2012年12月29日土曜日

家族忘年会2012

毎年恒例となりつつある家族忘年会。
今年も実施です。もう何年になりますか...。

まずは娘が冬期講習の間、
「ロード・オブ・ザ・リング」マニアのGさんに連れられて映画「ホビットの冒険」を見に。
途中、少しだけうとっとしてしまったので、後になってGさんに質問すると、
細かなところまで説明がはいりました。さすがマニアです。

+++
夕方、ホテルにチェックイン。
なんと今年も近くで福山のコンサートがあるらしく、デジャヴュな感じの女性たちの列。
今年もホテルは満室らしいです。





今年は奮発して、近くのイタリアンSALONEを予約。
ネットで予約でしたが、前日に確認の電話がありました。
娘が対応しましたが、そのやりとりを見て思いました。
「あんた、あたしより対応うまいわー。外面いいね。」
「いやー、受験と時の面接の練習で培われたんだな。」

まあとにかく、SALONEです。
イラストのかわいいメニューをいただきました。
シェフはローマで修行されたそうで、様々な食材が使われていました。
全体的にやわらかい食感。
(個人的には、もう少しいろんな食感があったり味にメリハリがあっても、と思ったけれど
 それってママの好みの問題じゃない?と娘に言われました。)



各お皿に、合うワインがセットされており、心憎いばかり。
もちろん自分達でワインを選ぶこともできるのですが、ここはもうお任せで。
7杯は多いので半分ずつ。



すべて自然派ワインなのだそうですが、そのあわせ方がね、もうばっちりなんです(たぶん)。
ミネラルが強いワインとオレンジオイルをたらした魚介のスープとか、
樽の香りのワインとラベンダーつぼみとか、
羊肉とバローロとか、
鹿の鉄っぽいのとサグランティーノのやさしいのとか、
はずみでチーズもいただいてしまい、懐が気になりましたが。
自然派ワインは飲んでいて疲れないのがよいです。
「私はこの瞬間のために1年間働いてきたんだきっとそうだ。」と、思いました。
またがんばって働こう。(決意)

私は食べ物やさんで働く人に話を聞くのが好きなので、
香草とか香辛料とかワインとかシェフは昔SEさんだったとか、いろいろ聞けて楽しい時間でした。

一日過ぎて、みんなの感想をまとめると、
「ごはんはもちろん美味しかったけど、楽しい時間、参加型のエンターティメントみたい。」
な感じでした。

来年の抱負(の、ひとつ)「お惣菜は買わないようにしよう。節約して美味しいものを食べに行こう。」

+++
次の日、娘は冬期講習最終日。
私とGさんはテレビを見たりしてまったりとすごしました。

今日の夜はお茶漬けで、よろしく。

2012年12月26日水曜日

クリスマスの夜に

■■■
髪を切った。
同じところで切って20年近く。
いつも切ってくれるSさんも一緒に年を経たはずなのに、
全然年を取っていないみたい。(と感じるのは私も同じだけ年をとったからなのか。)

髪を切る予約は、なるべく午前の早い時間に取るようにしている。
切ってくれる人が疲れてないし、予約時間からの遅れがあまりないからなのだけど、
今回は休みの日予約が取れなくて、会社終わっての夕方になってしまった。
クリスマスの、25日。

案の定、予約よりも20分も待ったし、
他のお客が終わってもSさんは、なかなかやってこない。
それどころかお客とにこやかに対応しているのが鏡越しに見える。
(世間話っぽいのにも対応しているもよう。)
私は娘との待ち合わせもあったので、

この店を予約しているのは待ち時間が少ないこと、
この待ち時間に他のスタッフが出来ることもあるのではないか(時間を効率的に使って欲しい)、
にこやかに世間話とかしてないで、待っているお客にひとことあってもいいのでは?

とかとか、今回はひとこと言ってもいいだろう、と頭の中でぐるぐるしていたけど

Sさんが走ってきて
「すみません、遅くなってしまって。」と笑顔で言われたら、
「いえいえ、大丈夫です。」と答えてしまった。

そんなもんですね。考えることと実際に行動する間には大きな壁がある。
(それにSさんのよさは、疲れていてもこちらがわがままを言っても迷っても
 気持ちよく対応してくれるところなのだ。)

切ってもらった髪は、いつもよりも気に入った。
帰りはクリスマスに売れ残ったお惣菜を30%OFFにてお買い上げして、娘と帰る。



2012年12月24日月曜日

よるごはん

■■■
連休一日目、ワインが一本だけ残ってる!と、思ってビーフシチューを作った...
のに、ワインを出してみたら、白色だった。
「え~!赤じゃない!」
一気に心がささくれだってしまい、食事時、Gさんに対する会話はトゲトゲでした。
娘はそれを聞いて、がはははと笑ってた。

