなお店にしたいとのこと。
確かに「こんなのできます?」と聞くと「やってみます。」と返事が返ってくる。


駅からは行きにくいし小さいし、メニューは”卵焼き、スパゲッティ、なすのポン酢、こんにゃくのガーリック炒め...”と平凡でそれぞれが300円とか400円。ランチも高くて800円。もちろん出汁のしっかきいた薄味の美味しさは相変わらずで、なにより居心地がいい。「いまから高座豚やきますけど、食べる人います?」「はーい!」とか、知らないお客さんと「それ美味しそうですね~」「美味しいですよ。」とか、なんとなく話をしてしまいがちの距離感。楽しい2時間半となった。無濾過の日本酒(お酒の名前聞くの忘れた)がことのほか美味しく。

オープンしたては知り合いのお客さんが来るしテンションも高いし、だけど、ひとつの飲食店が味とスタイルを維持しながら続けていくのって、すごく難しいと思うし、地域にうまく根付いて落ち着いた繁盛の仕方をしてほしいなあと、本当に、切に思うのでした。
幸いにもうちからは運動になるわ~くらいの歩いていける距離なので、これからもよろしくお願いします~。


■■■
ピアノの置いてある部屋の掃除をした。
これどうするんだ?と思われるものがたくさん出てきた。
ビニール袋に入れてまとめて玄関の前において置いた。各ゴミの日に捨てなくては。
娘がそれらを見て「これ捨てちゃうの?」。
母「何ヶ月も使ってないでしょ。」
娘「でも使うんだよ。」

なんだか、もとに戻されそうな勢いです。

2011年10月22日土曜日

コーヒー豆の小さい話

毎朝、コーヒーを飲みます。豆を挽いて飲みます。
娘は紅茶派なので、各自がそれぞれに準備です。
ここ数日、豆が切れていたのですが買う時間が無かったり忘れたりで、数日朝飲めませんでした。

休日の朝は2杯くらい飲みたいしなー、今日はぜったい買って帰るぞ、とお店に立ち寄ったら。
なんで今日に限って50%OFFなんだ。めっちゃ混んでます。
買おうかどうしようか迷うこと1分。
お店の人が言うのはこのセールは2,3日続くそうで、つまりはこの混み具合は土日も続くわけですね。
てか、もっと混むかも。
ここでひるんじゃだめだと思い、コーヒーが並ぶカウンターの前まで並ぶのに15分、
カウンターの前でいつも買っている豆(炭焼きマンデリン)が売り切れだということを知らされ、うなだれ、
あとで混ぜれば似た味になるに違いない、と、イタリアンローストとマンデリンを1袋ずつ注文し、
さらに並ぶこと10分、レジでお金を払う。500円ちょっと。
豆が準備できるまでお待ちください、と、店の前で待つこと15分(みんな10袋とか大量に買ってるのを横目で見る)。
途中、買わなきゃ良かったと思いましたよ...。
40分以上待ってやっと手に入れた2袋を持ち家に帰りました。

私にとっては、500円の割引より40分の時間のほうが大事。
通常価格で買って、さっとさっと帰りたかったです。

あーあ、やっぱ買わなきゃ良かった、と、しみったれて帰りました。


日曜の朝、2種類の豆を混ぜて飲んだコーヒーはいつもとちょっと違って面白かったです。

2011年10月20日木曜日

会合

オフィスの大掛かりなリレイアウト、と、事務用PCも新しいのに変わったのでセットアップで1日つぶれました。最近のPCはなんだかギミックな感じ。モジュール化されていて、水冷ですよ。
もあもあと温かい空気が排気されるものの、風速が遅くて拡散されないから、足元がとても暖か。(冬はいいですね)

■■■
2年ほど別の部署に行っていた同僚が戻ってきたので、今晩は会合。
娘は行事で一泊なので、「Aniaさん、へべれけになっても大丈夫ですね!」と、いうことです。
いや、へべれけは困りますけどね、時間を気にせずに呑めますね。
会合メンバーの年齢は26歳から43歳まで(←それは私だ)、程よい年齢層でみんな機械系。
機械系ってひとくくりにしてよいのかどうか分りませんけど、私が感じるのは
ほどよく理系でロジカルな理論を好み、あら意外と大雑把、若干体育会系、すこしだけマニアックな、
まあ、居心地いい場なんです。
いろんな話をしましたが、〆の話題は「結婚ってどうよ。」と一人だけの未婚者からの問いかけです。
(この場合、私は既婚者の立場)
社会的に、生物学的に、覚悟とか責任なんかの気持ちの問題としての捉え方など、それぞれ違った切り口で語りあい、でも結局イベントに対する喜びやしんどさの振幅が大きくなる、相手に対する共感度が絶対的に大きくなるよね、ということとなり、総じて「結婚っていい。」となりました。

