2010年10月29日金曜日

結局、川の長さは水源から河口までの直線距離のπ倍になるんだそうです。

15の春に家を出た。

こんな書き出しはちょっとかっこいいけど、何のことは無い、寮生活が始まったわけです。
高専に行くのは自分で決めました。
その辺のいきさつは前のブログにも書いたけど、

「輪切りされてみんなと同じ公立女子高へなんとなく行くのがいやだったから」です。
(地方でにおいて私立の選択肢は考えずらく、近視眼的な中学生が考え付く範囲では

”国立”が落としどころだったんでしょう。
今だったらもうちょっと長期的に考えたかもしれませんねえ。)

私が通った電子工学科は、45人中女子がいない、もしくは1人という偏った環境でしたが、
それなりに快適でした。
何といっても、一人でもいい、気を使わなくてすむということがありました。
クラスの男子は、おしなべてみんな優しくておっとりしていました。
言葉少なくて力持ち。和み系です。
大きめの荷物を持って廊下を歩いていると「あ、オレ、持つっス。」と声がかかったりするような。
(これが情報系の学科だと、男の子の雰囲気が違います。)

数字(←アルファベットとか文字じゃない)を扱うのが得意で手先が器用で、半田付けも上手。
電気回路とかもよめちゃう。
おんなじ15歳なのに、いつの間にプログラムなんかを覚えたんですか、みなさん?的な。
プログラミング、電源作りなど、いろいろ教えてもらいました。

女子寮も面白かった。我が道をゆくエキセントリックな子たちがたくさんいました。

先生方も、ユニークでわからないところがあって聞きに行くと、丁寧に教えてくださいました。
それもお茶つきで♡

そんな居心地のよい場所にいたわけですが、ゼーベック効果の実験で目覚めちゃったわけですね。
物の理っておもしろい。
でもここにいたら、それを知らずに10代すごしてしまう、ってあせっちゃったわけです。
そのへんのいきさつはこことかここらへんに。

とにかく、ふつうの高校生が知っている教養系の知識が不足してしまう、
それって自分としてどうなの?という焦燥感がもくもくと湧いてきて、
高専をやめて、「受験勉強」というものを経て大学へ入りなおそうそしたのでした。
(もしくは学校をやめることで、この温いところから突き抜けなければならないと
思いこんでしまったのかも知れません。)

浪人しているうちに、本を読みながら科学者たちの人となりと社会背景に興味が移って、
やっぱ歴史や哲学だろうってことで文転したけど、英語と国語ができなくて撃沈。
理科教育という中途半端なところで、うだうだどよんとして4年間過ごしました。
もったいないけど必要な挫折、ということにしておきましょう。
結局メーカに入社して、あら?もとクラスメイトの●●君、○○さん、おひさしぶり!なんてことになったわけです。

 今は、私の転機のきっかけとなったゼーベック効果やん!の熱電対ともお友達。
いろいろあったけど、元に戻ったわね、な、ループ人生ですわな。


私は瞬間風速的に好きなことを猪突猛進型(考え無し)でやってきたけれど、
こういう多くの方向転換に対して、私の両親は一度も強く反対しませんでした。
(勉強しなさいと言われたこともありませんでした。)
というか、私が聞く耳を持たない、もしくは一度決めたらがんとして考えを変えないところがあったので
(あくまで若いころ)あきらめたのかもしれません..。
さらに結婚離婚母子家庭Gさんとの同居のときにも、黙って賛同してくれました。
ありがたい両親です。
離婚後、社宅に住むようになって、「母子家庭」という響きからか、
ちゃんと食べてるの?生活できてるの?体は大丈夫なの?と、
遠いところにすむ母が、食料(カップラーメン)を送ってくれてました。
大丈夫ですよ、ちゃんとした会社に勤めているんだから、と答えていましたが、
とてもとても心配性の母のこと、胸がつぶれる思いをしていたんじゃないかと思います。
父も私が離婚するときには、黙っていろいろ調査に奔走してくれました。
親とはありがたいですね。
そんな両親に対して、私はずいぶん好き勝手を言い、心配をかけてきたような気がします。
しかし両親は私(娘)を信頼してくれていたのだと思います。
子供心にも、信頼してくれていたのが分かったので、がんばれた気もします。
(何もいわなかったけれど心配で仕方がなかっただろうなあ。)

今、自分が親となってみると、娘の数学の点数が悪いといってはがみがみ言う母ですから、
当時の両親の心配はいかばかりだったかと想像すると...、なんだか怖いですな。
(と、ここまで書いて、なんか長の別れの時みたいじゃないか。)

今の生活は、仕事は出張ばっかりでちょっときついけど、穏やかにすぎています。
後悔ってないですねえ。
でもひとつ、小さく残念なことあります。
それは高専を卒業できなかったことです。
もとクラスメイトと同窓生とは名乗れないことかな。

中退と卒業は同時にはできませんから、仕方がないですけど、
時々あの同級生たちは今頃どうしているかなー、などと思い出します。

夢破れて、の大学時代より、きらきらと興味をもっていろいろなことを追いかけることが
できた高専時代のほうが、色鮮やかに思い出せるんですね。
その当時の人たちの今を見て、昔を思い出すことができないというのが、ちょっと残念かな。

私にとっては、回り道なんていうものはなくて、いつも精一杯まっすぐだったんですよ。



2 件のコメント:

  1. すごいですね~!!

    記事を読んで、心から尊敬してしまいました。

    こんなに若い頃から、一生懸命ご自分のことを考えていらして、
    一番すごいところは、それらを実行されたことですね。

    しかも、きちんと結果を出していらっしゃる・・・。

    aniaさまの記事からあふれ出る、「様々なことに深い」印象は

    今に至るまでaniaさまの歩まれた人生の豊かさから来ているのだ、
    ということに、改めて気付いた私です。

    私も、若い頃いろいろなことを考えて親を泣かせて「やらかした」方ですが、
    とてもとても、aniaさまのしっかりした大人の考え・行動とは程遠いものです。

    やっぱり、私も、まだまだいろいろなことを経験していかなければだめだなぁ・・・。

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  2. 幸せな時間 さま。

    いや、たぶんしっかりしてると思い込んでいたのは、
    本人と、その家族だけみたいなんですよ~。

    まわりの人間から見ると、「どっか抜けてる」らしいんです。
    今でも「天然入ってるね!」って言われます、はい。

    でも大人になりながら経験つんでくると、
    生活も面白く感じるようになりますね。

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