+++
「そういえば、○○ちゃんのお母さんから聞いたんだけどさ、・・・・
あ、これは△□ちゃんのおかあさんが言ってたんだけど、・・・・
あれ、なんで、あんたの友達はお母さんに話してるのに、うちじゃ話してくれないわけ?」

「そりゃ話す時間が無いからでしょ。平日の夕食は適当だし。
ママがもっと早く帰って きたら、ほら、こんなふうに話ができるんだよ。」

ああ、そうね、たしかに。


家族は食事から。
人間らしく食べること。

(来年はこれで。...って、あんた来年から帰りおそいじゃないですか。)

ひまわりの海

大河「平清盛」も終わってしまい、「シャーロック」以来の毎週の楽しみもひとつなくなってしまった。

■■■
ひまわり」といえば、あのマンシーニの胸がつまるくらいの切ないメロディと
視界いっぱいの、ひまわりの海。
でも一方でソフィアローレンの、ぶあつい唇と薄幸はとうも自分の中では結びつかなくて、
個人的にはロシア人の妻の可憐さのほうが印象的、な「ひまわり」でもあります。

館野泉「ひまわりの海」に掲載されている、ひまわりは、
フランス人作曲家セヴラックの晩年住んだスペインとフランスの国境の近くの風景なのか。
セレの町並みの写真は懐かしい気持ちを起こさせるような空気を感じます。

館野氏は、脳溢血の後のリハビリ後、左手で演奏を続けていて、
復帰まもなくの演奏会の後、ひとりの婦人から次のような質問があったそう。
 「あなたは長い演奏経験をお持ちで、レパートリーも膨大なものがある。・・・・・しかし今は右手を使えず、不自由である。以前は自由につかえたものが思うようにはならず、左手だけの演奏を余儀なくされ、もどかしく、口惜しくはないだろうか。」
それに対して館野氏は答える。
「口惜しくはないとは言えないだろう。今まで弾いてきた音楽を、どうして忘れることができよう。・・・しかし、これもありのままを正直に申し上げるが、今感じているのは音楽の喜びだけである。音楽がまたできる、指を通じて、全身が、自分の存在が楽器に触れ聞いてくださる方々とそしてこの世界と一体になっていく、その感覚だけである。・・・・」 (「ひまわりの海」より)

館野氏の人間性もうかがえて、くすっとするところもある。



 ひまわりの海













気になってセヴラックのCDも買ってみた。

ひまわりの海~セヴラック:ピアノ作品集

お休みの日の陽だまりの 中で聞きたいです。
こういう、やさしく懐かしい音、好きです。

2012年12月23日日曜日

ご帰宅

もしや、やっぱり雨コンか?
と、天気予報を見ては1週間前からうなだれていましたが、
土曜日は午後から晴れました。やったっ。


部品交換&調整に出していたコントラバスを取りに行きました。

(車の免許無しなのでいつも電車&徒歩+Gさんの支えつき)
習いだしてから、ずっと片隅に、だけど、でんと構えていたヤツがいなくなって、
そして1週間も練習できないってのは、何かが欠けてる毎日なんですよね。

+++
駒とテールピースワイヤーを交換、ネックの調整で、音がやわらかく変わりました。
倍音が増えたようなイメージ。楽器自体の調子もよくなって、はしゃいで2時間も練習してたら、
腰がてきめんにいたくなりました。うう。

2012年12月19日水曜日

早く帰った夜は

■■■
今日の帰りは早かったので、餃子。まるい餃子です。
作ってたら、いつもの夜ごはんの時間と変わらなくなっちゃいました。

体重増加気味なので、控えめに食べよう。
(といって、芋けんぴで胃と心の埋め合わせしていたら意味ないんだけど。)

舘野 泉「ひまわりの海」を風呂に入りながら読む。
館野さん、ピアソラ好きなのだそうだ。意外。
んーエッセイ読むのもいいな。
フランスの田舎の写真、一面のひまわりの写真、
胸が苦しいくらいな既視感にとらわれる。
夕日の中にいると時折切なくて悲しくなってしまう、あの気持ちに似ている。

+++
娘が帰ってきて、制服がよごれたというので、夜10時すぎから洗濯。
こんなひだひだのスカートに朝アイロンかけるのやだからね。
娘に早起きしてアイロンがけしてもらおう。