もちろん私も「私も結婚よいとおもうわー。」と、最長老として収めました。


2011年10月19日水曜日

いろいろ思うことがあった

のだが、もう眠いし、またいつか書こう。

2011年10月18日火曜日

境界条件

今日は、積み上げられた黄色の構造要素の四面体が崩れてきて、うわーと言って逃げる夢だった。
風呂の中のことである。

自然界の自然法則でつりあっている物理現象を、簡単な数式でモデル化することがある(仕事上)。でも、うっかりモデル境界に条件を作るのを忘れてしまったりする。または形状を離散化した要素で構築しても、たった一個ねじれた、またはきれいじゃない要素が混じっていたりする。そうすると、その部分から力やエネルギーの平衡が保てなくなり、自然界ではありえない数値でバランスしてしまう。そして発散する。きっちりと現象が迷わないようにうに端っこの境界を決めてあげないと安定しないのだ。

何回か試行錯誤しながら、時には修正し、全体のモデルをバランスさせてゆく。


■■■
先日、娘に言われたことには。
「かーさんは、結局は理系に戻って勤めてるでしょ。普通高校に行ってたら、希望の大学に入れたかもしれないのに。なんで高専になんていったの?」
「うーん、(あれれ、なんでだっけ?)、あ、成績で輪切りにされてみんなで行く高校には行きたくなかったんだよね。地元の高校に行くのがいやだったの。」
「え。それだけですか?安直というか単純ですね..。もう少し先のことを考えたらよかったんじゃない?今だったら普通の高校行けばよかったと思う?」
「ああ、そうねえ。今だったら普通の高校行くかもね。」
「そうですか。そして、私は生まれない...と。」
「あ、そりゃまずいわ。アンタを生むために高専いったんだよ、きっと。でも、今はさ、その経験を生かして、キミには大学にいきなって言ってるでしょ。だから中学受験させたんですけど。」
「ふむ、そうか。そうね。」

生活においても、いろいろ経験して試行錯誤しながら時には修正し、全体のモデルをバランスさせてゆくのだ。これからだって境界条件(全体を規定する法則)の修正は入っていくはずだ。



あ、そういえばどこかで、会社では数学なんか使わないなあ、って書いたような気がするけれど、使ってます。関数いろいろ、ベクトルの計算、微積分とかとか。あんまり使ってるって意識してないけど。

2011年10月17日月曜日

寝技

寝ていても会話できるやつなのだ。
それも一応つじつま合うからたちが悪い。

娘の毎日数学30分は一応続いている...。
返されたテストを手に、決意も新たにしたらしいのだが。
(答案用紙は「今回ばかりは勘弁してください。」と見せてもらえなかった。)

夜、母がiPodに新しい曲を詰め込みながら言う。
「これ終わったら私が風呂入るから。」
「うん、分った。私寝ちゃうからコレ終わったら入る。」(←娘、部屋から。)

と言い合って3分後、風呂で寝ていたやつ。
すでに部屋でも寝ていたらしい。夢遊病かよ。

「私がお風呂入るって言ったのにぃ!!!」

2011年10月16日日曜日

アラビアの夜の種族

古川日出男の「馬たちよ、それでも光は無垢で」と注文する時に、一緒に買っちゃった本。
それも一巻だけ。

読み終わって私が言いたいこと。
「この本を読むときには、3巻手元において読みましょう。
巷に落ちているレビュー(ネタバレ解説)は読まずに、まず読みましょう。」
 
私が本を読む時、特に小説を読む時には、場面場面が色付きでアタマに浮かぶのですが、
夜の色を背景にした鮮やかな、時にサイケデリックな色がずっと続く。
言葉にもきらびやかな色彩があるのだ。



