2011年3月31日木曜日

「新幹線が復旧したら小麦粉と酵母を持って行こう、パンが焼けるからね」と娘は言う。

どこかに書こう書こうと思っていて放置していたのですが、
このブログのコメント機能には、勝手にスパム判断機能があるようです。
「あれ、書いたコメントどこへ?」、と思った方、
すみません、スパム解除しないと表示されない状態になってます。
スパム判断基準が何なのか良く分からなくて。
また、携帯からコメントの投稿ができないという問題についても調べてみたのですが、
これも良く分からなくて。

Bloggerは親切じゃないけどやろうと思えば何でもできる、らしいのですが
素人さんが手を出したらアカンかったのかしら。

ま、でもそれもまた一興。楽しめる余地があるというもの。(なんのこっちゃ)

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明日は、出張じゃない、のはちょっと嬉しい。
朝がゆっくりできるからです。
あ、そうだ。明日の朝はご飯を炊こう。

出張から帰ると夜ごはんを作る気力があまりなく、
しかし揚げ物系お惣菜はお腹に厳しく、
葉ものとトマトなんかでサラダとスープっていう感じの夜ごはんになってます。
こういうのが続くと、
うおー、お惣菜じゃないお袋の味、プリーズ!
って手をグーにして夜空に叫びたい気持ちになりますね。
煮物とか食べたい感じ。
なので(?)今日は白菜と豚バラとニンニクとお酒と塩、昆布をぶち込んで煮ました。

こんなタイミングの時にはだいたい実家からいろいろ送られてきたものですが、
今は実家でも食べ物無い状況。(Gさんちからは佃煮とかいただいてありがたや。)
「送ってくれるならなんでもいい。美味しいもの。パンとか食べたい。
カップラーメンとカレーはもらったからあるよ」
なんて言われると切なくなっちゃいます。
(今、送る食料をせっせと買い集めてる最中。)




来週は、娘を親戚の家にやって宿泊しようかしら、などと考えながら
泊まるならどのホテルがいいかしらと物色。

2011年3月30日水曜日

なぜ文明堂のカステラ

5時半起床。
身支度してチャイのエサの準備をしてから人間の朝ごはんの準備。
6時過ぎに食べ始めるけれど、20分はかけたい朝ごはん。
7時ちょい過ぎに家を出ます。
混んだ車内がいやなので、乗り換えの一駅分歩いています。

片道2時間半はやっぱしんどい。(それでも怠けて10時くらいに現地に到着)
でも新幹線通勤をしているしている人は結構いますね、顔ぶれが同じなので分かります。

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今朝、実家に電話をして、
「週末に何か送るよ何がいい?」
と実家の母に聞いたら、
「何でもいい。気持ちだけでありがたいわー。
お米ばっかりだからパンとか食べたいな。
そういえばお父さん、文明堂のカステラ食べたいって。」

なぜ今文明堂のカステラなのだ?
あいや、そういえばずーっと前から食べたいなって言われていたな。
探して送ろう。
(実家の)母は白内障の手術を本当だったら今日やるはずだったのだが、
お医者の準備がつかず、いつになるかわからないそうだ。
大丈夫かなあ。


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昼休みに、被災地に医療スタッフで行かれた方のブログを読んでいて
ああこれはまずいぜったいまずい昼休みになんか読むべきじゃなかった、と思ったときにはもう遅い。
そんな時に会っちゃうんだよね知り合いに。
挨拶のあと、技術的な話をになったんだけれど、私の目からはもはや落ちそうだった。

こんな損失大きいことしてないで、ばりっと仕事しごと。
今まで通り、食べて、飲んで、読んで、仕事して、回していかなくては。



2011年3月29日火曜日

3月なのに寒いです。

地震以降、新幹線通勤した先で仕事をすることが多くなった。
今週も週4日は出張。
(出張しないいつもの職場では、コンクリートの固まりが冷え切った中で
暖房が入らずコートを着て震えて仕事をしている。)

計画停電での節電といっても、関東の自分たちへの供給のためだ。
関東へ電気を送るために、東北福島に原発があった。(東北へは東北電力)
そして東北での今回の原発事故。

そして東京の真ん中では停電が無い....。



東北方面への宅配便も再開されたのに、
実家に荷物を遅れていないのが気がかり。
食べ物がそろそろ無いらしい。
次の休みには、たんまり買って送るよ。
まってて。


2011年3月28日月曜日

結婚式、そこに集う人々を見るのは楽しい

Tさん結婚式。
おきな災害となった地震の直後でもあり、新郎新婦は集まる人々の安全を考えて
披露宴をしようかとりやめようか最後まで迷ったとのこと。


カッコイイ機長のスピーチ

ケーキカット

二人のスピーチ

お色直し

Gさん、娘、母の3人で参列。素敵な式でした。


さて、今後下記に全て当てはまったら、お酒を控えましょう>自分。
教訓。後悔先に立たず:事が終わった後でいくら悔やんでも、手遅れで取り返しはつかない。

---[チェックリスト]---
・すごく楽しい。はしゃぐ。
・お酒が無尽蔵にある。
・Gさんがいて安心。
・動き回る。走りまわる。
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Gさんの、イザとなったときの頼もしさを実感した式でもありました。




2011年3月26日土曜日

インテルメッゾ

金曜の夜は女子会。
4月に異動となる女子会メンバーの送別会のために、随分前からビストロを予約していたのです。
計画停電もあり、お店お休みだったらどうしよう、と思っていたのですが、
停電の時間帯が外れたので無事開催です。

話の内容は、うら若き(!?)女性にしては若干オヤジくさい職場の不満話もあり、
(やばい、こんな話を娘に聞かせるからサラリーマンはイヤ、とか言われちゃうんだよなー)
それぞれの配偶者の自慢話などもあって大いに盛り上がりました。
私もおしゃべりの楽しさもだいぶ分かってきて、
みんなの話をテレビを見るようにしみじみと聞いていたら
「眠そうですよ。」
と、言われてしまいました。(おや?)

まあ、時々、自分の中にもぐりこんじゃったりもしますけどね。
目の前の話に集中集中...。

Tさん、あっち行っても元気でがんばれよ。

カメラを持って行くのを忘れてお料理を記録できなかったのですが、
一皿のボリュームが大で、デザートの前にお腹いっぱいになってしまったのは久しぶりです。
メインには鴨のコンフィをいただく。
コンフィって食材の脂でゆっくりと煮る料理ゆえにカロリー考えたら怖いけれど
絶対自分では作らないお料理なもんで....、たまにはいっか。


■■■
娘は買ったミシンと型紙、生地とで格闘中。
洋服新作が出来上がりつつあります。
娘よ、おおいに使って、ぜひモトを取ってくださいよ。

母は、コントラバスレッスンをずっとお休み中。
停電が多くて会社じゃ仕事ができないので出張先にてお仕事です。
帰ってくるのが遅いと、なかなか通えない...。

チャイは、休日の今日、だいぶくつろげるようになってきたのか、ご機嫌で歌を歌っています。
先日のGさん実家への新幹線往復と柴犬との生活ではずいぶん緊張と窮屈を強いられたのか、
家に帰ってきて、放鳥したら
「よくもオレ様をこんな目にあわせたな。腹の虫がおさまらん、一発殴らせろ!」
の心の声とともに、私に向かって飛びかかってきたのでした。(足パーンチをくらった)
それ以来、ずっと機嫌が悪かったのです。(威嚇するんですよ)

