2011年9月24日土曜日

水のように

「この曲調、聞くとはかどるのよねえ」と言って、
テスト期間突入かという娘が聞きながらノートを広げている。
勉強がはかどる曲調、という意味らしい。
サカナクションのアルバムで単調なリズムと草系というか水系な歌声。

「ああ、水族館で聞きたい感じかも。会社行く時には聞きたくない感じだね。」

この歌い方...、歌っている人の顔ってもしかして髪は黒くて真っ直ぐ前髪が眼の上でぱっつん、なのでは?
うーんそうかも。
...なんてやり取りをしていたら、娘が踊りだす。
なんか踊りたくなるでしょう、この曲。
そうかあ?
なんて母も手を動かしてみたりする。
ああ、これは盆踊り、いや阿波踊り?

どこまでもおばかな日曜の二人、です。

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夜ごはんのあとに、クッションにまたがってごろごろしていたら、
隣にいた娘から差し出された閉じ気味の手のひらが私の顔の前で開かれる。
うわっこれはっ(←やったことある人は分るはず。いやこのブログを読む人は分らないか、きっと)
息をぐっと止める。
「うはははは、どう?」
「いやどうって。うう、なんでこんな娘に。あんた女の子なのに~。もっとおしとやかに育ってほしかったよ。」
「えーそれをアナタがいうか?
たとえばさ、ずっと前さ、友達が来ているときに近所のバーベキューで酔っ払って寝ていた姿、あれを友達に見られたわけだけど。かーさん、アナタそれを、ま、しょうがないか、とか思っているでしょう?落ち込むとか打ちひしがれるとかしてないよね。ふつう、恥ずかしくて落ち込むものじゃないか?そんな人に育てられたらこうなるでしょ。」

あたたたた。不意打ちだ。そんな前の事例を持ち出すとは。忘れていたのに。
たしかに、落ち込んでも仕方ないもんね。仕方ないです。
しかし、今ここでその事例を持ち出すのはちょっとずれていないか。
何がどうずれているのか、その場では明確に言えないままであったが。
母が人から見たら恥ずかしいと思えることを瑣末なこととして扱って気にしない、ように見えてそれが印象に残ったのかもしれない。(でも、今だって修正できるなら修正したいことのひとつなんですけどね。)

娘は、恥ずかしがる、ということ自体を恥じるようだ(最近特に)。逆に、自分で面白いと思ったことでやれる範囲のことはやってみる、ようだ。人からどう思われるかではなく自分がどう考えるかに重きを置くことは、かっこいいと思っているようでもある。
まあその気持ちの持ちようとか処理の仕方は、私にもとてもよく理解できるので、娘の言うとおりなのだな。

この母にしてキミあり、ということで。

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