アラビアの夜の種族










聴きたい者の前に、物語は姿を見せる。ナポレオンのエジプト侵攻をくい止めるため、奴隷アイユーブが探しだした「災厄の書」。そして、物語が現実を浸食し始める--。
聖遷暦1213年。偽りの平穏に満ちたエジプト。迫り来るナポレオン艦隊、侵掠の凶兆に、迎え撃つ支配階級奴隷アイユーブの秘策はただひとつ、極上の献上 品。それは読む者を破滅に導き、歴史を覆す書物、『災厄の書』―。アイユーブの術計は周到に準備される。権力者を眩惑し滅ぼす奔放な空想。物語は夜、密か にカイロの片隅で譚り書き綴られる。「妖術師アーダムはほんとうに醜い男でございました…」。 日本推理作家協会賞&日本SF大賞受賞作 (amazonより)

■■■
それにしても、古川日出男の選ぶ言葉の繋ぎ方はどこか土のような匂いがする。似てないけど佐藤賢一の本を読んだ時と感じた匂いに似ている。東北の土の匂いなのか。私が東北出身だからくくっちゃうのか、それはわからないけど。

2011年10月15日土曜日

発表会レッスンメモ2 それからショスタコーヴィチの夜

発表会用のレッスン。
1時間ずっとオブリビオンとギターとあわせる。(先生、アコギ弾いてくれる)
ギターとあわせるのもなかなか楽しい。
でも1時間ずっと、弓のアップの音について。
どうしてもアクセントがついてしまうので、優しく弾こう、とか、スラーにしたらとか...。
右手、どういう練習がいいんだろうか。

オブリビオン、もう1年くらい断続的に練習しているけど、同じところがずっと出来ない。

■■■
その後、Mさんと東京交響楽団のコンサートを聴きに昭和音大のホールまで。
ラフマニノフのピアノコンチェルト2番(ピアノ:横山幸雄)とショスタコービッチの5番というちょっとミーハーなプログラムである。Mさんはここんとこ休日もずっと会社に出るという超多忙な生活なので、ここらで休憩はどうよ?と誘ったのだ(しかし、土曜の今日もやっぱり会社からやってきた)。
軽く夕食をとった時には「ごはんたべたら眠くなるかもね~。」とか言ってたのだが...。

私たちの座った席からはピアノの鍵盤が丸見えだったので、その職人技的な指の動きに目が釘付けとなり、ショスタコ5番では、聞きどころてんこ盛りのこの曲をずっと力を入れて聴いてしまったので、終わって「聞くのも体力いるよね~。」と言い合った。
弦のアンサンブルにぞわぞわし、特にpが何個かついていそうなヴァイオリンのトレモロの緊張感、そして金管のファンファーレ...。ショスタコの5番、実は大好き。ライブで聴くと4楽章ずっと飽きないんですよ。眠るどころか目ぱっちり。
しかしながら、横山さんのアンコールの後、携帯の着信音が鳴り響いたのだけがね...ちゃんと電源切っとけ!(アンコールの「マリア~バッハ=グノーの主題による即興」の音の響きが面白かったので、amazonで探したらCDがあった。クリックしてしまった。)

オーケストラも生がいいです。 また聞きに行こう。


2011年10月14日金曜日

Je suis fatigué.

はっと気がついたら、20時過ぎてて雨が降っている。ようやくエラーがなくなって計算しだしたところ。ジョブ投入。これで休み中も元気良く働いてくれるにちがいない(マシンが)。

娘は傘を持っていないので(いつもは濡れて帰ってくるか友達に借りるか、100円傘)、もう帰ろう。そして塾へ迎えに行くことにした。娘は仏語を習っている。本人がどうしてもやりたいというのと、語学がダメな私にしてみれば、自ら習いたいという気概を前に、それだけで「あんたすごいわ」と、つい習わせてしまった。
しかし、この時間とお金が彼女の血と肉になるのか、はたして。(いや、ぜひ少しでも母へのリターンとならないかな、と甘い夢をあきらめきれてない。)

ついでに携帯も忘れていったので、塾に電話して迎えに行くので待たせてもらうように連絡した。
レッスンが終わる時間に少し遅れて迎えに行ったら、娘は仏語の先生(在日仏人)と和やかに歓談中。母がコントラバスをやっているのを聞いて、先生も若い頃ウッドベースをやっていたあたりの話のようだ。
「親指の付け根のところに筋肉がつくんですねよ。拍手するとき、ぐっと力はいりますよね。」
「あ、それは”握手”ですね!」