Gさんは、いつものとおりのほほんとしています。
なごむわー。

2011年3月24日木曜日

発電エネルギーと私の生活

停電になると、全く仕事にならない。
終夜連続の計算に頼った仕事のスタイルなので、細切れの通電では何もできないのだ。
(これまでってUPSを考えなくても良いくらいの信頼性の高いエネルギー供給だったわけね、と今更思います。)

現代においてモノを作ることに対する電気依存度の高さを実感・痛感している今日このごろです。

そして今の私の生活を支える経済基盤、日本の経済発展は電気の供給とともにある。こんなに電気いらない、ってことを言うのは簡単だけど、今のようにモノが買える経済水準を落とした生活をも含めての”電気こんなにいらない”って、果たしていえるのかと、自問してしまう。
明かりやお湯だけでなく、食費、娯楽費、子供の教育費...それらをも支えているのだ、発電の量ってのは。

以前読んだ地球持続の技術」のデータは少し古いと思うけど、発電に占めるデータがあった。
・発電のロスが3/1
・モノを作ることに費やされる発電のエネルギー比率は1/3
・輸送が17%弱
・家庭でのエネルギー消費は1割り弱

モノを作って売っている日本では、発電し、それで素材とモノを作り経済を発展させ生活を豊かにしてきた。単純に、電気こんなにいらないって、いえるかなあ、ちょっと考えさせて、となってしまう。



「地球持続の技術」の筆者、小宮山さんは次世代のエネルギーについても言及していて「原子力に関しては現在の人間の能力を超えているように思えてならない」という意見にやっぱり同感。
筆者はそれに対して、4分の1のガソリンで走る自動車や5倍の効率のエアコン、太陽電池の可能性などの検討、エネルギー効率3倍増、自然エネルギー2倍増をめざすビジョンを提出して地球を持続させる完全循環型社会への道すじを示している。
これに近づけられればいいんだけど。

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原発事故に対して、深刻に受け止める、または大げさに言い過ぎる、とかパニックにならないように、離れれば大丈夫、などいろいろな意見があるけれど、心配は心配。専門家ではない私たちにとって、心配は必要だと思う。子供を関東からもっと西へ疎開させるっていうのもありだと個人的には思っている。停電はあるし食料は買いずらいし、おまけにうちでは親が仕事で日中は子供一人になっちゃうし、今後事態が悪化することも十分ありうるし、そうなる前に移動しとくというのはひとつの対応策。
そう思って、娘をGさん実家に疎開させようと連れて行ったのだけど、「やっぱり家がいい」と一緒に帰ってきてしまった。

出張中の心配ごとがひとつ増え、放射線量の時間推移を毎日眺める日々です。


スーパーが早くにしまってしまうので、書い足しができず、家に食料がなくなりつつあります。
で、駅中の総菜屋さんだ、と思って寄ってみたら行列が...うう。



2011年3月23日水曜日

暗闇を蝋燭が照らす

蝋燭のトップブランド、カメヤマローソク。
それを両手に持って、お土産として朝、ご近所に配ってまわりました。
(留守中セコムのランプの件でご迷惑をかけたことも含む。)

お話好きな方も多く、最近スーパーにモノ置いてないんですよね、な話をしたり。
「あらー、お宅大丈夫?うちにお米はあるわよ、持ってく?」とか言われたり。
この辺一帯はなんだか部落的なつながりがあると思う。

今日は夜、計画停電です。
会社帰り、やはりスーパーあいてない。
だからイタリアパン屋さんによってパンを選んでいたら、なんだかお店の人と話が盛り上がっちゃって。
「あ!トマトのジャムだー。チーズは置いてないんですか?」
「置いてないんですよ。取り寄せはできますよ。」
「トマトジャムをチーズと合わせるといいかなと、思って。」
「あ、もしかしてお客様、ワインとか好きでしょう?」
「はいはいはい。」
「ジャムとレーズンとくるみのパンとか、美味しいですよ。ご家族何人ですか?」
「3人です。」
「じゃあ、おまけ!パンももう残り少ないし。」

買ったよりも多く、おまけをいただきました。こういうおしゃべり、うれしい楽しい。

家に電話をして娘にお風呂入れてもらって、帰ってすぐさくっとお風呂に入っちゃいまして、
蝋燭をともして夜ごはん。

 ガラスホルダーの中の蝋燭。きれいです。













 防災用におすすめ、とあった24時間蝋燭と。














でも食卓の上は雑然。
娘が作ってくれた小松菜のパイタン風スープを味噌汁用のお椀でいただく。
これとパンという寂しく不思議な食卓。
「肥えたわたしたち、ダイエット中ですから!」

週末には女子会、結婚式と続くイベントに備えてマス。







ひまになったので、暗闇の懐中電灯のもと、コントラバスの練習をした
...ら、予定の時間よりちょっと早くに電気がきた。
娘爆睡中。

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計画停電中の会社は寒い。
寒い中で、面白い記事に当たった。

「日本の真の色が光るように 外国メディアも混乱しまくった大惨事のその先で(加藤祐子)」
http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20110322-01.html?pageIndex=1
災害を取材する日本、諸外国のメディア姿勢、情報ストリームを整理するような記事です。


記事の途中の#no_edano_no_lifeのくだりに、ちょっと微笑む。
(記事ってすぐに無くなっちゃうからちょっと抜粋)
あまりに連日連夜タフに記者会見する枝野官房長官について、Twitterを使う人たちが「枝野、寝ろ(edanonero)」と言い出して、それを共通の合い言葉とし始めた。それを外国メディアまでが伝えたという話です。これはその後、 「#sleepforjapan_edano」「#edano_netekure」「#edano_go_to_bed」、「#listen_to_edanono_neiki」、「#we_are_the_edano」、「#edano_my_angel」などとあ れこれ進化を遂げ、つい先ほど見た最新版は「#no_edano_no_life」でした……。
 (もう少し抜粋。後半の部分の一部)
それに震災取材をしている海外メディアの場合、上述したような(初めて日本に来た)スター記者たちを筆頭に、まずその記者が、1)日本語が分かる のか、 2)日本語が分かるとしても、日本の役所や日本の大企業に特有の記者会見スタイルに慣れているのか、日本での取材経験はどれくらいあるのか――な どが、そ の人の情勢把握能力に大きく影響すると思います。定常的に政府や企業を深く取材し有力なネタ元をたくさんもつ敏腕記者は、日本の外国メディアにも 勿論いま す。その一方で日本人だって、霞ヶ関をあまり取材したことのない記者は、中央官庁の会見スタイルやそこで使われる表現に最初は戸惑うものです(たとえばそ の昔の私)。中央官庁や大企業による情報の出し方が優れているなどと言うつもりはありません。
けれども提供されている情報を受け取って適切に消化 できるか どうかには、個々の取材技術の問題も関係してくる。まして取材する側の知識や冷静さも大きく問われてくる。ひいては個人としての人間性も問われて く る。(日本人記者に時折みられる)記者会見で発表する側を罵倒したり嘲笑したりするなど、最低の姿勢です。けれども、ともかくも不安だからでしょうか、Twitterで見かける一部の日本の人の間には、日本政府は信じられないがフランス政府やアメリカ 政府やイ ギリス政府なら信じるという傾向があるようです。また日本のマスコミは信じないが、CNNやBBCは礼賛するという傾向も一部にはあるようです。 外国メ ディアだから優れているわけではないと私は思うのですが。外国メディアのどの媒体か、どの記者による記事か、あるいは誰がそれを言っているのかを 見極めな ければ、その情報がどれだけ有用なのか判断はできないはずです。CNNだから正しい、BBCだから正しいわけではありません。

