2011年5月11日水曜日

もやもやの醍醐味と心配

今日で3・11から2ヶ月。
昨日、宮城県水産高校の授業の様子をニュースで見た。
三年生の男子生徒は海で生きることを決めたが祖父が亡くなってしまった。大型船舶の免許取得を目指してきて、遠洋航海(ハワイ)の実習が必要だが放射能の検 査を必要としているが、それには費用がかかるという。
「実習を受けることによってスキルが身につくのでぜったい必要、でもお金が...。」
「地元が好きだし、ここで海の仕事をして生活していきたい。」
と生徒たちが言っていた。


その高校の授業風景を見ながら娘が言う。
「へ~、授業中、意見を言ったりして活気があるねえ。ウチの学校なんか授業中誰も発言しないんだよ。」
「ああ、そういえば授業参観の時、私(母)もそう思ったよ。
無気力っていうかしーんとしてて活気が無いねえ。」
「そうなんだよ。そういう雰囲気だから、私もそれに沈んじゃうんだよねえ。
それに比べると、この水産高校の生徒はさ、なんかすごいね。
目的があるっていうか自立してるよね。でも高校生だもんね。私はまだ中学だし。」
「あんたも、高校になったらもう少し目的意識ってゆーか、そういうのが芽生えてくるのかなあ。」
「うーん、なんとなく大学行くための勉強をするって感じかもしれない。
あいう生活基盤を築くような自立の仕方っていうのはないかもー。」

娘を見ていると、決して無気力というわけでもなく、それなりに興味のあることを見つけては(見つけようとしては)トライしてみたりしている。ただ娘や彼女の学校では、友達どうしなんとなく学校に来てこのまま大学受験?私は何をやりたいんだろう?みたいなもやもやと一緒に過ごしてもいる様子だ。温室的な。一方、このもやもやを感じつつ迷ったりするのもまた10代の醍醐味なのかなとも思う。

いろいろ考える時間を持たせてやりたい選択肢を広げてやりたいという親心からすれば、まさしくこのもやもやを味合わせてやりたいということでもある。そうした中で、テレビに映る彼ら高校 生が自分の生活基盤を作り上げていかなくてはならない必要性、しかし災害によってそれがゆらいできている切迫した状況と、娘自身を対比させていろいろ感じるところも あったのだと思う。

娘は私は違う人間であることは分かってはいるけれど、その心の内を推し量ってみては親もまたもやもやとするのである。


ちなみに私は公立中学、当時は校内暴力全盛の時期で、よく男子が音楽の先生にゴミ箱をぶつけて泣かせてみたり、授業中何人かは行方不明になったりしたもんだ。時々窓ガラスも割れていたかもしれない。そして中学の頃は、何故か将来はエンジニアになると漠然と考えていて、紆余曲折あったけれど現在に至るというなんか面白くない結果となっている。理数系が得意ということも無かったので、逆に理数系がデキる、ということに憧れたのだ。単純な話。

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