仏語では”h”を発音しない(例外はある)から、hのつく言葉を意識して発音するうちに、どっちだったかなと混乱してくるんだそうだ。おもしろいな。それにしても先生は日本語ぺらぺらなので、ハとアを逆にしても流暢に間違えるのでよけいに面白いです。

帰り道。今日もおなかがすいてるわ、めっきりつかれてるわで、言葉少ない母に、
「”つかれてるの”ってゆーのは”じゅすぃふぁてぃげ~”って言うんだよ。」
といわれて、ぶつぶつ繰り返しながら道を歩く母。
スーパーの30%OFFのショーケースを見て、「よし買おう。」「うん買おう。」

■■■
Gさん、帰ってきて「パリパリ伝説 6」をめっさ集中して読んでた。
そしてうたた寝してる。

2011年10月13日木曜日

彼女の気力では睡魔に勝てなかったらしい

朝ごはんのとき。
「週末は出かける。ショスタコーヴィッチ5番とラフマニノフのピアノコンチェルト2番だよ。」
「なんだそれは。呪文か?..あ!!、そういえばさあ、パリパリ....」
娘がはっと思い出したように言う。
「え!出てたの?新しいの?買わなくちゃ。」
「私が買ってきてあげてもいいよお。」
「いや、出張に行く時買うよ。で、帰ってくるまでに読み終わるからさ。」

外国暮らしエッセイ漫画ではかなり好きな「パリパリ伝説」。6巻が出たというので即買い、新幹線にて読む。
「Aniaさんが漫画ってあんまり想像できないですね。」
って、言われたけれどその”冗談”に笑っちゃうくらい漫画読みます。
漫画のエキスで育ったかも、というくらいです。
一定期間読まないと、読みたくてamazonの森を徘徊します。

佐藤史生の「死せる王女のための孔雀舞」とか好きだったなあ...って、前に感想書いてました
  
そして今度は、娘に七生子のような健全さを願う。
って書いてますが、違う部分で似てきちゃったな、うーむ。
佐藤史生さん、お亡くなりになっていた。もう読めないのか、残念。

■■■
3日坊主か、娘よ。
夜ごはんを食べた後しばらく見守った後、母は練習室にこもって40分。
そろりと娘の様子を覗いてみたら、彼女の気力では睡魔に勝てなかったらしい。
「ううん?問題やったかどうか記憶がない。」
ろれつが回ってないよ、キミ。
もちろんやってない。問題数にして10問くらいなのに。

自分でやると決めたからには、きっちりやってもらいましょう。
とはいうものの、今ごろ風呂で寝ているに違いない。
(何故あれほど眠いのだ!)

2011年10月12日水曜日

モラトリアムな夢

水の中は気持ちいいけどバランスがとれない。

誰かがドアの前に立っている。膝より少し長いスカート。
アパート2階の端から2番目のドア。
陽はお昼を少し過ぎた色で、ドアの前は日陰になっている。
この陽は、少しあせた、子供の頃に嗅いだにおいと同じだ。

懐かしい。懐かしくて胸が痛い。
今より時間がゆるやかで分刻みじゃなかった。
時間の扱い方と若さって関係があると思う。
強い既視感。
懐かしい...。痛い。かなしい。
陽の、土の匂いがする。
懐かしくて、きりきり痛い。

..はっと、我に返った風呂の中。
なに風呂の中でせつなくなってるんだか。


■■■
確かに気持ちよくて居心地いい場所はバランスをとるのが難しい。
時間を贅沢に使った。その頃の特権だ。
確かに時間がよどんで流れていた頃ってあった。学生の頃だな。
その、一瞬の夢を鮮明に覚えていたのは、
今日の娘のセリフ、「時間ってほんとに無い」を聞いたからかもしれない。
語学塾を終えた娘と待ち合わせて家に帰り、しょぼい夜ごはんを食べた後、
宿題と、約束の数学を終わらせると確かにもう何もできない状態だ。(もう眠くてめっさ機嫌悪いし)

時間に沈んで過ごせる日っていうのも、いつかやってくるかもしれないさ。
思い返すと、贈り物みたいな猶予期間だった、母の場合。

2011年10月11日火曜日

レッスンメモ11

明日から2連荘で出張なので、朝は30早く出社しマシン部屋にこもる。
それから9時間。
兎に角。明日の分の資料は作ってあとは口で補足しよう。
夕方5時に、無理くり会社を出る。