「true colors」とは日本語で言うなら、その人の本質・本性。ないしは「地金」のことで、この10日余り、これほどの危機的状況だからこそ、色々な人の地 金が露呈されてきた、と筆者は言う。さらに、著名人、一般人マスコミも企業も、政府も、国そのものも、あらゆる組織も含めてこういう危機に際して れぞれの「True Colors」があらわになる、と〆ている。
長い記事だけど、読み応えあります。


そういえば、災害後、ボランティアについて一時”共感または善意の炎上”が起こったブログ記事が23日で削除となリました。ボランティアについて自分の記事が誤解を生じさせている、と感じたからの削除のようです。私も読み、娘に内容を話したエントリでした。物事には当てる物差しにより何を測るのか、そしてその計測量も異なりますから、内容や削除そのことについては置いておいて。
削除されてしまいましたが、多くの人たちが読み共感し引用しているので、”被災者の役に立ちたいと考えている優しい若 者たちへ~僕の浅はかな経験談~”でぐぐれば読めます。
こういうふうに、ビットの海の中で共感の遺伝子として残ってゆくんだなー、と思った次第。


2011年3月22日火曜日

キュレーションの時代

社会人になってすぐの90年代初め。
モデムとモザイクあるいはネットスケープ。電話代を気にしつつ波乗野郎
検索機能は貧弱でたどり着いたHPに貼ってあるリンクを頼りにヨタヨタとネットを徘徊していた。

数年前には、データとノイズとゴミの中から自分にとって価値ある情報を拾い出す作業となり、これからはコンテンツの真偽を見分け情報を再構築する力が必要だと思っていた。
今はデータやコンテンツよりも共感できる人を探す。本を探す時には人を探す。自分と同じ趣味の本を読んでいる人を過去ログを見て探すのだ。科学系、メディア、経済などのデータが欲しい場合、どのように考えるかの手がかりを探したい場合もやはり人を探す。過去に書いていることを読んで考え方に共感できるかを判断するのだ。

その流れが本書にはとてもすっきりと書かれていて、すっきりと腑に落ちた。


著者の佐々木氏曰く、
私たちの世界の膨大な情報のノイズの海から、小さなビオトープに適した情報は、多くのキュレーターたちによってフィルタリングされ、コンテンツに新しいコンテキストを付加した「視座」を与えられる。そして常に「視座」は組み替えられ、それらの膨大な視座の「ゆらぎ」がセレンティビティ(すごく良い情報を偶然見つけてしまう)の源泉となる、という。

セレンティビティの反対語は「タコツボ化」。個人は情報の視座を固定化せず縦横無尽に「自己の世界の意味的な境界(セマティックボーダー)」つまりは情報のフィルター、それを組みかえてゆく 。





キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる










キュレーション[curation]:無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界簡に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること。

 

ひさしぶりにNHKで拝顔したんでした。




大根仁さん(http://blog.livedoor.jp/hitoshione/) のところより。


2011年3月21日月曜日

ミシンとワイン


GさんちでGさん母に教えてもらいながら初めて洋服を縫った娘。
彼女はかねてよりミシンを欲しがっていた。
一家に一台ミシンがあってもよかろう、ということでミシンを買いにミシンやさんに行く。
(近所に、なんとミシン屋さんというのがあったのです!ミシンを買うならば触って確認して、アフターサービス付きのお店で買うほうが良い、と言うGさんが探してくれた。)
お店の人に「何が作りたいんですか?」ということを聞かれて、「洋服」と娘が答えたら、
「それならこれくらいの機能が必要です」、ということで2台ほど試し縫いをさせてもらう(←娘が)。

試し○○すると結局値段の高いものになってしまう、という類に漏れず、やはり値段の高いほうに決定。
選んだ機種の方が、縫う際の安定感が違うのだ。(←母も試してみた)

まあ、よかろう。
小学校のときの防災頭巾カバーとか家のカーテンを数時間かけて手縫いした母は、思った。


ミシンやさんに行く途中、昼ごはんを食べにイイダさんのお店に行く。
「席ありますか?」
「本日は、ものすごくたくさん席あります!」
大地震以降お客の入りが不安定とのこと。

バルベーラ ダルバとサンジョベーゼのテーブルワイン、ブラッドオレンジジュース、
それから3人で全部違うメニューを取り分けていただく。
いつものように、ものすごく美味しい。
お客は、他に一組だけで、そちらの方たちもワインを飲んでいた。

その後、本屋さん手芸やさんにより帰宅。
スーパーや駅ビルの照明は暗め。外国の駅みたい。
普段でもこれくらいでいいのに!!

夜ごはんは簡単に。
自宅でも、明かりは大人の雰囲気、家全体がムーディーです。

コントラバスの練習を一週間ぶりにする。

■■■
今までアフリカの難民やアジアの子供たちの悲惨な状況を読んだり見聞きしながら美味しい食事をする自分を、自嘲するという行為で言い訳をしてきた。彼らが距離的に遠く民族や言葉が違うから、自分には必要なスキルや人脈、経済基盤もないし、今すぐにはどうにもできないのだという言い訳である。自分を一生懸命生きること、それしかできないという結論に持っていくためだ。

今、テレビで聞くそれは、故郷の懐かしい訛りであり顔つきであり、自分の血の中の出汁のようなものだったりする。けれども今回だって、即、具体的に何かを手伝うことは今の自分にはできない。義捐金くらいである。かといって、テレビを見て涙を流していればよいのだろうかと言えば、やはり、それは違う。今回だってきちんと普通に生活して経済をまわして、できればエネルギー効率の良いモノをつくるという仕事で貢献していくこと、そして、これから10年先を担っていかなければいけない子供をきちんと育てることだろう、と思う。
今の私にはそれしかできないんだよなあ。

気持ち、お財布ゆるめで生活しています。



Gさんちにて出来上がる。
うまく縫えなかったら母がもらえるはずだったのだが...
...もらえなかった。

2011年3月19日土曜日

帰宅

「砂漠に独りになったら、動かずじっとしているのが正解らしいよ。(←会社入ってすぐの新人研修で習った。) でも、私は動いちゃうんだよなあ。まず動いてみてから考えちゃうのよね。」
「でも、それはさ。砂漠で探す人にとって、その人がどこにいるかの目印が分かればいいことなんちゃう?」
「そっかなー。」

そんなことを話しながら本日、Gさんちから帰宅。
地震後、計画停電(交通網が不安定)、余震、原発事故と重なり、
単身赴任のGさんと出張がちの母と自宅待機の娘とがばらばら状態なのが不安で、
「そうだGさん実家に集まろう!」と動いた母でした。
Gさんの単身赴任先も母の出張先もちょっと遠いがそこから通える距離なのです。
5日ほどお世話になり、母と娘は肥えて帰ってきました。

■■■
家を出るときに、また地震や停電があった場合を考えて不必要なブレーカーを落とそう、と考え、
セコム、リビング(留守電)、玄関(帰ってきた時に明かりがほしい)、エコキュート(お風呂用)以外は落としていったのですが。

Gさんちでの2日目の夜ごはんのとき。

あ!
冷蔵庫のブレーカーも落してきちゃったよ....orz

と気がつきました。これは、かなりショック。
生協からの配達があったばかりで、冷蔵庫内は豊かな感じだったのです。
「もう仕方ないから、ここでいっぱい食べていきなさい。」とGさん母。
「(うなだれつつ)...はい。」
そんなわけで、仇をとるようにいっぱい食べました。

また、セコムについては停電後に電源不足で家の外のランプが点灯してしまい、
在宅していればランプを消せるのですが、不在だとそのままランプが点灯してまわっていて、
これはかなりキケンな雰囲気をまわりにかもし出します。
(ご近所の方から連絡いただいた。ありがとうございます。)
セコムに電話しても
「今、手が足りないんです、大変すみませんがこのままです。すいません。」
って、なんのためのセコムじゃ~とも思ったのですが...仕方なく異常事態っぽいランプそのまま。
あとでご近所に弁明に回ろう。

