2010年11月29日月曜日

教えるコストに見合う効果を見積もるのは難しいですね。

朝、会社めざして歩いていたら、
スーツを着たお父さんと幼稚園の制服を着た男の子が手をつないで歩いていた。
お父さんは、何度も何度も繰り返す。
「酸素、二酸化炭素、酸素、二酸化炭素。」
男の子も続いて何度も何度も繰り返す。
「酸素、二酸化炭素、酸素、二酸化炭素。」

むむ?空気の組成でも教えているのかしら?
あんな小さいときから?
ちょっとやりすぎとちゃう?

...なんてちらと思ったものの、自分の時を振り返ってみよう。
小さい子が覚えるのが面白くて、私もよく教えてたっけ。

これはね、スパゲッティーじゃなくて、スパゲッティーニ。
この太さはフェデリーニ。
こっちは カペッリーニ。
平べったいねリングイネ
ペンみたいなペンネ。
太いリガトーニ。
蝶みたいでしょファルファッレ。
・・・

特に料理が好き!とかパスタに凝っていたわけではなく、
小さい子が不釣合いに覚えるのが面白くてねえ。

パスタの次はチーズとか紅茶の種類とかも教えてみたり...。

それが母の不幸なのか、やたら食べ物にうるさ系の子供に育ってしまった。

「かーさん、これ失敗したでしょ、残していい?」

娘は、母の調理実験失敗を見逃すことは無い。
”その甲斐あって”と言えたらよかったのに。


2010年11月28日日曜日

特別は自分だけ、がいいらしい。

先日、生協の冷凍ネギトロを、朝ごはんに娘と食べた。
ネギを追加で刻んで入れて丼にすると美味しいんですよ。

別の日、まだネギトロが残ってたので、
ネギを刻んで加えて丼にしてGさんに出した。

「えー、なんでGさんにもネギ刻んでるわけ?なんで特別なの?」
「えーアンタにだってネギ刻んで入れたじゃない?」
「なんで私だけ特別じゃないのかってことだよ。」
「いいじゃん、二人に特別なんだよ。」

なんだか兄弟げんかみたいですよ、あんたたち。

■■■
今日は、ヴァイオリンのコンサートに誘っていただいたので聞きに。
(当日までどんなコンサートか知らなくて申し訳ないです。)

いやー、楽しかったです。
バイオリン×2+ピアノって華やかで良いですね。


2010年11月25日木曜日

絶対と相対 二元と多元

気分がふさぎがちな時には、自分の失言がいつまでも気になりますな。


人の数だけ思考回路が違う、当たり前だけどつい忘れがち。
でも人の数だけ現実がある、なんて誰でも同じように考えるとは限らないし。
処理回路が違う、見えている現実が違いすぎると理解しあうことはもはや不可能なのかなあ。

沈黙は金、もしくは...。




2010年11月24日水曜日

腑抜けになっている暇もないのだ。

もうすぐ12月、師走ですね、みなさん。(って誰に対して?)
12月といえば、給与所得控除の時期です。
住宅ローン控除もあります。資料提出です。
去年の税務署への提出資料よりはるかに楽ちんです。

明日も明後日も出張だし、だから連休中に記入したのを今日提出しなければ。
忘れずに提出しなければ、と思っていたのに...
会社の門の前まで来て忘れたこと気が付きましたorz。

忘れないように、携帯置き場の携帯の下に忍ばせておいたのに。
忍ばせておいたという消極的な置き方ではダメだったようです。モウロクし始めてます。
今日提出しないと間に合わないので、取りに帰りましたよ、家まで...。朝2往復ですよ。

家に着くと確かに携帯置き場のあたりに薄っぺらい紙がありました。
そしてそれを取ろうとブーツを脱ごうとした瞬間、


...足がつりました。

でも無言で耐えました。
息できませんでした。
「イッテクルヨ。」と、チャイの鳴き声だけがリビングに空しく響きました。

私は、もうダメかもしれません。

フレックスぎりぎりで出社したら、不幸のおすそ分けメールが届いていました。
今日はいったい何の日なんでしょうか。


■■■
(メンタル面での)つらいこととか悲しいこととか、
その問題の本質って結局は自分に帰着するから、
自分自身でしか解決できないと思うんですよ。
自分自身をどう納得させるかだと思うのですが、どうでしょう、
...と自分につぶやく。

2010年11月23日火曜日

職人の技


休日なのに5時15分起き...(-_-;)。うちは農家かい。

部活に出かける娘を起こし、一緒にご飯を食べ、そして送り出し、ゴミだし、洗濯、掃除機がけ、雑巾がけ、洗濯ものをたたみ、生協の注文をすませ、アイロンをかけ、9時半。
意外にも発表会の失敗のダメージが深く、コントラバス練習は今日までお休みだい、ってな気持ち。
世の中はお休みですよ、私なんか4連休なのに~。家の中は誰もいません。

思い立って出かけました。
私の音楽と読書以外の趣味を一人で実行すると、なんだか家族からヒンシュクっぽいんですけど、
一人しかいないんだもん、いーじゃん、と、はじめに防衛バリア。
(でもメモりたいからね、メモしておく)


電話したら、「お席まだあいてますよ。」と言われて、正午、イイダさんのお店に。

レバーのサラダと、豆のズッパ。

「ワインをきっちり合わせてください。」とお願いしたら、
「一杯だけ、がつんとしたのがあります。」「じゃそれで。」即答。

出てきた白ワインを一口、口に含み、...至福です。血管を幸せエキスが瞬時に浸透していく。
バランスもいいけど、なんというか質がいいっていう味なんですよ。大事に大事に作られたワイン。
なんて表現したらいいんだろう。雑味がない上澄みのエキスを飲んでいるような。
そして香りがすばらしくいい。

「これ、いいでしょう。私は飲んだ時、ショックを受けましたよ。こんな味ないですよ。これね、イタリアじゃないんです。ギリシャのワインなんです。樹齢80年の葡萄から作られてます。」
「はい~。こういう味ってごく普通っぽいですけど、無いですね、香りがほんとすばらしくいいです!」
お野菜にも、パンにも、オリーブオイルにも合う。
くんくんとずっと香りをかいでました(ヘン?)

さて、レバーには、 ん?
「えっとー。レバーの鉄っぽい味とちょっとずれる感じですね。」
「あ、そうなんですよ、分かります。ではレバーにあわせますか?」「はいお願いします。」即答。
「どんなのかいいですか?」「あまりがつんじゃないのでお願いします。」「了解です。」
で、出されたのが、テーブルワイン。
「レバーに、ぴしっと入りますよ。飲んでみれば分かります。モンタルチーノのワインです。
ブルネッロだと高いですけどテーブルワインですから。でもとてもいいワインです。」

一口のんで、レバー口に含んであわせてみたら、声にならない。
ぴしーっと入りますよ、の意味がこの時自分の体を通して了解されました。

言葉が出ない、私のこれまた至福の表情(笑いが止まらない)を見て、イイダさん、笑顔の一言。

「これがお仕事なんで。すみません。」

ソムリエというお仕事は人に幸福を与える仕事だな、と改めて思いました。
高いワインじゃなくて、好きな味とかお料理に合うとか気分とか天気とか、そしてお財布の軽さとか、そんなことがぴったり合う提案をする、ほんと職人技ですね。

もちろん自分のお店を経営するからには営業上の苦労とか、人対人のサービス業だしいろいろご苦労もあると思うけれど、少なくとも私はこの短い間にお料理とともに幸せをいただいています。
こんなひとりの時間を持てる贅沢を味わっている。(家族の皆さんありがとう!すごくお安く済みましたのでご心配なきよう。)