明日は一番の寒さらしい。

2012年12月18日火曜日

暖かい陽射しの中で

■■■
お昼時の電車の中で、うとうとしていたら、前方右上でうっすら動くものの気配が。
目をあけて確認してみたら、向い側に座っていたおじさんの、
靴を抜いて5本指の靴下同士をもそもそとこすり合わせて指を掻いている、その動く足だった...。

おじさんの手と目線はずっとスマホだったけど、
足、すんごく痒そう。

電車を降りるとき、そのへん一帯を大きく避けて、気持ち息とめて降りました。
白癬菌、ついてこないでね。

+++
今日は半日立ち作業で、帰りの電車は、新幹線ローカル線ともに久々の爆睡だった。

2012年12月15日土曜日

家のあかり

■■■
金曜日の話。
打ち合わせの掛け持ちで(間に新幹線での移動あり)、
朝は4:50分起床ですわ。眠い。
痛めた腰が痛くてしんどい。
温湿布+ほっかいろ+葛根湯で、なんとかしのいでいる。

朝、まだまっ暗な中、起きたら娘の声が。
「今日は、ふたござ流星群が見えるんだよ、きれいだよ。今でも見えると思うよ。」
そうか、夜中、娘がごそごそやってたのはそのせいか。
「時間があったら見てみるよ。」
と、答える。

身支度をしていたら、娘が起きてきた。
窓を開けて毛布をかぶって空を見ているので、一緒にみてみた。

「みえないねえ。」
2分ぐらい後、きらり、と、光をみた。
「ああ、あの山の向こう光ったよ。」
と、母が言ったら、
「ああ、それだよ、それ!!」

言った後、娘はさっさと自分の部屋へ。
あれ、自分はもういいのかな。
それとも母に見せたかったのか、
一緒に見る、ということをしたかったのかな。


+++
最後の打ち合わせが終わって、後輩くんと一緒に電車に乗った。
後輩くんには1歳になる女の子がいる。
「最近はボクが夜ご飯つくってるんですよ。鍋とか簡単ですから。
ヨメは子供といっしょに寝ちゃってるんです。女の人は大変ですね、と思いますよ。」
「ああ。両方してみた思うんだけど、仕事してるほうが楽だって思うよ。
 だって、仕事の相手は言葉が通じるもんね。時に感謝もされたりするし。」
「ほんとっスよ。だってボク、休日のほうが疲れますもん。
 あれを一日ずっとやってるのかって思うと、ご飯くらい作ろうって思いますよ。」

その後、仕事と子育て両方、大変ですよね、と言われたけど、
比べたこと無いから大変だったのかどうかは分らない、ってゆーかその時期、そんなこと考えてない。
だって、赤ん坊はそこにいるんだから。
言葉が通じないし、機嫌が悪くて泣いて、おなかがすいて泣いている、
その小さいものに対応するのに精一杯で、大変かどうかなんて考える暇は無いよ。

でも仕事と子育て、家事を同時にやってきてよかったなと思う。
それぞれがそれぞれの気分転換になっていたような気がする。
子育てだけやってたら、精神的に持たなかったかもしれないよ、私の場合は、だけどね。

などなどと、話したら、
なるほどー、そうかもしれないッスね。
と後輩くんは言ってた。

+++
家に着いたら真っ暗でだれも帰ってなかった。
(Gさんは仕事、娘は予備校)
チャイだけが、眠そうにあくびしてた。

ずっと前、娘が言ってたのを思い出した。
「ずっとね、家に帰って来て誰もいないっていうのが、さびしかったんだよ。
ママは帰って来て私がいたから、さびしくなかったと思うけどさ。」


たしかに。
だれもいないってさびしいね。
あんたが家にいてくれて、母はさびしくなかったよね。

レッスンメモ29

■■■
メモしわすれてた。
先日のレッスン。年内最後です。

シマンドル教則本と愛のあいさつ、ふたたび。

教則本は、ほんとにいつもおなじことを注意されます。
八分音符は弓使いすぎること、
アップが乱暴なこと、
手首が硬いこと。
言われると気をつけるんですけど、その注意力が最後までもたないんですよね。

「愛のあいさつ」は、スラー、音域、音符の混み具合と言い、
がんばりたい、もっとうまく弾きたいと思わせる難しさなので練習もしがいがあります。

+++
さて、楽器を修理に出すことにしました。
ずっと前から黴が生えてしまった(!)コマと
ずっと前から錆がはえてしまった(!)テールピースワイヤーの交換です。

先生1も先生2もおすすめという、高田馬場にあるコントラバス専門店へ
小雨のなか、行ってきました。
お店の中には修理を待つたくさんのコントラバス群。
コマの高さはどれくらいにしますか?と聞かれ、
「G線は7mm~8mmくらい、E線は11mmから、12mmくらい
...がいいって先生に言われたんですけど。」
「そうですか...(表裏、コマ、指板など楽器を見てくれて)。指板が少し反っているので、
このあたりも調整したほうがいいかもしれません。」
「あんまり調整出すことも無いので、必要なところは調整お願いします!」
とお願いしました。
弾きやすくなってもどってくるといいなあ。