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Gさん実家のあるところは美味しいところです。
海産物はもちろん、家庭菜園でとれた野菜、パン屋さん、鰻やさん...銘菓関の戸もおいしい。
計画停電に備えて、日本が誇るカメヤマローソクを購入しました。
飼っている柴犬と一緒に連れて行ったチャイは緊張状態にありましたが...。


私の実家のほうは、日々少しづつ復旧してきているようです。
電気がとおり、水がきたそうです
私の実家にもやはり家庭菜園があって、
食べるものは何とかなっているとのことです。(ご近所の方と物々交換など)
ただ、今は市販の食料品が手に入らない状態だそうです。
道路が不通だったり物流が途絶えている、遠くまで買いに行くにもガソリンが無い、など。
けれども徐々にですが物流も復旧しそうです。
日本ってすごい、と思います。

原発事故の放射能問題に関しては、不安を煽るような情報もあり、
それらの情報を判断する知識の持ち合わせが自分に無いのが残念。
もうすこし勉強しておくんだった。(ネットでいろいろ情報を漁る)

日々、好奇心を持って確かな情報知識を蓄えたいな、と思いました。
持っていて損はないし多すぎることもないし。



なつかしい生活

Gさん実家にお世話になりつつ、仕事をしたり出張に行ったりしています。
久し振りに大人数での生活です。


ボランティアについて話したり。
救出、復興、それぞれのフェーズで役に立つことや必要なことが違うし、自分は自分の出来る事を粛々とやるのみ。

原発について話したり。
原発が設置してある地方の人々のリスクと、自分たちの子孫へのツケ(使用済み燃料は半永久的な管理。それにも電気が必要。)の上に今の経済と豊かな生活の享受があることを実感している。時間軸も含めて生活を考えなければな、と思うと同時に、「洗濯もの干すの大変だし乾燥機使っちゃえ」なんかの日常の感情もあり、救われないな、自分。
生活デザイン、安全なエネルギー、その他、いろいろ考える....。

自分ちじゃないと、あんまり考えたり書いたりしている隙がない。


2011年3月16日水曜日

一休み

三重県のGさん実家に来ています。
のんびりしています。
こっちでも、乾電池や懐中電灯は店頭から消えているそうな。

でも、自分ちのまわりのコンビニでは保存のきく食糧が消えて行っていて
スーパーではトイレットペーパーは全くなかったからなあ。


....。

2011年3月15日火曜日

今週の予定

出社。
今後の、私のいるオフィスでの計画停電のスケジュールを聞く。
唖然。
こんな断続的な停電では仕事はまるでできない。
(企業契約のため一般家庭とは違うとのこと。)
しかし会社側では、給与支払いの関係上就業状態にしておく必要があるんだって。
今日も、停電前に電源OFF。暗がり寒い中で雑談。
明日からはもっとこの雑談時間が長くなるのか。

ということで2日間有休をとることにした。
ついでに、娘をつれてGさん実家に行く。
娘をしばらく預かってもらおう。幸い春休み中だし。
母は今週は出張先を拠点にして仕事をすることにした。

被災地へは募金以外できることはない。
実家との交通機関は絶たれている。
自分にできることは、娘の安全を確保し普段どおりに元気に働いて、
何かできる機会がきたときに動ける体勢を取っておくことだと思った。


というわけで、このブログも今週は休みがちになるかもしれません。

■■■
今日、スーパーに洗剤を買いに行ったらトイレットペーパーがきれいに無くなっていた...。
なぜトイレットペーパーなのか分からない私はダメダメ主婦なのか。

2011年3月14日月曜日

蝶の羽ばたきほどもなくても。

JRが動いていないので、娘も会社も休み。
どよんと一日過ごしても仕方が無い。

かといって、実家方面への交通手段も(行ったところで邪魔になるか)、物資を送る輸送手段もない。
こういうときには現金だよ、とGさんが言っていたので、銀行経由でとりあえず募金。
それから、節電節電。
今日の計画停電はなくなったようだけど、明日からもあるかもしれないので
何かのときのために手元に現金を持っておこう(いつもあんまり無い)。

んー、こういう時こそ経済活動をしようと思い立つ。
生産ができないから消費だ。
「よし、散歩して、ご飯を食べてこよう。」
と、娘をさそって一緒に近所の神社まで1時間ほど散歩。
外はとてもいい天気で歩いていても気持ちいい。
それに今までに見たこと無いくらい閑散としている。
こんなに人のいないここの神社はこれまで見たこと無いよね。

タカシマさんのお店に行ったら、
「今日は従業員が出社してこれないから一人なんですよ」、といつものニコニコ顔。
お刺身定食、パスタを少しずつ、スパークリングワインにブラッドオレンジジュース。
ひらまさのお刺身がことのほかうまーい。
「ウチは実家が宮城なんですよ。両親と連絡とれたのは昨日です。
で、モノも送れないし、行けないですから、
自分にできるのはまずは経済活動だろうということで、ご飯食べに来ました。」
「ボクもそう思ったんですよ。落ち込んでいても仕方ないですからね、
ボクにできるのはごはんを作ることだけですから、自分のできることをやろうって。
まずはがっつり儲けてから余ったお金で募金とかすればいいんですからね。」

なんて話しをしたりして、蝶の羽ばたきほども無い経済活動。

他に二人ほどのお客さんはやはりみなさん会社お休みになった方々。
「飲んじゃいますか!」とか言ってた。

■■■
計画停電とか交通情報とかの情報を得るために、テレビをつけていたら、なんかイライラするなあ。
特に民放の人たちの話を聞いてると、不手際の解説をしていて不毛だ。これを見たあとではあんたらヒマだね、とか思ってしまう。 

代弁してくれているエントリがどっかにあるに違いない、と探した。
ちょっとこんな気持ち↓

内田樹の研究室
3月13日
未曾有の災害のときに


----- 略-----
(1)寛容
茂木健一郎さんも今朝のツイッターで書いていたけれど、こういう状況のときに「否定的なことば」を発することは抑制すべきだと思う。いまはオールジャパンで被災者の救援と、被災地の復興にあたるべきときであり、他責的なことばづかいで行政や当局者の責任を問い詰めたり、無能力をなじったりすることは控えるべきだ。彼らは今もこれからもその公的立場上、救援活動と復興活動の主体とならなければならない。不眠不休の激務にあたっている人々は物心両面での支援を必要としている。モラルサポートを惜しむべきときではない。「安全なところにいる人間」と「現地で苦しんでいる人間」を差別化して、「苦しんでいる人間」を代表するような言葉づかいで「安全なところにいる人間」をなじる人間がいる。そういうしかたで自分自身の個人的な不満や攻撃性をリリースすることは、被災者の苦しみを自己利益のために利用していることに他ならない。
自制して欲しい。
----- 略-----


で、NHK。
アナウンサーがずっとしゃべりっぱなし。口の筋肉の筋肉痛とかになったりしないのか。



昼にたくさん食べたので、夜は果物とかでもういい。

2011年3月13日日曜日

電話がつながった!

