内田樹の研究室(これもわりと読ませていただいている)の「学ぶ力」についての記事を興味深く読んだ。
内田先生が中学生に向けて書いた2011.09.02の記事、私が中学の時に読んでたら、むむっと思ったかもしれない。(もしくは全然引っかからなかったか。 ) この意見の対比というかズレみたいなものが面白い。そもそも学ぶという行為自体が個人的なもので自分でしか認知できないと思うのだけど。
私は中学時代に、”学ぶということは自分自身で新しい視点を掴み取ることだ”と、読書感想文に書いたことがあったのだ(たしか曽野綾子の何かを読んで)。だから、個人的には小飼さん側の意見。
学ぶの定義ってって、内田先生が言う
「昨日の自分」と比べたときの「力」の変化についての情報なのです。
はよく分かる。学ぶって新しい視点を得ることだと思うし自分の中の世界を再構築する力だと思うし。けれども何を知識として蓄えて、どこからそれを得て、...を決めるのは自分だ、と世界の中心は自分だった中学生の頃に思ったわけである。 今でもそういう考えは変わってないから、成長してないんだろうな。
もちろん、私にとってはデータベースである師(人でも本でも)からより多くの情報を引き出そうとはするけど、内田先生が言うようにまっすぐな気持ちではないし(ってゆーかまっすぐな気持ちってどんな気持ち?)、自分の視点や視野が変わっていくのを感じるのが単純に面白かったに過ぎない。あ、そういう意味では好奇心的にまっすぐなのか...。
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