【レッスンメモ】
・シマンドル P32 7,8
いつも言われるように、右手、右手、右手。
弓のスピートを一定に、弓の先に行くほど圧力かけないと弦に一定の圧力がかからない。
・シマンドル 30エチュードNo.5
これも右手。
・バッハ アリオーソ
実は、この曲は練習したのだ、かなり。
しかし、「では通して」となると練習したことをすっぽり忘れてしまって、もうどうにも立て直せない。
確実にポジションを押さえる。8分音符は走らない。音をきらない。弓のスピードは一定に。
(家ではそれなりに出来てたのに)いざ「やってみて」となると全然出来ない。
悔しいのでもう一回見てもらうことにした。
・オブリビオン
弓の確認。

【宿題】
・シマンドル P33~35
・シマンドル 30エチュードNo.6
・バッハ アリオーソ(次はグノーのアヴェマリア)
・オブリビオン

■■■
今日は火曜だった。生協の宅配が来てるのをすっかり忘れて、買出しちゃった。
二人で夜ごはんに、モツ煮と巨峰をほうばる。なんか妙。


夜ごはん後、娘は約束どおり数学を30分。
母は見てるだけなんだけど、これまでずっと夜ごはん食べて練習室にこもっていたから、
見守る時間があるってゆーのはいいのかも、とか思ってしまう。
でもまあしかし。
数学のあと、英語の宿題をやりながら娘はノートに突っ伏して寝ていた...。
(何故あんなに眠いのだ?)

明日は出張で朝早いから、お昼はパンもってってね。

2011年10月10日月曜日

連休最終日の...

「ちょっとー、あのさ、せっかく外側の酸化した部分と内側が同じように入るように切り方変えたのに、また、変えて内側から食べてくわけ?」
「え。だって、内側のほうが美味しいじゃない...」
「あんただけ食べるわけじゃないし、私も私のペースで食べたいんだよ。これじゃ、外側のあんまり美味しくない部分が残っちゃうじゃない。分かった、半分切って、もらっておく。これは私の分だから。食べないでよ。あんたって好きなものは気がつくと全部食べちゃってるじゃん。私は、ゆっくり味わって食べたいもん。」
「うー、ごめん。」
って、ウブリアーコというチーズの取り合いをする母と娘である。二人ともコレが大好きなのだ。
本人たちにとっては重要なことなんだけど、こうやって書き出してみると小さいねえ会話が。

■■■
3連休の最後の日。
娘、充分遊んだ最後の日に、成績表を見せられた...。
...数学の成績、声にならん。
「学校にいる間は、学校の勉強が大事ですから。この数学成績が上がらないようだったら、習い事とかやめてもらいます。塾通ってもらおうか?」
「分った。毎日問題解く。」
本人的にもこりゃやばいという成績で、母にとったら、怒るよりも気がぬける、感じ。

食事の後コントラバス練習するよりも、その分30分でも勉強するの見張ってたほうがいいのかなあ。でも、もう中3よね、私が中学の頃なんか親は子供の勉強になんて一切関知しなかったもんな。あ、練習時間より、ブログ書きの時間を削って勉強見ようかなあ。
...ってぶつぶつ言ってたら、いや、それだったらブログで進捗書いたら?と、Gさんが。

数学(高校までの)ってただ漫然と問題といてても身につかない気がするんだよね。公式をおぼえる理由が分かること、公式の意味が分れば最悪公式導けるし、あとはパターン暗記でいける問題も多かろうと思うんだよねー。そこんところまでは一緒にいたほうがいいのかなあ。数学が出来ないという結果じゃなくて、数学って全然だめーってそこで投げ出す姿勢の方がさ、そこんところがイヤなのよね。理系じゃなくてもいいから、まずは平均くらいまではがんばってみようよ。

そんなことをだらだらと垂れ流す母。

■■■
「世界最速のインディアン」のDVDとGさんと見た。
スポーツ観戦のような面白さ。味わいは..喫茶店で食べるナポリタンみたいな、一直線の美味しさがずっと最後まで続いて、時々無性に食べたくなるのよね、的な。