「ツイッターでさー、県外への電話網解放ってあったからつながるんじゃない?」
と、娘が教えてくれた。
電話の通信制限があって今まではつながらなかったみたいだけど、つながるかも!
と、早速かけてみてもつながらなかった。もうしばらく待つか。

しばらくして弟から電話があり、「もうつながると思う。」。
電話してみたら、つながった!
元気でいるらしく、よかった。

実家は、仙台より南、電車で35分ほど。
海から車で1時間はかかるので津波もなく、被害は比較的小さい地域だと思う。
それでも、道路の破壊、家屋、屋根の破壊などあり、同じ町で亡くなった方もいるそうだ。
家の中は、ひびが少し、倒れたものが多々あるらしいけれど住むのに問題ないようだ。

母はいつもはテレビを見ないけれど、偶然その日は何気にテレビをつけたその途端
緊急地震速報(20秒くらい前に出されるアレ)を見て外へ出てそこで地震。
家の中じゃなくてよかった。偶然放送を見てくれてよかった。
数年前に建てかえをしていてよかった。

水は配給があるらしい。
停電はいつまで続くか分からない。
新聞は今朝から読んだそうで、
まわりの情報(県内がひどいことになっている)があまり入ってきておらず、びっくりしていた。
夜は真っ暗で寒いのでもう夜7時過ぎにはお布団に入って寝ているらしい。
食べ物も行列して買うそうだ。
でも、田舎なのでまわりに畑があり、ご近所と助け合って生活はできそうだ。
電池が欲しい 、と言われて、100個でも200個でも送りたいけど、
ヤマトも佐川も郵便局も配達停止とのことで、配給、物資の輸送を待つしかない。
新幹線が動いていれば、うちに来てもらうんだけどなあ...。

海辺の町のかたの被害に比べたら、被害が小さくてすんだけれど、やはり身内は心配。
亡くなったり行方不明の方が大勢いる中で、無事でよかったと喜ぶのは不謹慎のような気もするけれど、
でもほんとうに無事でよかったよ>お父さんお母さん。

2011年3月12日土曜日

地震のあと

地震当日の夜の情報では、死者の数も30人程度と、
あの規模の割には少ないな、いやそんなことは無いだろう、でもそうであってほしいと思って、
宮城の実家とは相変わらず連絡取れず、眠れず。

一夜明けて、5時半に目を覚まして。ネットとニュース。
やはり被害が相当大きいことを知りました。
宮城県の被災地の名前は知っていることろばかり。
「あの海、行ったことあるよね。」と言って娘とテレビを見る。
工場火災のあったところも近く。
無事は確認できているものの何しろ両親と直接連絡取れないはやはり心配です。
親戚のところにも電話通じない。
Gさんとのメールだって数時間遅れての到着なので、
私が家に出したメールも届いていないだろうなあ。
携帯の存在自体、忘れてるかもな。
どこかに避難してるかなあ。


寒い、ひもじい、もうあかん、と関西の人は言うように(Gさんだけか?)、
停電で暗いし、寒いし、ちゃんとご飯食べられてるかな、それだけでも知りたいなあ。
田舎のご近所づきあいは濃いので、おとなりで近所助け合っているにちがいないけど。

私たちも、家族で確実に連絡取れる方法を考えておかなくては。
携帯からツイッターが機能してるよう。(娘も友達の安否を確認していた。)


夜、停電がきてもいいように、携帯充電。
お風呂に水はためておく。

それにしても、あんなに被害があって、家が壊れても、
人々の間で暴動が起きないのはすごいことだと思います。

■■■
そんな事実は無い」らしい。
東日本大震災で起きた千葉県市原市のコスモ石油千葉製油所の火災について、「有害物質が雨などと降るので注意」とする出所不明のチェーンメールなどがインターネットで出回っている。コスモ石油は12日、「そのような事実はない」とするメッセージをウェブサイトに掲示した。

2011年3月11日金曜日

生きてる?生きてるよ。怪我も無いらしい。家はぐちゃぐちゃだって。

今日中に書き上げたい資料二つ。
朝から、午後もずっとモニターを凝視していたら、揺れを感じた。
途端、照明とマシンが落ちた。

「ちょっとーどうしてくれるのよー。」と泣きたい気持ち。

揺れは止まらすにだんだん大きくなって、コレはマズイ感じ。
机の下にもぐる。
でも収まらない。
天井から釣り下がっているあらゆるもののが大きく揺れる。
机の下で春休みに突入した娘が家に一人でいるのが心配になり
鞄の中に手を突っ込んで携帯を探す。
手がちょっと震えた。
見つけた。
電話した。
つながらない。
ゆれはさらに大きくなり、心配も膨らむ。

やっと揺れが収まり、ヘルメット着用屋外へ出ろ、との指示がある。
その前に会社の固定電話から自宅へ電話し、娘の無事を確認でき、ちょっと安心した。
「どうやら宮城県が震度7らしい。」という情報が入る。
実家が宮城の私は、携帯で何度も実家に電話するがもちろんつながらない。

会社では、点呼をとって本日は解散となった。


ここらへん一帯は停電で、交差点の信号もついていないため
ボランティアのおじさんたちが交通整理をしてくれていた。
ありがとうございます。ご苦労様です。

途中で何度か行ったことのある小さいパン屋さんで食料調達。
「こういう時は酒でもかっくらって寝るしかないですね。」
などと冗談を交わしてパンを購入。
とりあえず明日の朝までは持つでしょう。


徒歩帰宅。
娘もチャイも無事。 よかった。
停電復旧の兆しも無く情報も得られない。
電気はいつ復旧するか分からない。

冷蔵庫、冷凍庫の中で最もやばいものは、ネギトロ丼の具だ。
幸いウチの煮炊きはガスなので、ご飯を1合炊いて、ネギトロ丼、パンにバター、ビール。
懐中電灯の元で娘と、このパンおいしー、と言いつつ夜ごはん。

途中何度も実家に電話するけど全然つながらない。
宮城はひどい状態らしい。両親が心配。
娘の携帯のワンセグでテレビを見る。

8時半、停電はまだ続く。やること無いのでベッドに入る。
あ、ためしに弟に電話してみたら...つながった!
「実家と連絡取れた?」
「おう!オレのはムーバだからさ。」
「で、生きてる?怪我とかなく? 」
「ああ。家の中はぐちゃぐちゃらしいけど、元気みたいよ。」
「ああ、よかった。」
(ところでムーバだとつながりやすいんでしょうか...)

9時過ぎに停電復旧。
明かりがあるって嬉しい。
お風呂を沸かして入る。
お湯はこのままためておこう。

実家にはまだ連絡取れないけど、
怪我なく生きてるのは分かったのでまた電話してみよう。

■■■
私が小学校4年の頃、宮城沖地震を経験している。
あの時も、本当に怖かった。外に出るのが精一杯だった。
当時は震度5だったかと。震度7ってどんなだろう。

2011年3月10日木曜日

なぜ母はすぐ怒るようになったのか。

出張の帰り「この本、よかったよ、よかったら読んでみる?」、と言って後輩に渡した。
ぱらぱらをめくって、「なんですか、これ漢字がいっぱいで黒い。私には読めません。」 。
そう言ったのは帰国子女のYさん。
漢字は、カタチと意味が一体化したものではなく、図とか絵のように認識しちゃうんだそうだ。
よって読んですぐ意味が入ってこない、から読みにくい、らしい。

そんなYさんを含め、今日はミニ女子会(含む娘。)
出張帰り、即効で新幹線に乗り、娘と待ち合わせた。
異動する後輩の送別プレゼントを買ってから一緒にごはんを食べるんです。
イタリアンのお店でグラスワインを一杯だけ飲む。
今日もお仕事ご苦労、と自分をねぎらってみる。


■■■
娘が言うには、
「ママは私が中学入ってから、すぐ怒るようになった。なんでそうなの?」。

どうしてなんだろうねえ。
まず、キミの返事の仕方が喧嘩腰の場合が多いのと、
娘がやたらマイペースなのになんだかとっても腹が立つんだけど。
例えば...
玄関開けたら荷物置きっぱなし、
制服脱ぎっぱなし、
靴下脱ぎっぱなし、
お弁当出さない、
風呂ですぐ寝てしまって挙句に機嫌悪い、
電気つけっぱなしで寝る
その他イロイロ

あ、考えてみたら思い当たることが...。
母は、娘の中学受験期、受験だからということで基本的な生活習慣や片付けなどの
習慣づけ(躾)に目をつむって手を抜いてしまった気がする。
だからそれらが彼女の身につかず、ゆるい、と娘本人が言う今の生活において、
彼女のマイペースぶりがだらしないと映って気になって腹が立ってしまうせい...かなあ。

もしや、つまりは、母が、自分の娘に対しての躾のいたらなさに腹が立ってしまうのかもしれない。
つまりは自分自身に腹を立てているのか?