「そういえば、コントラバス運ぶときって雨率高いね。雨コントラバス?...雨コン?」
とGさん。

そんなことを考えるとこれからも雨に当たるような気がするし、
いやいやいや、考えないようにしよう。



2012年12月11日火曜日

寒さのせい重さのせい、それとも筋力(トシ)のせい

■■■
寒くなった、のと、たぶん関係するんだと思う。
どうやらきた。腰にきた。
生協から配達された水1L×6パック×2を持ち上げようとしたとき。
...これはギックリの手前ですね。

ここしばらくなかったのにー。


+++

「ねえねえ、物理意外とよかったんだよ~」と娘が言うので、
「何点だったの?」と聞いてみた。
「○×点!」

え。それはどうコメントすればいいんですか?それっていい点数?

「100点満点?」「そうだよ。」
「平均点は?」「△■点!」

え。それはどうコメントすればいいんですか?それっていい点数?

「そうだよ。苦手なのに平均点に近いじゃん!」

ああ、そうかそうなのか。
むーん(-_-;

2012年12月9日日曜日

ゲベルツはゆるい気持ちにさせる

■■■
あ、
「そういえば...。」
思い出しちゃったので聞いてみた。

「このまえテストあったよね。結果は?返ってきた?」
「う。いきなりですね。」
「あ、いやー思い出したからさ。で、返ってきたの?」
「うん。まあ文系的な点数ですな。」

「数学は?」と聞いてみたら、「言いたくない。次がんばる。」ということだったので、ま、いいか。
「じゃあ国語は?」と聞いてみたら「平均点は超えたよ。」ふーん。
「どんくらい超えたの?」「だから。平均点は超えたよ。」ということだった。ふーん。
「英語は?」と聞いてみたら「まだ。」らしい。

ま、いっかー。

中学入学当時は、この先この子も勉強が上手になって高い偏差値の大学へ入学、なんてこともちょぴっとくらいは思わないではなかったけど、もうそういうこともあるまいのう。成績的にもだけど、偏差値とかって彼女自身の視野の中には入っていないしなー。....入ってないのか、他に大事なことがあるでしょ的はスタイルを理由にしているのか、はてさて。

「うちの学校ってさ、大学ってよりまず何になりたいかってことをいちばんに考えなさいっていう空気があるんだよ。それはもうあきらかに。先生がはっきりとは言うわけじゃないんだけど、友達や先輩の話を聞いてたらそれははっきりとあるんだよね。私はそういうのって大事だと思う。まず自分がどうなりたいかがあって大学があるわけでしょ。それがはっきりしていれば、もし大学に落ちたりしても大丈夫だと思う。」
 
先日の保護者会でも、同じようなことを先生方が言ってた。
学校の、ずっと続いている姿勢なのだと思う。(時勢に合っているのかどうかは分らない。)

「でもあんたの学校の先生は、生徒とか、生徒がどの大学に行くかってあんまり興味なさそうだよね。」
「ああ、そうかも。どっちかっていうと、どのように世の中の役に立つかっていうのを考えてるかもね。」

ミッション系の宗教色こい学校でもある。
ちょっと前の個人面談でも文型理系の選択の話もあったはずなのに、娘が将来希望する方面の話になっても特に意見されることも無く、語学の話で盛り上がった(←語学オタクの先生らしい)、らしい。
そういう学校の雰囲気や方針が、世の中の流れに合致するのか、
それともこの先取り残されて小さくなっていくのか、それは分らないけれども。


母が入学当時娘へ抱いていた、淡い偏差値的な期待はもうない。(逆に、少しはあったのだ。)
今は、いい大学を出て大きな企業へ就職してその先に本人が望む生活が待っているとは限らないと、自分やまわりの大人を見ても思っている(ただし、一般的にいい大学っていうのは、本人の選択の幅を広げたり人脈作りの助けになると思う)。それより以前に就職難といわれる時代だから(数年後はわからないけど)、希望するところでお仕事できるとは限らない。

本人とって将来の方向性が決まっていれば、おのずとこれからの選択も明確になってくるのかもしれない。 中高一貫へ入れたのはこういう考える時間を持ってもらいたかった、という理由もある。
日本でもどっかよその国でも、ちゃんとどうにかひとりででも生きていけるだけの力を持つってことが大事なのかなー、と、入学して4年たっている今は思うようになっている。