お値段は非常にリーズナブル。
要は料理とワイン(そして温度)の相性だよな~。
お店の畑で育てたお野菜もきちんと味を主張していました。

ちなみにお店は本日も満席でした。


[ヴァン・ド・ターヴル・エフラノール2008]
品種:Mantzavrata(マンツァヴラタ)産のモスカトラ70%,Kechrion(ケヒロン)産のヴロスティリディ30%
樹齢:ヴロスティリディ(80年)、モスカトラ(50年) いずれもフラン・ピエ
収穫量:32hl/ha (1株1.8kg)
植密度:2800-3000株/ha
仕立て:ゴブレ式(短梢剪定)
土壌:丘の上にある小石混じりの砂質、地下は石灰質、チョーク、粘土質
熟成:タンクで6ヶ月
栽培方法:ビオロジック栽培



○ドメーヌ・スクラヴォス
ケファロニア島の西部の一角にある半島に、ヴラヴィ・スクラヴォスは小さなドメーヌ4,5ヘクタールの畑を所有し、2~3ヘクタールの畑を借りている。ブドウ畑は、スキニアス村とリキシィミ村の間にあり、リキシィミ村にカーヴがある。スキニアス村にあるモナブレスと呼ばれる素晴らしい畑には、ゴブレ式の樹齢50年になるフラン・ド・ピエのマヴロダフネが栽培されている。また、リキシィミ村にあるケシュリオンと呼ばれる畑には、フラン・ド・ピエのマヴロダフネ(赤ワイン用)と、樹齢80年のヴロスティリディ(白ワイン用)が栽培されている。これらのすばらしいブドウ畑は、真の情熱とともに、人工的なものを一切使わずに耕されている。大変<自然>なやり方(ビオディナミ)で、偉大な独特のワインを産み出し、見事な個性がある。
【Rouge et Blanc(特集記事)】





[Vino da Tabola Rosso VERBENA]
スカナ、モンタルチーノの地酒ヴェルベーナ。
2007年物だが テ-ブルワイン格なので ヴィンテージ無記載。
しっかりした味わい。










こうやってメモっているけれど、ワインの種類とか名まえとか、全然覚えられない。




2010年11月22日月曜日

ラブ・イズ・ザ・ベスト

アンダンテさんとこの記事でロボコンやってるんだなあと懐かしく思い(私のいた高専も優勝したことがある)、NHKで偶然予告をみたら..。おや、学校名がちがう。ネットで調べてみたら統合されて学科名も全然違う名前になってた。時代を感じるなあ。ところでお世話になった先生は..あ、まだ教えていらっしゃる。懐かしい。

その時期、理性あってこその人間よね、と思っていた頃ですが、今はだいぶ違う。理性で制御するのも好きだけど、何が一番好きなのか大事なのかの直感(もちろん経験からくる直感でもある)で判断することも大事にするようになってきた。
若い頃から自分って変わってないなと思ったけれどやはり変化してるのだ。日々ちょっとずつ静的に、だからあんまり分からないけれど。


佐野洋子さんの「ラブ・イズ・ベスト」は「役に立たない日」と比べると、みずみずしくて繊細なエッセイ。今とはちょっと時代感も違うけど、だからなのか心も潤う。特に子供に対する目線に共感。最近再読した。


佐野さんの友達の息子が、一時荒れていた時期の話(佐野さんの息子アキラ、は佐野さんの息子ゲンと友達)。息子たちの話を母親たちがしているのにこんなのがあった。
「この間ね。ばかに機嫌がいいときがあってね。俺生涯に三回泣くって。一度は、私が死んだときなんだって。一度はゲンが死んだときだって。あいつは生涯の友達だからって。もう一回は自分の子供が生まれた時だって。」
「自分の子供が生まれたとき」というのを聞いたとき、私は泪がだらだら出てきた。
「アキラはあなたのこと憎んでなんかないじゃない。アキラは一番大事なこと全部分かってるじゃない。

ってこんな文章を読んでも10代では「へ」とも思わなかったが、子供を持った40代の今は違う。
子供がお腹にいた時の幸福感を知っているし、子供が生まれた時の、ちゃんと目や口があって指は5本あることがこんなにありがたいことなのかと思ったことを知っている。
経験って自分自身や価値観を変えるんだな、”自分はこれからもこの先も自分よ”と考えていた時期には、そんなことも受け入れられなかった。
「ラブ・イズ・ザ・ベスト」なんてタイトル恥ずかしくて手にも取れなかったかもね。

ほっこりと再読しました。


ラブ・イズ・ザ・ベスト
















■■■
Gさんが用事で一足早く帰ってしまったので、せっかく休みを取ったし一人で映画を見る、というのを久しぶりにやった。皮肉にもいい夫婦の日だ。
小さな村の小さなダンサー」はオーストラリアでベストセラーとなったリー・ツンシンの自伝を映画化したもので、中国の貧しい村出身の少年のいわゆるサクセスストーリー。
私はバレエについての知識はほとんどなくて、漫画の有吉京子の「SWAN」、山岸涼子「テレプシコーラ」あたりを読み、ローザンヌバレエコンクールをNHKで見、娘のお友達の発表会を見に行くとかその程度。
けれども中国共産党体制下でバレエを自由に踊ることの難しさ、自由の国への憧れ、そして息をのむほどの美しい身体でのバレエに、やはりひきつけられる。(リー役はバーミンガム・ロイヤル・バレエのプリンシパルであるツァオ・チーだそうだ) リーは結局アメリカへ亡命し、バレエはドンキ、白鳥の湖の古典から、モダンの「春の祭典」へと向かう。中国も共産党体制下の厳しい統制から、毛沢東の死後何年かたってストランビンスキーの「春の祭典」の上演時にリーの父母もアメリカへ来ることができた。そのバレエとクロスする時間の流れもとても興味深かった。

ここでもリーの父母たちの愛を感じました。

2010年11月21日日曜日

Oblivionとは忘却という意味なんです...。

「おはようございまーす。」「お?そ、それは?」と、隣家のご主人に言われながら
「あ、おはようございまーす。」「え?それは?」と、いつも行くそば屋のご主人に言われながら、
道路脇をがらがらと運ぶそれはコントラバス。


こういうふうに荷造ったヤツを車輪を下にして、体より前にネックを首で支えて運ぶんです。こんなふうに













去年と同じ会場での発表会。サキソフォン、ピアノ、ベースの合同発表会です。
(去年はベース2人と寂しい人数でしたが、今年は5人と嬉しく増えてます。)
ちょっとガラのわるいおじさんたちの波をかき分けて到着したのは、古いジャズバーです。
せまい階段をうんしょといいながら登りました。
一年ぶりのコントラバスの外出ですが、運ぶ体勢をなんとなく体が覚えていて
去年よりだいぶ スムーズに運べた気がしますね(当人比)。
それでもGさんに併歩してもらえると安心。




参加者は15人程度と去年よりも多く、小学5年生、中学生から上は...何歳になられるんだろう、ダンディなおじ様まで。私なんかは中堅ところかまだ若造って感じでした。お店は、演奏者の皆さんと聞きにこられたご家族でもういっぱいいっぱいです。