2011年3月9日水曜日

「社会調査」のウソ

ある日、残業用のおやつの買出しに、何人かで力なく歩いていた時、
一番年若い子が元気よく言った。
「知ってますか?何かの調査結果なんですけど、
”トイレのきれいな人の年収は90万円多い”らしいんですよ。
だからトイレはきれいにしたほうがいいんですって!!」

その途端、
「それって、年収の高い人は家賃の高いところに住んでいる人が多いはずでしょ。
必要条件ではあるけど十分条件じゃないと思う。」
「相関関係はあるけど因果関係は、疑問~。」
「サンプル母数はどんななの?」
「90万円の有意さってあるの?」
「そもそも、どこの調査結果?」
...
その他いろいろ...よってたかってその結果ってどうなの?と、いきおい声がでかくなる。日ごろデータを扱っているだけに、調査結果とかデータの信憑性については、占いくらいにしか思ってないみたい、私たち。


「え~~~、データの信憑性とかじゃなくて、
なんかみんな元気無くて疲れてるみたいだから場を盛り上げようとして言っただけなのに~。」

ああ、そりゃ悪かった(笑)。
でも、しゃきっとしたよ。

■■■
アンケート調査ってその言葉のやわらかい響きもあって、調べたいことの像が手軽に得られそうな雰囲気を持っているけど、そもそも社会調査って社会の実態に対して様々なバイアスがかかっているから真の姿を映し出さないものなのだ。統計をベースとした科学であることを分かって、バイアスをできるだけゼロに近づけるよう十分な計画のもとに行うべきでものなのだ。そこの部分あんまり認識されていない気もする。(根拠はないけど)
専門に勉強したわけじゃないけど、統計とか調査分析というやつに胡散臭い匂いは嗅ぎ取れる。なぜなら例えば自分の立てた仮説に対して説得力を持たせるために、データのグループ化の試行錯誤、統計調査結果を意図的に”探す””選ぶ(選ばない)”ことだってあるのだから(経験済み)。


著者は、ほとんどの調査結果は「ゴミ」であると言い、事例と、それがいかに「ゴミ」であるかが解説している。少し古い本だけれど、Gさんとダブって買ってしまった本。

5章の、リサーチ・リテラシーのすすめの、
情報機器やシステムの進んだ現代では、他人より、より多くの情報を集めることをきそっても意味が無い。情報など、集めようと思えばいくらでも集められるからである。むしろ、今後、必要となるのは、あふれるデータの中から真に必要なものを嗅ぎ別ける能力、いわゆる「セレンディピティserendipity」と呼ばれる能力であろう。

このくだりは、最近出たばっかりの本、「キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる 」にも通じるところだと思う。



「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ




メモ:社会調査を行う場合、以下の「リサーチ・デザイン」を行うべき。
①時期・回数
②データ収集方法
③質問票
④サンプル抽出
⑤分析






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そういや、昨日書いた
楽しい事だってやりがいだって(見つければ)たくさんあるのだよ、母の仕事にもね。
の部分 、なんか違うなと思った。
仕事量と収入とプライベートのバランスが、今はちょうどよいと思っている。
自分の生活の主体は仕事だけではないし、収入は日々の生活を豊かにするために必要だし、
でもせっかく仕事するんだったら、できるだけやりがいとか充実感とか楽しさを見出したいと思っている。そのバランスがちょうどよいってことです。
できればもうちょっと出張を少なくしたいけどね...。


2011年3月8日火曜日

パネッテリア

春に異動してしまう後輩の、送別プレゼントを買出しに行こうと同僚たち(含む娘)と画策していたのだが。
「仕事が全然終わんーい!」の続出で今日は断念。
娘は買出しを今日一日の楽しみとしていたので(娘は日々の”一日一楽しみ”を決めているのだそうだ)、
見つけたばかりの近所のパン屋に行こうと誘って夜待ち合わせ。
イタリア系惣菜パン屋さんで「あれもこれも」と買い出す私たち。
会計の段になって、レジの隣に並んでいたデザート、はけーん。
小さいケーキで一個150円くらいの安さが嬉しい。


パンは明日の朝ね。デザートは今日食べよう、とお茶を入れる。

すごくちいさいケーキだけど、
きっちりしみったれて2等分。

それでも、
「ちょっとー。欠けてるヤツ何で私によこすのよ。」
「私そっちの半分がいい。」
とか、やはり食い物にはイヤシイ私たち。
小さいけどきっちり美味しい。

四角いドライトマトのケーキが、母は好き!





ケーキをほおばりながら、
「わたしゃ普通に大学行って、サラリーマンになるのいやだなあ。
だってさあ、ママもGさんも、パパだってさ、仕事楽しそうじゃないんだもん。
ほら、家の設計やってくれたイシグロさんは仕事楽しそうだったじゃない。
イラストレーターとかデザインとか創作系の仕事って楽しそうだよ。
そういうのって大学というより専門学校じゃない?」
などと言う。
いやあ、あれはあれでお金を稼ぐのは過酷よ、無難に会社員..と思うけど
職人とか専門職というのもありなんだろうな。
ま、確かに会社行きたくないよー、とか母は言っちゃったりするけど、
楽しい事だってやりがいだって(見つければ)たくさんあるのだよ、母の仕事にもね。
生活する価値を何に置くかはやはり自分で決めることで
彼女の人生だからな、きちんと世の中と自分と向き合って考えておくれ。

■■■
ちなみに、娘の明日の”一日一楽しみ”は、今日買ったパンを明日の朝食べること。
これを心の支えに夜眠るのだそうだ。


2011年3月7日月曜日

霙ってこんな字なんだ

寒いだけなら我慢もできますが、
雨霙も混じるとなると足取りもずっと重く、歩くこの時間を息を詰めてしまいます。
雨、上がってくれないかなあ。なぜなら今日は約1ヶ月ぶりのコントラバスレッスン。
前回、仕事が忙しくてずらしてもらったのでした。

雨の日には、傘の下の弓ケースが生のままだと中に雨が染みてきてしまう気がして、
生ゴミ用のビニール袋にずぼっと入れて持ち歩いています。
はっきり言って、とってもかっこ悪いと思います。
家を出る時「ケースカバー、買おうかな。」と言ったら、「自分で作ったらいいやん。」とGさん。
 !あら。Gさんに作ってもらおうかしら。
私のお財布はGさん作だしね。

レッスンは滞りつつ。
弓さばき、頭で理解できても体がついていかない。
曲はこなれるまで時間がかかる。
楽器が違うと音程取れない。
フォルテの音が響かない。むー。

そういえば、先生、引越しなさるそうだ。(祝!ご結婚)
このままのレッスン室にて教えてもらえそうだけど、いつまで可能だろうか。
コントラバスは、通える範囲で先生を探すのが難しいのが難点。