彼女が言うように、手段としての語学力と自己表現能力を磨くってのは土台として必要なのかもしれない。その上に技術とか技能とか専門知識とかを築いていくっていうストーリー...(らしい)。
 
食事中、いきなりそんな話になったりして。
母はワイン(今日はゲベルツ)を飲んで気持ちも緩んでいいたので、
数学の点数言いたくない、と聞いてもま、いっか、と思ったのでした。

+++
中学受験時、小6の夏以降、得意だった国語の点数が落ち込んだ時、心配する母をよそ目に、
「記述をちゃんと習いだしたのは最近だから仕方ない。もうすぐ上がるよ。」と一見平気な顔をしていた娘を思い出す(娘の予言どおり最後は上がりました、それも高く)。母はもう、どきどきもんでしたが。
めっちゃ心配性でもあり大丈夫だよという前向きさも持っている、でも部屋は汚いのは相変わらずでよくモノを探していて食べ物に関しては容赦ない...そんな娘のアンバランスさがおもしろい。

「早く大学生になりたいなあ。」
「あのね、今の積み重ねがあって、初めて未来があるんじゃ。」
「言われなくてもわかっとるわっ、そんなこと!」

しかしな。先ばかりみて、大人になり急ぐなよ。



2012年12月6日木曜日

満ちた夜

■■■
寒いし眠いです。そして忙しいです。
どれくらい忙しいかというと、仕事中にこっそりブックマークしてあるページも読めなくらいです。

+++
先日、スタインウエイピアノ演奏会(ピアノは館野泉さん)を聞きに行きました。
ricoさんにお誘いいただいたので(ありがとうござました!)、スケルツォさんともお誘い合わせの上。
ピアノは、聞きこんでいるわけでもなく、楽器の違いが分る耳も持ち合わせていないのですが、
館野さんの音を聞くと、音が”満ちている”という気持ちになっちゃうんですよね。

はたして何に満ちているんだろうなー。
ここちよい質量と適度な湿度に満ちた音。
水? 
おかあさんのおなかの羊水の質感かしらねえ...
なんて考えてしまいました。

初めて聞きましたが、
スクリャービンの「左手のための作品 前奏曲・夜想曲」がかっこよかった。
アンコール2曲目のカッチーニのアヴェマリアは、
会場のみなさんの期待と静寂に満ちた空気の中で。


またコンサートいきましょう。

+++
家に帰ってくる途中の駅で、仕事がえりのお疲れ顔の同僚に会いました。
すんません、わたしばっかり遊びに出て....(しかも半休だし)。

2012年12月2日日曜日

伴奏作成日和

■■■
スコアメーカーでアンサンブルの練習用の音源(伴奏)を作成中。(って、主な作業はGさん)
コントラバスパートはメロディはあまり無くて(私レベル的に)音が高くて難しいので、
部分的に練習して弾けてもももちろんダメで
イザあわせてみると、あわわわとなって置いていかれてしまう。
曲の中での位置取りとかバランスとか、
それよりも何よりもインテンポで通せる集中力も練習しておかないと。
その前に弾けるようにならないとね。

というわけでやっとできた。音源が。
あとは練習練習。

+++
月曜夜のNHK Eテレでやってる「スーパープレゼンテーション」を録画してみてる。
TEDの模様を解説付きで放送しているんですけど、面白いです。
先週のは、心理学者シェリー・タークルの
「Connected, but alone?(つながっていても孤独?)」 で、
テクノロジーの進歩とともに自分の存在の確認方法が変化してきている、といった内容(たぶん)。
ネットでの修正可能な自分を、つまり見たい自分・見せたい自分を伝えることで
自己の存在確認をしている、というようなことを言っていた。
「我思うゆえに我あり」から「我伝える、ゆえに我あり」になってきている...
そんな切り口から始まる。

たしかに、つぶやいたり、ブログやメールってのはそうなのかも。

測定範囲のある感覚(センサー)で外界の刺激をセンシングして、記憶と演算処理をする私たちにとって、もし、刺激の質が変わりそれにともないセンサーが拡張されたら、取り込める刺激範囲も広がって認知、信号処理の仕方も変わっていくかもしれない。テクノロジーをうまく使いこなすことで、新しい刺激を(選別・判断して)取り入れることができるようになるかもしれない。
自分のまわりの世界、つまりは自分自身をさらに詳細に解像していくことが、死ぬまでの楽しみの一つだとも思うので、んー、ここはデジアナ混在でやっていきたいものだ。(ってどこかでも書いたけど。)