基本的にジャズが多いのですが、私だけタンゴ。
それも暗く燃えつきた灰のようなピアソラの「Oblivion」。
昨日の練習まででは、初めのソロ旋律もうまくいっていて(当人比)、
よし今年は大丈夫、という根拠の無い小さい自信(慢心)があったのですが
本番では、右手がガチガチに固まってしまい弓の返しができないわ、
そして曲の途中から真っ白になってしまうわで、本番ってどうなるか分かりませんな。(言い訳ですな)
去年は緊張しなかったんですけどね。
先生のパートは素晴らしくカッコよかったです。

お店のマスターに「え?飲むの?昼間っから?ふっふっふ。まあ作るけどね。」
と言われながら、ちゃんとマティーニで気合も入れたのになあ。
この悔しさは来年につなげよう。
(帰宅後、録音音源の自分の音の部分を聞き再度うなだれる。)


「帰ってくるまでが遠足やから。」
「勝って兜の緒を締めよって言うわな。まあ、もともと勝ってないけどな。」
ってGさんに??な励ましをいただきました。


コントラバス デュオ+ピアノで。














他の方も、習いはじめだってジャズに対する思い入れが大きいのがごっつ感じ取れる演奏で、聞いていてほんと楽しい。講師の方々とのセッションなので各曲のソロも聞きどころな発表会です。
去年も参加していた眼力鋭いピアノの中学生もいきなりのアドリブソロに挑戦していて(フォーバース(4bars)という4小節のソロの掛け合いなのだそうだけど)周りの講師たちにいじられつつちゃんと反応していた。すごいな。
「あんな楽しいことをさ、中学生で覚えちゃったら他がつまんなく思えちゃわないかな。」
などと、中学生を子に持つ母の私は要らぬ心配をするのでありました。

最後の講師の方々による演奏も、良かったけど、そのよさを言葉では書けないところが...。
聞いてなんぼ、よね。

■■■
さて、娘は母の趣味には興味が無く、かつ今日は仏検受験、とりあえず5級。
「あのテスト、単語分かんなくても解けちゃうよ、10分で終わったんですけど。」
って言って帰ってきた。9割くらいだそうだ。
ネットで調べてみても5級は勉強しなくても大丈夫ってあったけど、
まあ習い始めて数ヶ月、モチベーションが上がるといいよね。
(問題見せてもらっても母は分かりません。大学は仏語選択でしたけどね。)



2010年11月20日土曜日

題名の無い一日

午前中からコントラバスレッスン。
発表会は明日なので、何度か曲を通して細かいまたは大きな指摘を受ける。
「ピアノソロをどこかにどうでしょう」と言ってみたところ、
「ピアノの人はジャズの人なので、今回のタンゴとはジャンルが違うんですよ、
ジャンルがちがう人がソロをとると「なんかちょっと違う」という風になるんですよね。」
ということなので今回は楽譜のままで。

お昼に、後輩とGさんと待ち合わせ。
いつも行くタイ料理のお店に行ったら、お店がなくなってた...。
値段も、店員さんの感じも気に入っていたのになあ。
無くなって気が付く喪失感 (っていうのは大げさだけど)。
午後から、娘の歯列矯正のための抜歯。
...で全午後がつぶれちゃったよ。
なぜこんなにかかるんでしょうか。(時間もお金も)

と、ここまで書いててなんか、これつまんない文章だよ。
眠いからか、一日がつまんなかったからか、時間も時間だからか。
テーマがないんだよなあ。

須賀敦子さんの本を読み直し、文章の情景の奥行きと密度の濃さにやはりまた打たれる。
決して難しい言葉を使っているわけじゃないのになあ。
とても質のいい日本語を味わう感じ。

2010年11月19日金曜日

ボジョレ・ヌーボー

都内でカンファレンス。
聴講だけなので気楽です。
聞きたいことは聞いたので、今日は早く帰ろう。

月曜日にお休みを入れたので4連休。
もうOFFモードでぼっと立っていたら、
「おや、こんな時間に会うとは、ほんと偶然じゃないか。」
と、娘から肩をたたかれた。

「ねえ、夜ごはん、何が食べたい?」
「やさい。」
「冷たいの?あったかいの?」
「あったかいの。」
「...スープ?」
「最高~。」
単語のみの味気ない会話を交わして、夜ごはんはいつもの具沢山野菜スープに即決。


空輸便のボジョレ・ヌーボーってコストパフォーマンスはどうなの?、と思っているので
毎年飲まないのだけど、なんだか気が向いたので買ってみた。
アボンダンスとはいまいち合わないが、野菜スープにいれたパンチェッタとは抜群に合う。
それにしても野菜スープに野菜サラダ、に水餃子(←冷凍)って...


酔っ払わないうちに、コントラバスの練習をして、洗濯の山を片付けなければ。


2010年11月18日木曜日

目標は、ごはんを美味しく食べよう。

出張3連荘ともなると洗濯物がたたまれずに山となっている。
家を建てたら、漠然と美しい生活が待っているような気がしていたのだが、それは妄想にすぎなかった。
定年後、がんばろう。(しかし、これもひとつの妄想。)

■■■
食事時に、娘が、「人間、多面性が重要よね。」と言い出したのだが。
「いろんな意見があるわけだから、それらをまずは、全拒否しないで 受け入れることって大事だと思うの。自分の意見は、それらを受け入れて、かみくだいて理解してから作り上げればいいと思うの。」
「ほほう。それは人間の多面性とは言わずに、多面的なものの見方が重要よねって言ういい方だと思うよ。」
「うん、それそれ。自分の意見と違う意見はまず拒否っていう人がいるけど、それって違うと思う。そういう人の意見は聞いていていらいらしちゃうのよね。」
「うん、それもひとつの意見じゃない?私も多面的な見方って好きだな。そういうキャパを持ちたいよね。...」

以後、具体例の出し合いで、二人で議論はしばらく進んだわけですが。


母がその間、考えたのは別のことで。
つまりは、母もキミくらいの世代の時に、多面的な見方をする、多面的な見方をあえて探し(あえて逆に見)て楽しんだことを思い出し、キミは私の娘なんだなあと感じていたわけですよ。
でも娘の中に自分の片鱗を見つける時、目の前にいる娘は自分の娘であるという先入観から娘の中に自分自身が見える錯覚を起こしているに過ぎないのか、とかも考えたり。ふくざつ~。

娘がこのまま育つと、
今の自分(娘)自身を作り上げたのは他ならぬ”わたし”自身であって、”わたし”は環境から自分を育て上げる要因を選びとって、”わたし”を作ったのだし(”わたし”は環境要因と非線形な関係を持つ)、その”選び取る”という行為自体の中に”わたし”自身があるのであって、母親といえどもその環境因子のひとつに過ぎない...などという考えに至るのではないか。
母の中学時代の経験上...。
(そして”わたし”になる初めの一歩は、いったい素材か環境かいったいどっちなんだろう、とかって。)

娘よ、つめたくしないでね。

■■■

明日もまた早い。
こんなこと書いてないで寝なければ。

2010年11月17日水曜日

日々是めりはり

昨日、美味しいごはんを想像しては悶えていた母ですが。

実際の食生活はというと。
娘が作ってくれた白菜のカレースープ、3食連荘。

昨晩、帰ってくるとお鍋に山盛りスープができてた。(ありがとうありがとうありがとう)
6時台に家を出る今朝、起きると昨日の白菜カレースープがまだまだ残ってる。
そして今夜、新幹線出張から帰ってくると、ちょうど食べきるくらいの白菜カレースープ。

日々の食事は、母はこれで十分で、そしてこれに満足してもらえる娘でよかった。
日々の生活、メリハリが大事よね。

でも3食カレー味なもんで、
夜はスープと同じ材料の白菜と豚肉をニンニクをおろしたのと茹でてポン酢一味も付け加えた。
素材が一緒でも趣違うお味で、2度美味しいですな。


■■■
娘の代数の小テスト、とても良かった(らしい)。
代数は期末テストで悲惨な結果だったのだ。
しかし、
「それってみんな良かったんじゃないの?平均点が9割とか。」
と、ダメダメ親の見本のようなセリフを吐いてしまった母です。

「ちゃんと勉強すればできるんです。」と、娘。
「じゃあ前回は?」
「ちょっとしかしなかった。」
「今回は?」
「わりとした。」
「じゃあすんごく勉強したら、満点??」
「...ん~かもねー。」(←語尾が濁る...)