■■■
お風呂場を覗いたら、娘が携帯を持って入っておった。(携帯は風呂蓋の上)

「その携帯は防水じゃありません。」
「濡らさない自信があります。」
「自信があるとかの問題ではありません。
 そもそもその携帯はママのだるぉー。あんたには貸してあげてるんだよっ。」
「...はい。」

と、携帯をこっちに渡してもらう。


携帯に対する感覚というか位置取りは、娘たちと私たちの年代とでは随分違う。
私は無くても何とかなるが(実際は時計が無くて困る、とかあるけど)、
彼女たちは生活の一部というか自分の一部であるかのようだ。
取り上げようとするより、理屈のとおったルールを決めるべきかと思うが、
そんなのを決めようとすると娘と理屈の応酬となるのが目に見えていて、
考えるだけでうんざり面倒だ...。

2011年3月6日日曜日

母の部屋のベッドは寝心地いいんです。

昼にいつものそば屋へいったら、テレビの取材が来ていた。
インタビューがあったりして、食べる頃には麺がのびぎみになったけど、
お客がもうちょっと入るといいね(笑)、大将。
...でもなあ。
人気店になって行列ができるようになっちゃったらやだよね、
私たちがいつも入れるくらいの繁盛ぐあいがいいよね、なんて自分勝手なことも思う。

「さて、みなさん、お昼をたらふく食べたら、夜ごはんはちょっとでいいよね。」と言ったら、
「ああ、よかった。夜ごはんは作りません、って言われるのかと思ったよ。」とGさん。

うははは。

■■■
先日の続きの娘用チェストの搬入があった。
こんどは色の間違いもなく搬入。
配達のごっついお兄さんが、部屋の外の本棚を見て、
「本がいっぱいですねえ、見覚えのある本もありますよ。
ボク西原理恵子好きなんですよね。あの人の本は泣けるんですよ。」
と言っていた。
あのでかい体を丸めて漫画本を読んでる姿と涙がね、なんとなくしっくりくるお兄さんだった。
こんな山奥まで配達ご苦労様です。

さて、「いつも部屋をきれいにする」と約束した娘に向かって、
いったん外に出したゴミと洋服を分別して片付けるように、と指令を出してしばらく後、
片付いたかなと思い覗いてみたら、娘は自分の部屋にはおらず。
そして娘の部屋の床はきれいだが、
ゴミと服が納戸とトイレに山積みとなっているのには手をつけていない。
つまりは何も進んでいない。


その時、娘は母の部屋の、お日様があたるベッドで寝転んで漫画を読んでおった。
(娘のベッドの上にはいったん出したゴミと洋服とその他もろもろの山がそのままで
寝転べなかったためと思われる。)

そうねそうね、こんなうららかな日の午後早い時間は、とっても居心地がいいんだよね、この部屋。 
けれども、この春のうららかさとは無関係に、
いや、このお日様の光を浴びて寝転んたまま振り返った娘の能天気な姿(←母の心象風景)が
いっそう母をむかつかせた。

「さっさと片付けなさい。きーっ。」

水域

「蟲師」の漆原友紀の新作。
出張の帰りに本屋で見つけ、迷わず購入し帰りの新幹線で読む。


日照り続きで、給水制限中の街。酷暑にあてられて意識を失った川村千波は、
豊かな水にあふれる村で、少年と老人に出会う夢を見る。その村は...

そんな出だしで始まり、遠野物語のような世界観が息づく。
「蟲師」のように短編の中で幻想と現実の絡みあうような凝縮感は無いけれど、
水の流れのように3代の親子の流れがよどみ、あるいはさらさらと出口を求めるような展開。
読み返したり考え込んだりせずに一気に読めます。




 
水域(上)













水域(下)

2011年3月5日土曜日

空気は冷たいけど、陽の光の温かさを感じるようになりました。

娘の部活、8時半に朝ごはんで間に合ったのに、7時半に起きて損した気分。
このあまった時間に「毎日かあさん5」をふっふっふと笑いながら読む。
そういえば娘に4巻を貸したら、「電車で泣いちゃってさー困った」だそうな。
ですよね。笑うか泣くか忙しいので、電車で読むときはつとめて平常心を装うようにしないと。

■■■
クリーニングに出したGさんの礼服を受け取ったのが1月で、そのまま部屋につるしておいた。
もうすぐで結婚式にお呼ばれなので確認してみたら。

...礼服のズボンだけ無い。

家中探しても無い。
クリーニング屋さんに確認してみても、お渡ししました、と言われるばかり。
でも落としようが無いしなあ。
受け取ったときに確認しなかったのがそもそもいけなかったね。
結婚式は今月だし、礼服、もいっかい買いなおしだよ、とほほ。



Gさんに、髪きったよ、と見せたら、「お、なんだか男らしくなったかも。」
そう言われるのは意外と悪い気しない。

2011年3月4日金曜日

美容室から宴会へ

金曜の夜は眠くなって寝てしまうんですけど。



髪を切りました。
午後半休を取って美容院に行く 。
私はこの美容院に結婚前から通っています。
通い始めのきっかけは友達がいいよ、って言ったからだったと思うけど
通い続けるようになったポイントは店に入ってからの待ち時間が無いこととか居心地のよさ。
でも値段は高い(苦)。時間とサービスに金を払うのは一種のストレス発散かもしれないです。

結婚前のブライダルエステ、結婚、出産、離婚、中学受験、再婚...いろんなことがあったけど
ずっとこの美容院に通い、イスに座ってあるいはベッドに寝そべって年に何回か数時間を過ごしてきた。


「あの時私のおなかに入っていた娘は、もう娘は中2ですよ。」
と、変わらない技術のお姉さんに言う。
今のお姉さんは、はじめて切ってもらった人から3代目。
(お姉さんではじまったので、10年以上たってもずっと”お姉さん”なんです。)
特におしゃべりをするでもないんだけれど、
座って、「今日はこんな感じー」とか「いつもの」、とか言ってあとは安心して座っていられます。
髪を洗ってもらうのも気持ちいいし、眉毛を抜いてもらうのも気持ちよくてうとっとしたこともあったり。

そんなことがあって、変えられないんですわ。
以前の背中まであった髪が短くなって、通うペースが短くなってお財布ピンチ!
というのはあるんだけど短い髪も気に入っているしなあ。
(前は年に2,3回。ショートにしてから倍くらいになった(-_-;))
このお姉さんがいつか美容師をやめる時がきたら、変えるかもしれないなあ。

今日も気持ちよくお会計をして、「また2ヵ月後お願いしまーす。」と言って見送ってもらう。

■■■
せっかくだから、お酒でも見てくか!
酒屋に入って、ピンク色のハーフ、今日はイタリアのスプマンテにしよう、リーズナブルに。
お金を払う段になって、おや、レジの隣に置いてあるキャンティ・クラシコ・リゼルヴァ ランチャ 。
ハーフだったんですよ。ハーフの、一人で開けてよし的な手ごろ感がね結構好きなんですけど
種類あんま無くてねえ、と思っていたところに、その姿。
私の心をぐぐっと掴みましたわ。
「すみませーん、これも一緒にお願いします。」(若干の後ろめたさ)



....おや?隣にセール品だ。10本くらい。太陽のマーク。
「あのー、これ、サッシカイアですよね?」
「あ、そうなんです。サッシカイアです。」
「コンビニのレジの隣の大福のように並んでいますけど、なんだか可笑しいですね。」
「あははは。そうですよね、チロルチョコみたいに、じゃ、ちょっと買っていくか、っていうワインじゃないんですけど、少しお安くなっているんです。」