2011年10月9日日曜日

「猿の惑星:創世記」よりもTEMPOと ロッソGの幸せ

映画を見ようと物色。娘は「ツレがうつになりまして」じゃない?と言うが、Gさんと行くなら「猿の惑星:創世記」だろう。

見たらうーん...、大味だった。
Gさん的にもイマイチらしい。

最近ハズレが多いせいか(ってか、好みの最大公約数をとった映画選定だからだな)、情緒とかファンタジー性とかを加味した映画が見たい。どうもそれは英語の響きが邪魔をするんではないか(かなり主観的強引な推測)。個人的に仏語とか伊語の響き、または日本映画の盆栽的な広がりの映画の方が好み。


イタリア食品展へ行く。
生ハム、サラミ、オリーブオイル、リモンチェッロ、ブラッドオレンジジュース、ワイン着けチーズのウブリアーコ、ワインとかとか...買い込む。
特に好きな味のオリーブオイル(ロッソG・グランクリュ)が見つかり、大瓶で買う。娘がそれを一口なめた顔(←どこかへ行ってしまった顔)がすべてを物語るくらい、美味しい。値段も張るので「パン専用ね。よろしく」。
青臭い香りのオリーブオイルが大好きなのだ。

美味しいものをたくさん買い込んだ時って、ああ、なんて幸せなんだ。そうだ、この幸せを得ることをモチベーションに毎日がんばって仕事しよう、と、美味しいことの幸せをまたまた再確認。



夜飲んだワイン。ふくよかで果実実あり。

2006 MORELLINO DI SCANSANO TEMPO / TERRE DI TALAMO
セパージュ:サンジョヴェーゼ85%、アリカンテ10%、カベルネ・ソーヴィニヨン5%

トスカーナ州のキャンティ地区の近くで、サンジョヴェーゼ主体で造られる 「モレッリーノ・ディ・スカンサーノ」。 キャンティというよりも、 「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」の小型版の位置づけらしい。

テッレ・ディ・タラモは、トスカーナ州南部、マレンマ地方のアルジェンタリオ海岸を望むゆるやかな丘陵地帯。32haの畑には、サンジョヴェーゼをはじめアリカンテ、ヴェルメンティーノといったイタリアの土着品種に加えてカベルネ・ソーヴィニョン、メルロー、シラー、ヴィオニエなど多岐にわたるブドウ品種を栽培。




2011年10月7日金曜日

やはり今日も鍋

仕事つまってます。
いつもより早く出社して17:00のおやつも無いくらい。
(でもしっかり3連休。)

夜はビール飲んだら瞬寝。
ベクトルの内積を計算する夢をみた...。

2011年10月6日木曜日

メリとハリのメリ

眠るのにはいい温度になりました。眠いです。
お風呂に入ると血管がにゅっとひらいて血圧が下がるそんな気配がします。
意識失います。あ、これは季節に関わらずですね。

夜、習い事帰りの娘と待ち合わせて家に帰ろうということになりました。
「おみやげ~。ワッフル。紅茶味と栗味の。」
「おお。」

今日はキムチ鍋のはずだったのですが、家ついたら9時です。
これから鍋作るけど、食べる?食るなら作るよ。
いや、もうワッフルあるし、ブロッコリーも残ってるし、あ、紅玉もあるからそれでいいよ。
ということで、本日の夜ごはん。
娘:ブロッコリー、林檎、ワッフル、ボローニャソーセージ(ごく薄切り)、かぶの漬物。
母;林檎、ワッフル、冷凍ハンバーグ、かぶの漬物。
それらがタッパーに入ったままあるいはパックのまま、林檎は山盛り、
テーブルから各自でつまんでいます。


注意;よいお母さんは真似しないでください。


ごはん中、ハンバーグはどんなのが好きか、の話になりました。
娘は牛乳で湿らせたパン粉とみじん切り玉葱を多めに入れたふわふわハンバーグが好きらしい。
私は、割りとがっしり肉の味がするハンバーグが好きなんだよなあ。意見が分かれるところ。
つまりは自分で作るハンバーグが好き、と。
これからは食べたい人が作るってことで。


■■■
今朝はいつもより遅く家を出ても間に合う。
いつもは見ないテレビを見ていた。

ティーブ・ジョブズ亡くなるのニュースを聞く。
手のひらに”楽しさ”を乗せることができる、すごい人だったと、思った。



2011年10月5日水曜日

お布団の温度が好き

ほぼ毎でブログを書くようにしているのは、
日々の小さい違いを書き留めておこうという、一種のボケ防止のためでもあるのですが。
何かものを書くということは、何かの出来事について考えたり
ちがう意見を見聞きしたりしてまた考えたりと、考える”間”が必要になってきます。