そういえば日々、数学の問題集、一応解いてましたね。
やればできるんだなあ。つーか、やらなきゃできないんだね、実証。

「それにしても小テスト、結構あるねあんたの学校。」
「そうなのよ!ったくさー。」


■■■ 
大学生の就職内定率が57.6%だとか。
母の頃の会社選べて、名前書けば入れるという時代とはまるで違うらしい。

娘が就職する頃も厳しそうである。
少なくとも製造業は設計製造の拠点は海外ということになるでしょう 。
新しい設備を導入しリタイアした優秀な人材から設計技術を吸収する材料豊富で人件費が安い外国に、
これから先、標準化された製品の市場シェアでは負けていく方向だろう。
皮肉にも、海外に導入される最新の工場設備は日本からの輸出で、現在、日本がそれで潤っている。

とすると、サービス業?
健康とか、生活快適性とか...人を相手にする仕事とか。
ニッチな農業とか。

昔はこんなことを言っていた娘ですがどんなことになっちゃうのかねえ。
「で、将来なりたいものあるの?」と聞いてみたら、
「うーん、まだ無い。つーか、....日本にいたくない。」
「・・・むー、そうか。」

ま、経済力は人を自由にするからな。持っていたほうがいいぞ。


2010年11月16日火曜日

胃袋の話

会社の帰り、イイダさん夫妻にばったり出会う。
「そこのパン屋さんまで行く途中だったんですよ。」と、私。
「あら。今日は定休日よ。やっぱりお店の前でうなだれてる人、いたわよ。」


あああ。私もうなだれる。


「そういえばジビエの季節ですね。お店ではもう出してますか?」
イイダさんとイイダさんの出すお料理とはもう10年以上のお付き合いになる。
いつも気合の入ったごはんを食べさせてくれる。(シェフは別の方)
たとえば、塩の攻め方が好きだ。
たとえば、地味な色合いお皿からは想像しにくい食材の主張する味が好きだ。
だから、がつんというごはんが食べたい時に行く。

「もうイノシシと熊がありますよ。あとちょっとで鹿も入ってくると思います。食べにきてくださいよ。」
「いきたいです!! お肉は、甘いソースで?」
「そうです。チョコレートソースなんかでも食べますよ。」

ああああ。食べたい食べたい食べたい食べたい。
美味しいごはんを食べるのが好きだ。
高級な、とか珍しいものというわけでなく、野菜ひとつでもいいんだけど、
なんというか、きっちりと食材が主張する角張った味が好きだ。(そしてワインに合うやつ。)

食べた瞬間の、さざなみのようにひたひたと美味しさに血液が満たされる瞬間が好きだ。
その満ち満ちている自分(今思い出してみるに)、私、ちょっと変かなとも思うくらい好きだ。
(でもグルメというやつではない。素材にも料理法には詳しくないし。)


家に帰って、娘に言う。
「ああ、イイダさんとこでジビエがたべたいよう。今週とか行かない?」
「いいけど。12月に入ってからでもよくない?もうすぐテストなんだけど。」
「昼間やりなよ。勉強なんて。」(母、いつもと言ってることがちがーう。)
「えっとさ、家計的にはどうなの?」
「うーん、食費かかりすぎだけど...。でも行きたいよう。
なんとかして行けないかな。平日とか...ああ出張多すぎて無理かー。
8時くらいに帰ってきてから行くってのは?ああ、食べたいよう。一人ででも食べに行きたいよう。」

ほとんど駄々っ子である。母が。

実は、12月には他のお店にも鹿を食べる予約を入れていて、
女子会もあったり...いいのかこんなに食べてばっかりで(体型的・家計的に)。
こんなんだったら、先日のバーゲンで服を買わなきゃ良かった。

娘:「いいじゃん、全部12月でさ。」
母:「鹿をたべるのは?」
娘:「12月。」
母:「女子会は?」
娘:「12月」
母:「イイダさんとこは?」
娘:「12月。いいんじゃない年末ってことで。」
母:「...そうだね。全部12月にしようか。」


母はなんとか、気持ちを押さえ込んだ。
(でも、食べたい。)

今日は”好き”をたくさん書いたので気分、高揚。


2010年11月15日月曜日

身の回りの話

夕方の雨。傘をささずに帰ったら寒そうな雨である。
朝、会社行く途中で傘を持った人が多かったのでいやな予感がしてたんだけど
見ないふりしちゃったんだよなあ。(←解決になってませんヨ。)

で、夕方、会社の売店で傘を買う。

問題は傘の色である。
無難に黒?
紺色のほうがいいかなあ。

思案しているとピンク好きのKさんが、
「Aniaさん、ここはセオリーどおり透明傘ですって。」

え?そんな原理原則が?


「黒や紺はおじさんくさいじゃないですか。
その点、透明傘は何色にも染まるんですよ。
スーツにかわいいピンクの傘はどうかなっていう感じですけど
透明傘は、どんな服装の場合でも主張しないから、あうんですよ。
安っぽいのがアレですけど。」

おお、そんな考え方があるんだねえ。


■■■
私は会社に来ていく服とか持ち物には気を使わないほうである。
いい服着ていっても汚れるし華やぐようなこともないしねえ。

先日、娘のねずみ色(グレーというよりねずみ色)のコートを借りてはおり、
ユニクロで3年ほど前に買った980円くらいの布バックを持って、
黒のペタ靴はいた格好で娘と待ち合わせした時、

娘、開口一番
「ちょっとー、そのカッコひどいよ。なんとかなんないの?会社帰りなんでしょ。
おばさんが適当なものを着て近所に買い物に出てきたみたい。」
と上から目線で言われた。

さすがに、自分のみすぼらしさをうすうす感じていたので
鞄くらいは何とかしようと、先日合皮のバックをバーゲンで購入いたしました。

胃袋に入るものだけじゃなくて、身に着けるものにも少しは気を使うようにしよう...。


■■■
寒くなってきました。
肌の乾燥はこの歳になると大敵です。
唇が乾燥してかさかさになってひび割れて血がにじむとか、
踵が乾燥してかさかさになってひび割れて血がにじんだりします。

美容院の技術さんやデパートのBAさん(って呼ぶらしい)に、唇に関して必ず言われるのは、
「寝る前に唇にバームを塗り唇をラップして寝てください」、ってことです。
んなのめんどくさいし、息できないじゃん、と思って今まで実施は見合わせていたのですが。
今年はやってみました。
バーム高いしね、より効果をあげないと損した気分です。