←こういうやつがこんもりと。











ですよね。
イタリアワインのアイドルの始まりというか、イタリアワインに片足突っ込んだら、
いったいどんな味なんじゃ、と飲んでみたくなるワイン。
お安くなってるって言っても17,000円超えてましたからね。
大福とかチロルのようについでに、って買っていけないですわー。

とにかく。
ハーフの泡とキャンティの重みにホクホクして帰ってきた。
途中でGさん用にビール2本。
最近気に入っているのは、ツィラタールビール、オーストリアのビールです。
夜はGさんのお土産の手羽先と、煮込んでおいた豚の角煮と総菜屋さんのトリッパで宴会。
娘は、祝!テスト平均点超えで出かけたコンサートから帰ってきて(Gさんと宴会の途中に迎えに行った)宴会へ途中からなだれ込み参加。
キャンティの濃いの、好きですわ。抜栓してからこなれてくる感じも好きですわ。飲むのが好きですわー。

「ごめん、もう眠くなった。もし寝ちゃったら食器をお湯につけておいて。」
「この人、寝る気満々だよ。まだ起きてな。お茶を沸かしてあげよう。」
と娘に紅茶を入れてもらい、なんとか食器を洗う...のが精一杯やね。


次の日の空き瓶。

CHIANTI CLASSICO RISERVA RANCIA
キャンティ・クラシコ・リゼルヴァ ランチャ
イタリア, トスカーナ,FELSINA

ツィラタールビール
ピルスとヴァイス
チロル地方の地ビールなんだそうだ。






*サッシカイア メモ:
イタリアワイン界に風穴を開けたと言っても過言ではない伝説的なワイン。
厳格な法律に縛られ、質よりワイン法の遵守に重きがおかれていたイタリアワイン界にあって、サッシカイアはワイン法に縛られない最上のワインを目指し、トスカーナ・ボルゲリの地でボルドーに負けないワインを造ることを目的に生産が始めらた。当初、家族消費用のワインでしかなかったサッシカイアだったが、 1978年ロンドンで開催された試飲会でボルドーグラン・ヴァンなど並み居る強敵を出し抜きカベルネ部門第一位となる。
このサッシカイアの快挙を皮切りに、スーパートスカーナ・ワインが世界的ブームになった。

2011年3月3日木曜日

雛祭りのよき日に。

3月3日は雛祭り。
そういえば娘が、ちらし寿司食べたいって言ってたな、と思い出した。
帰って作る時間も材料も無いので買って帰った。
家に向かう途中、「ちらし寿司なんか別に食べたくない。」とか「買ったものはあんま美味しくない。」とか
言われたらどうしようと考えてしまう母は、どこまでも救われない。
でも、どうしても脳内想定問答をしてしまいながら歩く。

「ただいまー。」
「おかえりー。」
「ちらし寿司買ってきたよ。」
「お、やっぱりね。海鮮ちらし?京樽か?」

はい、そのとおり!
食べ物に関する母の行動は、まるっとお見通しらしい...。

■■■
娘の期末テストも終わり、ほとんどテストが返却されたようだ。
「よし、返されたテスト、耳をそろえて出してみな。」
学生の本分はまずは勉強だろうが。勤めを果たしてから遊べ、といういうことで、
全て平均点超えだったら、行きたがっているコンサートの許可を出すと約束していたのだ。

しかしな、ほとんどのテストの点が平均点+5点以内に収まるってどうよ。
褒めるのか、もっとがんばれと言ってもいいのか。
「がんばってる。がんばったよね。
でさ、ママは点数が徐々に上がってくるかも、とか期待してるわけだが。」
「なんで、がんばらなくちゃいけないの?
目的を達成するためには平均点超えればいいわけだから、
それ以上がんばる必要はないわけでしょ?つか、ぴったでちょうどいい。」

娘にとって学ぶ楽しさとか、そういうのは無いらしい。
あくまで目的達成の手段のようです。


2011年3月2日水曜日

修行ロード

寒い。
出張の晴れ間、あ、ちがう狭間の本日、早く帰ろう。

査読に出してた2ページものの書き物についてメールが来る。
「とても良く書けてます。いちどお電話ください。」

文章の前半を読んで、はいはい、と軽やかにお電話してみたら、
「とても読みやすいです。修正したほうがいい箇所を言いますね。」

そして電話先の声を聞きながら原稿に赤ボールペンで書き込みをしていったら
あっというまに、A4裏表が真っ赤になってしまったよ。ううう。
「さすが。とても良く書けてるだけあるな。」
と、となりでボスが温かく笑う。

あい、がんばって修正します。


■■■
”いまからかえる”、とメールしてから会社を出る。

「ハンバーグ焼いてるから」
と娘から電話があり、おお、嬉しいやん。心が一気に再軽やかになる。
「あ、それからですね」と声が続いたので聞いてみたら、
「ベーグルベーグルで売ってた苺のベーグル食べたいんです。
それからハンバーグ用のチーズをお願いします。」
「あいよ。」

軽やかになった勢いで、ベーグル6個も買ってしまう、おばかな母である。
さらに、明日は3月3日雛祭りだし、と、桃の節句限定デザートを買って帰る、浮かれた母でもある。
気がついたら両手に荷物、そして散財、いつものパターン。
駅の惣菜ロードは、魅惑誘惑修行の道、なのである。

心を鍛えなければ。


■■■
ハンバーグは肉の味がちゃんとして、とても美味。
隠し味にシナモンだそうだ。(家に無かったナツメグの代わり。)
限定デザートも苺と抹茶の素材の味がしたムースで、これまたとても美味だった。

2011年3月1日火曜日

弁当、試行錯誤

カレー弁当、失策。

今日、母は6時半過ぎに家を出たので、
弁当の保温容器の確認もあまりせず、ご飯とカレーをつめるのを娘に任せて家を出たのだが...。
保温弁当箱は密閉度がいまいちにて、
弁当バックの中にぶちまけた後、においを教室中に充満させたらしい。
「何しろ、 匂いがすごかったの。」
「ま、ま、いいじゃん学校で伝説一個作ったってことで。」
「ま、いいんだけどさー。」
「今後は逆にしてみようよ、
保温箱に入れるのはあったかご飯、カレーは密閉容器にさ。」(→まだやるか?)
「ううーん、でもカレーってさ
冷めるとぼさぼさ感がでてあんまり美味しくないんだよね。」(←味にこだわるわけね。)


ああ、麻婆弁当はうまくいったのにねえ。


■■■
仲のよい会社の女子のスケジュールが都合つきそうだったので、
「ここは女子会でしょう!」と予定を確保。
娘も仲良くさせてもらっているので、みんなで一緒にどこかで夜ごはんだ、わーい。

しかし。
本日出張先にて、
「あ、aniaさん、研究会1週間先にずれたので、予定よろしくー。」
えええー、その日は女子会日なのに。
とっさに、その日は予定あります、の口実が思いつかず、「はい。」と力なく答えた。

家について、娘に報告。
「女子会、出張はいっちゃってさー、再調整ですわー。」
「ええー!?ひそかに楽しみにしていたのにー。」
「すまんの。また調整するよ。年度末でイロイロ立てこんでてさ。」
「ふーん...。そういえば最近、帰るの遅いじゃないですか。
.......じゃあさ、年度があけてらさ、もう少し早く帰ってこられる?」
「......うう。来年も、出張が多分この調子なんだよ。あんまりはやくないかも。」

娘は無言。

だよね、やっぱつまんないよね、家に帰ってひとりっつーのはさ。
もう一人くらい産んでおけばよかったな、とこんな時は思う。