仕事が立て込んでくると、なかなか立ち止まって考えるということができません。
いや無意識に考えてはいるんですけど。
考えているのは、明日のプレゼンのポイントは?とか、プレゼンのシミュレーションやっていたりとか、
大量のデータの評価方法を考えていたり(時には夢に見たり。エクセルのセルに追いかけられたりとか)、
マクロ作ったほうがいいかな、とか、なかなか書きにくい事柄になってしまいます。

まあ、だからネタが無いなあ、というつぶやきなんですけどね。

そういえば「残念な人の仕事の中身」という本が妙に気になり、amazonのカートに入れっぱなしです。

■■■
昨日は仕事をさくっと切り上げて帰ったわけで、
そのおかげか今日は17時過ぎでも佳境、19過ぎても佳境、
で、無言で手を動かしていたらブルブルブルっと携帯が震えました。
「今日は何時に帰ってくるの?」
「むー、わかんない、まだかかる。」
「ふーん、ま、いいや。あ、いやね、夜ごはん作っといたから。」
「おお、ありがとう。」

娘からの電話でした。
嬉しいねえ、家に帰ってご飯が出来てるのはほんとうれしいよ。
たとえ、リビングに制服(冬服)、2階の廊下に制服(夏服)が転がってたとしてもだ!

こういう時には「片付けようね。」と柔らかな言い方になってます。(本人比)

2011年10月4日火曜日

秋のソース

作るならやっぱフルーツのケーキよね、とレシピ本を読んでいた娘と話すのは食べ物のこと。
秋だったら桃はもう遅いよね、林檎とか?無花果も美味しいし。葡萄かあ~。
葡萄といったらさあ...葡萄ソースよねえ、ああフォアグラ食べたい。食べたいねえ。
食べる?!
ああ、でもさ、仕事がさあ、山盛りでorz。

■■■
会社でむしゃくしゃ状態が重なり、ああダメだ今日は夜ごはん食べに行こう、
と、心が決まったのは夕方5時ちょっと前。


娘と待ち合わせて、ご飯を食べに。
ねえ、カメラもって来たよ、と娘が。お、準備いいねえ。
でも、今日は写真とらないで食べるに集中したら?
そうだね。

前菜とフォアグラ(今日はトリュフソース)にソーテルヌをあわせて、鴨の無花果ソースにはメルロー。
最後に、お店からプレゼントといただいたコニャック漬けのレーズンがことのほか美味しくて。

よし、明日もがんばるぞ、おー。

2011年10月3日月曜日

ダブルキャベツ

今日の夜まで、3連食でカレーだ。
でもみなさん、3食カレーとなった(手抜き)事実ではなく、
3食連荘でも絶えうるカレー品質であったことに感謝しましょう。そうしましょう。

日曜の夜、カレーに入るゆで卵が好評につき、
「はい、割り当ては一人2個ですよ。」と寸胴鍋でカレーを作った。
Gさんは卵2個食べる。「だって明日は食べられないしー。」
母と娘は1個ずつ。「明日残りの1個食べるの。」

月曜の朝。
朝カレーってゆーのはヘビーな感じですが、うちは朝から焼肉も食卓に上りますから。
ってか、カレーみたいなカロリー高いものはなるべく朝に食べたい雰囲気です、私たちの間には。
母と娘、残りのカレー卵を食す。

月曜(今日)の夜。
仕事で少し遅くなったので、家に電話して「お惣菜でも買って帰ろうか(←またかよ)」と電話したら、
「あ、夕食作った。えっとキャベツのカレー炒め。」
「ああ、ありがとう!」
そう、たとえ卵かけご飯でもごはんが準備してあるっていうのは嬉しいものなのです。
カレー味でもね。
帰ってみたら、キャベツがカレーの中に埋没している、キャベツのカレー炒め。

二人で食卓に着き、横を見たらば、
「おや?キミは普通のカレーも食べるの?」
「そう、キャベツのカレー炒め、カレー乗せ。」
「ダブルカレーか...。 ふふ。黙っていたけどね、
もともとそのカレーの中には、キャベツも入っていたのだよ。玉葱と一緒に炒めたのだ。」
「えぇっ!!じゃあ実はダブルキャベツのカレーじゃん。」
「まあ、ただのカレーってことだな。」


ああ、ここまでカレーカレーって書くと、カレーって言う字が崩壊してきますね。
こんな簡単な図形なのに”カレー”ってなに?ってゆー文字のゲシュタルト崩壊状態です。

2011年10月2日日曜日

なんでこんなにたくさんあるんだ?