するとどうでしょう、かさかさの唇が、つやのあるぷるんとした唇に...
とまではいきませんが、だいぶ乾燥は改善されるようです。

ただねえ、唇にラップすると、ヘン顔になるし、寝ている途中、口の端にヨダレが溜まってねえ。
でもそんな姿は誰にも見えないから いっかー。

踵も、ユースキンなりオイルを塗って踵ガードして寝ると乾燥もなくなりひび割れません。

今年は、唇からも踵からも血がにじまないといいな。

2010年11月14日日曜日

役に立たない日々

母の読んでいる本を見て、
「役に立つ日々なんか人生のうち5日ほどもあればいいんじゃない?」
と娘は言うが、14年しか生きてないキミが何を根拠にソレを言うのだ?
無為雑多な日々こそ人生だよね。

喜びやしんどさなんかの意味を持たせたり、役に立たせようという機動力を生み出すのは、
人間の持ち味で、それゆえにこの感情ってヤツから逃げられない、救いも無いのも事実だ。
そして行き過ぎて本能が希薄になると人間はほろびてしまうだろう。(って佐野さんもたぶん書いてた。)

佐野さんは、潔いバアさんだな、私はこんな潔く年を取れないよ。
私はじめじめといつまでも生きることや意味にしがみついた、しみったれはバアさんになると思う。

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私は十八の時からわかっていた。夫婦生活の何十年かはとてもつらかろう、しかしそのつらさを持続する事は老後のためだけである。もう誰も華やぐ命なぞ与えてくれなくなった同士が、縁側で、「柿向きて云うこともなく」お茶を飲む日のためにあるのだ。
---------------------------

これを読んだ時、これ書いたの私じゃないか?と思ってしまったほど。まったくそうだと思う。
でも私がこう思ったのは30歳も半ばで、もっと多くの時間とか経験が必要だったわけですが。
(そして佐野さんは2回離婚しているが。)

家を建てる時の私と娘の希望は
「縁側でお茶を飲みたい」
だった。これは将来のまったりした時間のためでもあった。
土間も欲しかった。
これは現在の生活上の作業スペースと忙しい日々の隙間でほっこりするためだった。
縁側が無くなったのは予算の都合もあるけど、
リビングに続きの縁側を作ったら壁がなくなりますよテレビとかオーディオ暖房の置き場所は?
という基本ワンルームの狭いこの家の構造面での課題を解決するためだったのだ。
つまりは現在の都合と希望を優先したのだ。

でも今だに縁側でお茶をすする、そして「イロイロあったねえ。」と言いあいたい希望は強くあるのだ。
人生の、最後の一滴のうまみ、もしくは甘いデザートというか。
そのためにはイロイロあってそれを乗り越えなくちゃならんわけです。
そして老後の縁側とお茶の楽しみを夢見るわけなんですよ。



佐野さんが、乳がんの転移が分かった時、
「あとどれくらい持ちますか?」
「ホスピス入れてあと2年くらいです。」
「いくらかかりますか。」
「一千万くらいです。」
「では延命も治療もやめてください。」

と言ってそのお金でジャガーを買ったそうだ。
ウツ病が無くなり人生が楽しく思えたそうだ。

楽しく思えたのか、または「楽しく思えた」と書くことによって楽しさを固定したのか。
そんなことを考えてしまう私は、やはりしみったれている。


昭和の潔いバアさんの本に出会えてよかった。




役にたたない日々

2010年11月13日土曜日

お天道様が見ている

朝、娘が部活が無いというので朝寝坊できる!ということで目が覚めたら9時。
ベッドの中でぐだぐだと本を読んで10時!
さすがにチャイが鳴き出ししぶしぶ起き出す。

朝寝坊ってすばらしい。

ぼさぼさの頭でウロウロしていたら、宅配便が2件もあった。
ぼさぼさの頭で判子を押す。 
実家からだ。
野菜と野菜と果物と果物と...海老(?)...。
クール宅配じゃないいよねえ。

海老の鮮度が心配だ。
朝なら腹が痛くなってもいいだろうってことで(根拠は無いが)
朝から海老をから揚げ風にして、昨日のカポナータとからめて食べた。
そしてパンと紅茶、ラ・フランス、と、朝から、というってももう昼に近いのだけど、豪勢~。

ピンポン!

おや誰だろう。
「聖書の紹介をしています。」
ああ、宗教の人だ。丁寧にお帰り願う。

G:ここまでくるんだねえ、ご苦労だねえ。(わが家は山の中腹なのである。)
A:そういえば日曜は安息日じゃないのか?布教活動はしてもいいわけ?
  宗派がいろいろあるのか?○○とか△△とか。(←教義に関しては無知)
  それにしても布教して信者を増やすといいことあるのかなあ。
:いや神を信じている人たちはそんなこと考えてないよ。信じる心だよ。
A:いやいや、死んだあとの天国でのヒエラルキーの上層部にいけるとかじゃないかなあ。
  順位取り、とか。
  (宗教と資本主義、民主主義とは密接な関係があるというのをどっかの本で読んだのを思い出す。)
  でもさ、信じるものがあるって強いよね。日本では、あまりないけど。
  いや、日本にもあるじゃん、アニミズムとか。八百万の神様とか。
G:日本では、お天道様だよ。お天道様が見てるっていうじゃん。
A:ああ、天照大神か。あれだってアニミズムじゃないのかい?

G:あ、それ、たぶん日本では、世間様ってやつだね。
  お天道様が見てるってのは、世間様がみてるってことなんだよ、多分。
:”世間教”かあ。
A:なるほど、それ、腑に落ちたわ。


Ania家一同、とりあえず薄く納得。


そして朝ごはんは終わるのでした。

A:コーヒー飲む?
一同:飲む!


2010年11月12日金曜日

(__;)

会社からの帰り、娘からメールが。

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(__;)
野菜が冷蔵庫にひとつもない

----------------

ということで、野菜を買いに駅前の、ちょっと単価高めのスーパで野菜を買う。
高い..。キャベツが1/4カットで100円ってアナタ。
でも、猛烈にカポナータが食べたかったんですよ。
トマト、セロリ、パプリカ、ナス、ズッキーニ...は無い、と。
ブラックオリーブも食べたい、と。
こんだけ買うと、単位重量あたりのお肉より高くつくんじゃなかろか。

上の野菜を炒めて、味付けは
塩胡椒、オリーブオイル、ニンニク、エルブ・ド・プロヴァンスだけなのに
なぜこんなにウマイ。ほんと美味しい。
トマトの出汁とか私の力量じゃなくて野菜のチカラだねえ。
がぼがぼ食う。

ポートーフーの残りも一緒に、がばがば食う。

チーズも買っていった。アボンダンス
トム・ド・サヴォワが好きなので同じ山のチーズのコレも好きな味。
トム・ド・サヴォワよりもコクがある味わいです。いい感じでクサイい。


シャブリのハーフと一緒に、ああ、幸せ。


Gさんから手羽先のお土産あり。
お土産パッケージには、「愛する人へのお土産に」とある。
娘は、目をぎょろつかせ、ほとんど目が飛び出しそうになりながら骨までしゃぶってる。
その姿が、また迫力あって、おかしくて笑った。

2010年11月11日木曜日

早朝新幹線

最近、早朝の新幹線「こだま」に乗る機会が多いんですが、
新幹線通勤している人も多いのか、混むんですよ。
指定席が少ないので自由席に乗るのですが、
ヘタするとB席しか空いていなかったり、それも先端の車両しか空きがなかったり。
そんな席探しに体力を使いたくは無いじゃないですか。

で、今回、指定席、それもE席が取れたので指定席乗ってみました。



おまえもか指定席、ほぼ満席じゃないですか。
そして、じいさんたちの社交場ですかい。
途中の駅から乗ってくるお友達のじいいさんたちが挨拶しあったり、
それから席を向かい合わせに回して朝から座談会モード。
私の後ろの二人のじいいさん友達、朝はお酒飲むのやめようよ。

