朝、会社へ向かい、歩いていたら「相馬運輸」と書かれたトラックとすれ違う。相馬という文字を追う。
相馬市は、相馬中村藩から廃藩置県の後、相馬市となった。
”馬”の名前があるとおり、馬の歴史を持つ。
それを、この本で知った。小さい頃からなじみの深いところだったのに、知らなかった。
福島県、中通に生まれた作者は、あの震災のあと、浜通りを目指す。
そして書く。
馬たちよ、それでも光は無垢で
読んでいる間、まるで、様々なパーツをつなぎ合わせたような、
物語と現実が錯綜するような時間だった。
書いていないと止まってしまうかのように、作者は次々と言葉を繰り出す。
読んでいる私自身も、時間を失う。
瓦礫のパーツは、瓦礫の山、ではなく、百も千ものパーツの集まりである。
ひとつとして同じ音楽ではないのだ。
ひとつとして同じ歴史はないのだ。
昔、相馬藩の南には、お城があった。今あるのは原子力発電所だ。
昔、相馬では馬の物語があり、馬は人とともにいた。今は誰もいない。
今、人はいなくなり馬は飢えて痩せて解き放たれた。
そして緑色の雑草に覆われた土手で、静かにそれを食みはじめる。
雑草たちを光が育てている。降る、陽光が。
誰も無いところに降る、静かな陽の光が、こんなに悲しいものだとは知らなかった。
悲しい、とは人間の自分勝手な感情に過ぎないと分っていても、だ。
読んでいると自分も混乱してしまうが、読み終わると、いつまでも馬と陽の光が離れない。
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古川日出男の本は、「ベルカ、吠えないのか」を読んでいる。
この「馬たちよ、それでも光は無垢で」は、週間ブックレビューで翻訳家でもある金原瑞人氏が紹介していた。速攻でPC立ち上げAmazonで購入。その日のうちに届いてその日のうちに読む。
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