2011年7月3日日曜日

お金と交換する価値、あるいは交換できない価値

ワインが好きだ。
というより体に合っている、と勝手に思っている。
(けれど、うんちくを覚える気はあまりないので、詳しくはない)
飲む総量と、飲量/時間を間違えなければ、次の日まで残ることは少ない。
学生のころ、試飲させてもらえる近所の酒屋さんでドイツワインから入ったが、
美味しいなあと本格的に思ったのは、娘を産む少し前にイタリアンレストランRで飲んだ1本。

イタリア、シチリアの赤。
(名前も覚えているが、同じラベルを最近見かけないので、
生産していないのかラベルデザインが変わったのか...)
もう一度飲みたくて、一人で同じお店に行き、一杯だけ飲んで帰った。
R店ではどんなワインもグラス売りしてくれるという、とてもありがたいお店だった。
そのお店のマネージャー兼ソムリエさんがIさんで、
それ以降、そこのお店に、たまに一人でひっそり立ち寄り、
ワイン一杯選んでもらって飲んで帰るという日々は出産時の禁酒期間を経てさらに続いた。
当時住んでいた家まで帰るバス待ちの20分とか、休日出勤の帰りとか。
(ガードレール下の一杯飲み屋のような)
もちろん、娘も小さい時から連れて行った。
当時のスタッフの方が娘を見て、こんなに大きくなって!といわれたり。

Iさんは、R店で働きながら10年かけてほどんど野菜農家のようになっていて、
独立後、自分で作った野菜を出す店を構えた。Iさんのお店に時々ごはんを食べに行っている。
そのレストランの調理とスタッフだったTさんのお店にも何度もお邪魔したし御せちをお願いしたりした。
自分のやりたい方向を模索しながらの店構えで、それより何より笑顔が素敵だ。
「Tさんかっこいいよねすてきよね~。」と娘は言う。
また、スタッフだったBさんの扱う食材も買ってみたり。
と、そんな風に、R店が我が家の食環境へ与えた影響は、でかい。

レストランという場と、そこで働く人たちによる、
食を、食べることを共通言語に共に楽しむ楽しみたいという雰囲気が、むんむんとあったのだ。

その後、R店はオーナーが変わり、利益追求を打ち出し、
コストのかかる食材は使わないようになり、その結果当時のスタッフも随分離れていったと聞いた。
確かに、商売。利益がなければ成り立たない。
けれどもレストランというところは楽しい場所と時間をも提供してほしいなと思うし、
それを一緒に楽しめる人のいるところでごはんを食べたいな、と思う。
料理だけじゃなくて、一本通った姿勢のようなものに共感ができないお店には、
何度も足を運んだりしたくないのだ、個人的に。

わたしゃ、自分の働いたお金、得た時間、納得して使いたい。(←ケチだから。)

ああ、まあ、その話はいいや。前置き長い。

■■■
R店のスタッフのBさんとお話をする機会があった。
Bさんは、娘の通っている語学学校に通っていたという情報があったので、娘が話を聞きたがった。
Bさんはイタリアの食材を販売している。

語学は18のころからイタリア語を独学し、その後語学学校に通いシチリアで勉強。
料理人になりたかったので、大学へ行きながら、バイトをし調理師学校に通ったと話してくれた。

「ダブルスクールですか?」
「そうですね。大学は親がお金を出してくれたけれど、専門学校はバイト代と奨学金で行きました。
でも夜はR店でばりっと働いていたので、卒業できなかったんです。
あと一年行けば卒業できたと思いますけど、もうこの世界に行きたかったんで...もう卒業いいやって。」
「イタリア語は話せるようになりましたか?」
「はい、そうですね。独学してネイティブの先生に習った後は、
日本人の先生について文法をきっちりやったほうが身につくと思いますよ。」
「大学は行ってよかったですか?」
「はい、いってよかったですよ。見方が広かります。できれば卒業したほうがいいと思いますよ。」
「今の生活はどうですか?」(こんな失礼なことを聞くのは母)
「なんとか成り立ってます。でも好きなことなので、それが一番です。
いつか、自分の選んだ食材を使った料理を、お客に出したいと思っています。後悔はないです。」

娘も娘なりに、調べたり考えたりして、
大学は行ったほうがプラスになる、と思い始めたところのダメ押し。
やはり大学は行っておいたほうがいい、価値観が広がるし、ということで
家族意見も固まったところで。(よかった。)



私たちはさ、まあ、理系か?と思い、どっちかっていうと消去法で今の会社に勤めているけど 、
これが好き、これがやりたい、と本当に思えることに出会うこと自体が稀かもしれないね。
それに出会えた人ってそれだけで幸せかもね。
そんなことを夜に3人で話した。




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