つまりは眠れませんよ、きっ。

自由席のほうが、席は混んでいても知らない者どおし、
おしゃべりが無いので静かですね。

次回からは、もとにもどって自由席で、はい。

2010年11月10日水曜日

マロンシュークリーム

出張帰り、マロンクリームの色にひかれて、マロンシュークリームを二つお買いあげ。
「持ち歩きのお時間はどれくらいですか?」と聞かれて、あ。
「あ、あのー、2時間半です。すみません。」なぜかスミマセンな気持ち。
「保冷材は2時間しか持たないので、お早めに冷蔵庫へお入れください。」だそうだ。

紙袋に入れられたシュークリーム、つぶさないように新幹線の上着かけ用のフックにつるした。

乗り換えた在来線では、暖房ばっちりで座席が熱い。
電車の座席から立ち上る温風を避けるために膝の上にまず鞄を置き、
その上にシュークリームの袋を置き、そしてクリームがべとべとにならないかな、と心配する。

しかし、このシュークリームやさんはチェーン店で、家の近くでも買えるんだよね。
おばかな母である。
でも娘の、三日月目の嬉し変顔が見られたからいっかー。


ごはんを作る気力もなく、娘と待ち合わせて外食。これもパスタチェーン店。
となりに座ったお一人様のサラリーマンが、イヤフォンをつけて独り言を言いながらパスタを食しておる。
「イヤフォンをつけてパスタ食べて果たして美味しいんかい。」と、娘がこそっと言うので、
「でしょでしょ。ご飯食べてる時にイヤフォンつけてとかメール打ちながらとか、考えられないよね!美味しくないと思う。」

と、時々食卓に携帯を持ち込む娘に言ってやった。ここぞとばかり。
「あ、そうね、てへ。」と娘。

シュークリームとともに無事家に帰り着く。
明日の夜よるごはん用のポートーフーを作る。
小さい鍋に野菜をあるだけ目いっぱい入れたら、ホントに鍋の上にキャベツやにんじんがてんこ盛りにはみ出して山盛りになっちゃって、それを見てやたら可笑しくなって娘と二人、うわははと笑った。



最近TVのアナウンサーが、「...とか...とか...」と、とかを連発するのがやたら気になる。
「...や...など」じゃないのか?

最近、電車に乗っていると、ずーーーーっと小さな携帯の画面を凝視している人が多いのが気になる。
多いときでは、長いベンチシート一列分、同じ格好の人々。気になるとぷっと笑い出しそうになる。

最近、近くの小さい字が見にくい...きたか、という感じである。


2010年11月9日火曜日

自立の思想的拠点

先日、、娘は久しぶりに小学校のときの友達と会っておしゃべりをしたらい。
楽しそうな様子であった。
母が、「で、友達の様子はどうよ?」と聞いたら

「学校(公立)も部活もつまんないって言ってた。
ママのいう内申点うんぬんっていう話は全くなかったよ、なにそれって感じ。でもみんな塾通ってるらしい。」

ということであった。と、同時に、

「なんか私立ってイモいよね、ぬるいっていうか、そういうところがさ、わたしゃキライなんだよ。」

と、あっさり言うので、(ちなみにイモいってどういう意味?使い方間違ってないかね?)

「なにを!!」

と、母は大人気なくムっとする。

だって、キミはもう喉元過ぎればなんとやらかもしんないけど、受験ってしんどかったんですよ。お金もかかったし。キミもがんばったけど母もしんどかった。もうあの一年は尋常じゃないんですもん。それを、自分ひとりで学校入ったかのように「ぬるいところがキライ」とかいわれてもねえ。(母のがんばりについても気遣ってよ、とかいうのはオレ様な娘には無理なお願い、かつ母の身勝手思いではあるのも分かってますがね。)
第一、ぬるいってなにさ、学生の本分である成績はさっぱりじゃないか。

..とまあ、その時は、くわっと思ったのだが。

戦いというか競争というかしんどいとかという環境にいる友達と比べて、自分が生ぬるい場所にいるなという焦燥感とういうのは母も覚えがあるぞ。やはり血なのか(げげ。そんなところは似るなよ)。しかしながら、母の場合はこのまま行くと方向が決まってしまうっていう焦りも加わっていたわけで。キミの場合は、そこの場所でのがんばり次第で、この先どうとでもなるわけでね。成績は決してぬるくないというか厳しいところで転げ落ちそうになってるわけだからそっち方向に焦りなよ。

あんた、まだ目がひらいてないんじゃないか?言い訳だったり逃げだったりしてないか?
(ちなみに母のことはもうイイのだ。将来ある若人にだから言うのだぞ、うん。)


そして数日たってみたら、「ウチの学校ってさ、居心地いいんだよね。」に変わっておった。

「なんで?」

「んー、いじめとかがないっていうか、みんないじめなんかに興味がないっていうか、
みんな好きなことやってそれが普通っていうか...。そういうの居心地いいんだよね。
でもさあ、ほんとデキる子だったら、公立行ってばりっと勉強して競争して高校受験に向けていい成績とろうとがんばるほうが伸びるのかもねえ。こんなに居心地いい学校にいてさあ...、まあ居心地いいんだけどさー。」

ほっこりと言う。

「そうねえ、あんたはどっちが向いていたか、今となっては分からんね。」

思春期に躓いたり疑問をもったり受験勉強したりいろいろ悩んほうが、向いてる子もいるよね。居心地いいっていうのは、自分の考えとは関係ない(自分にとって不必要なというか回り道的な)必要性に駆り立てられなくすむ。しかし一方でいろいろなものに興味を持てる時間はあるけれど自分で動かないと、そのまま止まってしまったり埋まってしまうっていうリスクも確かにある。
自立しないとこの居心地いい場は活かせないんじゃないだろうか。

娘は人付き合いが下手なほうではないので、公立へ行ったらいったでうまくやっていけるかもしれないし、違った楽しみをみつけるかもしれないね。ふたつ同時に経験するのは無理だし母には分かんないや。

でも、たとえば高校受験するとしたら。思春期でもう手に負えなくなった(←決め付けてる)娘の受験につきあう場合を想像してみると、母の気力体力が持たないような気がする。
そして母の知らない私立の世界もみてみたかったし(←おい?)、まだ小学校時代の素直さが残っているキミとなら二人三脚はまだ可能だと思ったし、きっといい思い出になるっていうかさ。(←おい、思い出かい!)