いつもの休日。
娘は日曜は絵を習いに行っていて一日家を空けるようになり、
その間ゆっくり掃除(←ルンバが...でも途中で充電切れた)。
アイロンがけは結構好きなのでマニュアルで。
ついでなので洋服の整理をした。
洗濯しまくって縫い目がよれてナナメになって着なくなっていたカットソー類を一掃した。
ら、服をしまってある3段引き出しの1段分が空になった。
どんだけ少ないんだ、服の量。

今年は必要なものは買うぞー(小さく決意)。

■■■
鉄は熱いうちに、と思って娘の数学用の問題集を買おうと探していたら、
中高一貫用ってどんなのか、が分らん。
チャート式しか知らない母は数研出版あたりを見てみるも、何が対応しているのかがさっぱり。
高校数学ってやってないからなあ。

「あ、ほら、教科書にⅠとかⅡとか書いてあるでしょ、これって対応じてるんでは?」
「そうかなあ」
とか言いつつamazonをあさる。
よく分んないからまた後で調べてみよう。(←ちょっと面倒になってる)
「ねえZ会に入ってみる?数学だけとか?」(きって合ったモノを送ってくれるのでは?)
「なんでZ会が出てくるわけ?駿台だってあるわけでさ。いや、現実にはそんなのやらないけどね。
だいたい来年から毎日数学あるんだから、学校の問題集を毎日やるだけで手一杯でしょ。
まずはそこからじゃない?」
「ふーん、分った。じゃあ、キミが学校の問題集をやってる間調べてみるよ。」(とりあえず時間確保)
「いや、だから、問題集買っても手まわんないって。」


...うぃ、了解っす。

2011年10月1日土曜日

休符

テストが終わって晴々顔の娘である。
「今度から、数学勉強しようと思う。勉強する!」
つまりは、今回のテストの手ごたえとして、
まあいっか、を通り越して、
落ち込んだ、を通り越して、
あきらめる、も過ぎて、
あんまりにも出来なかったから、勉強しないとまずい、という気になったらしい。
「じゃあ、学校の問題集以外に問題集買う?」
「お願いします。」
とのこと。

「あのね、私は数学は出来ないけど、数学できないから文系ってわけじゃないんだよ。”数学できないから文系っていうのは安易だと思う”って、かーさん言うけど、それって文系をバカにしてるでしょ。私は国語が好きなの。少しは得意なんだよ。だから文系科目の選択にする。でもあんまりにもできないから、数学やる。」
らしい。

それでもさ、何かあったときのために(”何か”って何かはわかんないけど)、数学はやっといたほうがいい。日常生活で使わなくても、私だって仕事でほとんど学校の数学なんて使わないけど、でもやっといたほうがいい、と言ってしまう。なんでかなあ。数学とか物理とかって学生時代にやっとかないと、専門に勉強するのでなければあとは親しむ機会ってもうないような気がするんだよね。異世界(?)的な理の話に触れる機会があるなら触れたほうがいい、と思うんだよね。


■■■
髪を切った。
最近、仕事が立て込んでいるので、その後すこしだけ出社しようと思ったけど、
娘と待ち合わせることが決まった瞬間、戦闘気分はどこかに行ってしまった。
いや、”やらなくては。でもやりたくない”の、やらなくてもいい大義名分を待っていたのだな。
待ち合わせの後、カフェでお茶をして、新しい総菜屋さんを二人で開拓し、パンやさんにより明日の朝ごはんと茶菓子を買い込んだ。
「ああ、こう食べ物が手元にあると充実してる気分よねえ。」
「ああ、まったくだねえ。でもさ、この充実感と同じくらい、やっちまった感もあるんだよ。金使ったなっていうさ。こういうタイミングであんたがお金を無駄にしたりするような話になると、とたんに機嫌悪くなるから気をつけなよ。」
と、好き勝手言う母である。