ぺらぺらして自分で立てない形状のものは、ある程度向かい風とか流体抵抗がないと倒れちゃうんだよ。相手の力を利用できない無風状態で自立する(進む)ほうが難しい場合もあるんだよ。自分で進む原動力をつくらないといけないからさ。母とは違って、キミのその場所からはまだどの方向にも可能性があるんだからさ、まず自分で立ちなさいよね。(こっちもよっぽど難しいよ。)


じゃあまずは自分の部屋にお風呂出て使ったバスタオルを溜め込むのをやめなさいよ。
そして次は部屋の掃除だよ!
ノートと教科書を置くスペースを空けた机で勉強しなさいよ。くわっ。
(最近、「しなさいよ!」っていうイントネーションをチャイがまねるんですよ。さすがオウム科ですな。)

母のもやもやは、母と娘の関係が続く限り続くんだろうなあ...。
一言ひとこと引っかかってしまうよね、お互い。


ちなみに吉本隆明は読んだことないです。

2010年11月8日月曜日

トリプルブッキング

カルバドス漬ウォッシュチーズ 、娘がこれにしようと言うので先日買った。
室温に戻してトロリとしたところで食べるのが美味...
なんだけれど、やはりくさいですね。アンモニア臭...。

「この匂いさあ、あれに似てるんだよ、あれ。
(母は少しどきどき。あの匂いってもしや...)
サポーターをして蒸れた膝の匂い!そう、あの膝の匂い!」

・・・・。
どうやら、キミの膝は、菌が繁殖しているようだねえ。


ちなみに、このウォッシュはいまいち、かな。
ウォッシュはさ、少しだけでいいんで、いいヤツをワインとあわせて食べたいよね(母)。

■■■
「この日!歯医者の日じゃない。なのになんで仏語入れたの?
抜歯だから時間かかるでしょう。これじゃ時間、間に合わないよ。」

ダブルブッキングです。
その日は歯医者で抜歯です。
変更するにしても、口腔外科の先生と歯列矯正の先生、二人の予定を抑えないといけないので、
予約を取り直すと(学校があるし土曜とかしか行けないから)2ヶ月先とかになっちゃうんですよ。
でもね、仏語も一回あたりのレッスン料が高いですからねえ。
どちらを変更するかですが、仏語は取っているコースの都合で変更できない。
間に合わなかったら仏語はお休みかー。うーもったいない。

もう、ちゃんと自分のスケジュール管理してよね、と娘に言った母です。

(母)!

「あ、その日は、私もレッスン入れてたよ。しかも歯医者と同じ時間だ~。」
「え、だめじゃん、抜歯だからお母さんも来てくださいって言われてたじゃない。
ママだってだめだめじゃないか。」

ああ、この母にしてこの子あり。管理能力のツタナさも似たのかねえ。

母、レッスンの時間の変更をいたしました。

2010年11月7日日曜日

地を這う祈り

今日はGさんが朝から「チェーザレ」を一気読みしていて、お茶を飲んでいても続きが読みたいらしく、あんまり相手をしてくれない。娘も朝からお出かけ。よって私も本を読む。


「地を這う祈り」はノンフィクション作家、石井光太の写真エッセイ。石井光太のノンフィクションが好きで何冊か読んでいるのだが、貧困層の人々の暮らしを知りたいとか何とかしたいとかそんな動機ではなく、彼の旅での、違う価値に出あった時の文章が好きなのだ。
等身大の人間の対人間の言葉である。

初の写真エッセイだということなので、早速買ってみた。
amazonの紹介では、

”路上で血を流しながら喜捨を求める少年、全身イボだらけの物乞い、誰にも看取られることなく道端で死んでゆく少女売春婦、シンナーに溺れるストリートチル ドレン、路上で祖母を看取る少女――。 15年にわたる海外取材で撮りためた数万点の中から厳選した写真は、我々日本人の常識を根底からくつがえす圧倒的な衝撃度だ。”

と書いてあるが、個人的にはその衝撃を受けたい訳ではなくて悲惨な生活と自分を対比させたい訳でもなくて、その取材を通して石井氏がどんな風に感じたり思ったりしたのかを読みたかったのだけど、写真の紹介にほぼ留まっていて...、エッセイよりルポのほうが構成があって読み応えがある、かな。(まあ当たり前か)
けれど、以前に読んだ本と一緒にめくるとより文章が鮮明になる。
 
「レンタルチャイルド」
「物乞う仏陀」
「神の棄てた裸体 ―イスラームの夜を歩く―」
「絶対貧困」


「取材の裏側」の章にて、興味深い部分があった。

ただ、取材というのは、必ず当初の「予想」を覆すものです。たとえば少女売春婦はイヤイヤながらに売春宿で働かされているんだろうな、と考えていってみると、十一、二歳の子達があぐらをかいて笑いながら「今日、私は五人もお客さんがついたのよ。」なんて自慢してきたりする。
取材とは想像を粉々に壊すためにすることなのです。

世界には様々な文化と価値観がある。その多様さを知りたい、自分がいる場や慣習、文化での考え方だけでは無いんだと、はっとする瞬間を感じたくて、私は本を読む。


地を這う祈り












2010年11月6日土曜日

笑いって書けない

今日は、お腹をかかえて笑うようなことがたくさんあったのだが、文章ではなかなか書けない。
それは”間”であったり、表情であったりするのだが。

コントラバスレッスンの帰り、娘と待ち合わせてお買い物、である。
あら偶然、娘の友達に会ったり、母の友達に会ったり。
今日はたくさん知り合いに会うわねえ。
娘が言うには。
「ねえねえ、こんなに知り合いにあってさあ。もしかして私たちって死期が近いのかなあ。」
・・・・・ え、”私たち”って?そんな法則が?
死期が近づくと過去にあったことが走馬灯のようにとは言うけどねえ...。


近所の八百屋。
いつもお客がいない。
店員さえいない時もある。
ラジオの大きな音のみ。(いや、時々バナナとか桃には蝿も...)
そんな八百屋の店先の柱に小さな張り紙が。
--------------
○○青果店
アルバイト求む。
幹部候補として働いてみませんか。
アットホームな雰囲気です。
--------------
んー幹部候補って...。


娘が名前を思い出せないらしい。
「ほらこういうの...」
って、その身振り手振りの様子が可笑しくて、
母紅茶を口に含んだまま息ができず笑死しそうになりましたよ。
ああ、志村けん....「志村さん」ね。

こんな小さな笑いがたくさんあったんだけど、細かすぎてねえ。
しかも文字にしてしまうと、可笑しさが無いぞ。
うー、せめて画才があったならと思う。

■■■
コントラバスレッスン、発表会まで今日も含めて2回の練習。
ピアノとコントラバス×2なので、先生との合わせがメインです。
今日は練習場所の近所で工事があって、
ガガガガの音が大きく響いていてリラックスして弾けた!
昼休みとなったようで、工事の音がピタっと止んだ途端、
緊張がどこからともなくやってきてビビラート。
むーん、当日は、是非ざわざわしてもらいたい。



2010年11月5日金曜日

100万回生きたねこ

佐野洋子さんが亡くなられた。乳がんだったそうだ。
佐野さんの「100万回生きたねこ」は、今でも多くの人に愛されている。私もその一人だ。
大学の頃、趣味で児童文学の授業も取っていて(←暇人)レポートの題材にもしたことがあるくらい。


私は物事の側面を即物的な切り口で眺めるのも好きなのだけど、
でも結局、生き物って、形質や文化(ミーム)をつなげていくことが本質かとも思うし、
その原動力やエネルギーって、ある衝動、それは”愛”と呼ばれているものなのかもしれないと思うのだ。
つなげていくために人間が都合よく作り上げた概念と言ってしまえばそれまでなんだけど。
仮想概念を作りあげてしまうところが人間の人間たるところなのかもしれないな、とも。

うちには、娘が一人いて、今では性に関する情報も好むと好まざるにかかわらず入ってくるから、
その前に男女のことや生殖についても話をきちんとしておこうと考えているのだけれど、
そこのところは恥ずかしがらずにちゃんと伝えたいと思うんです。
結局は、愛と呼ばれるものの総体っていうやつを大事にしたい。
(瞬間でも)好きな人の遺伝子(形質だけでなく、思想というカタチででも)と一緒に
次の世代につなげていけることってなんかスゴイことじゃないですか。
そこんところを大事にしたいと母は思う、って。

「100万回生きたねこ」は、アイデンティティとか愛情とかそんなことを話しながら
娘に小学低学年の頃プレゼントしたこともあり、かつ佐野さんの書く絵本は大好きだったので
亡くなられたニュースを読んだ時(仕事中)、思考停止してしまった。
(娘もこのニュースを聞いて涙が出そうになったと言っていた。)
おれはねこだぜ」(鯖とねこがシュール)、「おじさんのかさ」(愛らしいおじさん)もとても好きです。


合掌。



100万回生きたねこ

2010年11月4日木曜日

耐ノイズ型

「自分のパートナーを褒めるのって難しいし恥ずかしいですよね。」
出張先での休憩時間、Kさん(♀)とそんな話になった。

「たしかに、こっ恥ずかしいのもあるけどさ、褒め方難しいよね、お互い。」
Gさんも、Kさんの配偶者のくまさんも、いわゆる”ゆる系”、”和み系”なので、
一般的な褒め方ノロケ方とは、ちょっとはずれてしまうのだ。

KさんもGさんのことはよく知っていて、彼女が言うには
「AniaさんとこのGさんって、たしかに経験積んだ女性が最終的にたどり着くってゆーか、
女の子女の子してる子とか、男の人に頼りたい子なんかにはGさんは合わないっていうか良さは分かんないかもしれないですねえ。」
(言ったのはKさんですよ。そしてすごくホメてるんですよ。)

「そうなのよ、お互い褒め方が難しいねえ。Gさんは、いてくれるだけで和むのよね。
一定温度っていうか、私が寒いときは温(ぬく)めるし、熱くなったら冷ましてくれるんだよ。
体力は無いけどそれを差し引いても余りあるお得感がありますよ。得がたい人ですよ。」
(あ、日本語の使い方変だ。お得感じゃなくて、幸せ感ですね、そうですそうです。)

しばらくしてKさんが小さく叫びました。
「あ!分かった!Gさんの形容の言葉が見つかりましたよ!
ノイズに強い、ですよ!!」

そして私も
「あ、そうかも! ロバストなんだね!」

と二人、大納得しました。
Gさん、いや、ほんと二人ですごく褒めたんですよ。
稀有なアナタと一緒になれてよかったよ。

さて、その後の会議で、
「ロバスト設計のためには、過負荷試験してみて...破壊試験が...」
の言葉にいちいち反応してしまいましたよ、私は。
Gさんに対して過負荷試験とか破壊試験とか...
もしかしたら耐えうる強さを秘めている気がするよ、うん。


ノイズ:環境条件や使用条件。さまざまな環境による外乱。
ロバスト:頑健性。外乱(ノイズ)に強く品質が安定していること。

2010年11月3日水曜日

大奥

よしながふみ、の「大奥」である。

よしながふみと言えば、「西洋骨董洋菓子店」が知られてるかも知れないけど、
私が好きなのは「愛すべき娘たち」、「彼は花園で夢を見る」、「こどもの体温」あたり。
でもBL系の漫画もたくさん描いてて、間違って(?)買って電車とかの公共の場所で読んでしまうと、思わず閉じなくては!という状況に陥ることもある。男女問わず潔い人の書き方が好きで、話のテーマや構成も気に入ってしまうので、見つけると次々と買ってしまうのだ。

でも、男女逆転の大奥というのは、無いでしょ。
これはいくらなんでも無理がある。BL系だからってねえ。
...と思っていたのだが。
出張の帰り、待ち時間があったのでためしに4巻を買ってみたのだ。


その2日後。
今出ている6巻まで全部そろった。私のベッドの下に。大人買いってやつ。
(べ、べつに隠してるわけじゃないですよ。あやしい漫画じゃないですよ。夜読むんです。)

男女逆転の背景が(もともと日本史とか詳しくない私には)、無理なく読めて、
将軍や御中臈の書き方が、つまり”人”の書き方が細やか。
いつの、どの状況でも、女の、そして男の切なさは変わらずあるのだ。

すんません、面白いです、これ。

大奥


終日座する。

娘の学校の文化祭。
入学前から入っているけど、いつも混んでいる。
おそらく学校の敷地が狭いせいじゃなかろか、と娘と意見が一致した。
ちょっと友達と溜まれる広場みたいなところもないし~、だそうだ。

で、今年は母はステージ発表のみ見ることにしました。
(ざっとは前日の平日にみたしね。)

そしたら、座りすぎてオシリがイタイですよ。

2010年11月2日火曜日

なんすかーさん

自分の母親をどう呼ぶかっていうのは、年齢によってブームがあるのは間違いない。(うちだけか?)
私も、自分の母親を”お母さん”の、いくつかのバリエーションで呼んでました。
それは中学くらいの若干イタい時期と重なるかとも思うんだけど。

娘は、これまでは”ママ”、物をねだるときは”ままん(ひらがなで発音)”とか。
でかい図体で”ままん”と呼ぶと、
その甘える響きと娘のガサツな風情の対比で意外と面白いんですよ、これが。

現在は”かーさん”。

ね、かーさん。
そうだよね、かーさん。
どうだろう、かーさん。
うむ、かーさん。
いいっすね、かーさん。
どーすかーさん。(”どーすか、かーさん”の変形)
いいっすかーさん。(”いいっすか、かーさん”の変形)
なんすかーさん (”なんすか、かーさん”の変形)

などと、最近ではもっぱら韻を踏むように使用され、
最後は訳わかんない何語だそれは?的な使い方になっています。


夜ごはんの後、NHKを垂れ流してつけていたら鈴木京香が出ているセカンドバージンを、
二人で初めて見てて(平たく言うと不倫の話)、 ”かーさん”の呼びかけをはさみながら、
 どんな話すかーさん、
この性格あり得ないよね、かーさん、
深キョンじゃまいかーさん、
このストーリーは人の道的にに成り立たないだろうよ(母)、


とか言い合いながらついつい見ちゃった。

おお、私たち、こんな時はしっとりしてるねえ。


■■■
今日の出張は昼から。
ということは、新幹線の駅に直行することにすれば、
娘んところの文化祭がちょっと見られる、ことを思いつきました。
開場直後一時間ばかり見に行ったら、平日の朝で、すいてていいねえ。
(準備しているところもあったけど)
一まわり、ざーっとみて、残りはオケを聞きに。
中学生の部は聴けなかったけれど、高校生の部から聞きました。
華やかな選曲はあたりだと思います。
途中、危ない部分はあったけど、よく響いていたなあ。よかった。


2010年11月1日月曜日

髪型今昔

心なしか、なんとなく胃がもったりするのは、昨日の枝豆のせいかしら。そんな体調です。

昨日、娘がばっさり切った髪形は本人もめっさ気に入っていて、お友達にも好評らしかった。
本人、中学生としてはかなりモード感漂う雰囲気だと思っているようで
「めっさ、いいでしょう?ここのボリュームがね、黒ぶちめがねと合うわー。」
とか、鏡を見て言っている。

その髪型を見た母は、思い当たりましたよ。
「いやー、その髪型はさ、母が小学生の頃の定番だったんだよ。
 おばあちゃん(私の母)に連れられていった美容院でさ、
”前髪から斜めに後ろまでつなげてください。全体に丸く。”
って、(おばあちゃんが)お店の人に言って切ってもらってたなあ。」


つまりはマッシュルームカットです。きっちりまっすぐ切って内巻き。
流行は、まわるんだね。


今の先の方だと思っていた娘は、うおー、と言ってがっくししてました。

でも似合ってますよ、その髪型。