2011年4月4日月曜日

大きいことを見るか、小さいことを思うか

娘「ねえ、知ってる?」
母「知ってない。」
娘「あのね、日本じゃさ年間30000人も自殺者がいるんだって。多くない?」
母「多いね。ひと月2500人、一日100人弱かー。(80人ちょっとだ)」
G「それさ、一年に30000人、30000万人一かたまりに考えるのと、
  一人が30000回って考えるのと違うんだよ。ボクはさそっちを考えちゃうんだよ。」
母「ひとりの生活があって、他の人とつながっていて、とれが急に途切れちゃうこと、
   それが30000人(30000回)ってことだよね。それぞれに生活があった、30000人分のね。」
娘「そんなの、私も考えるてるの、はじめから。30000人って聞いたらもうそこまで考えちゃうの!」

ま、あんたならそうかもなー、と母も思う。

母「じゃあ都道府県数で割ってみたらば...、(計算中)」
娘、G「そんなのイミ無いから。ナンセンス!」
母「そ、そうっすねー。」



Gさんは昨日まで生きていた人たちの生活が、ぽっきり、いきなり、無くなってしまっうことを思うと
こわくて地震と津波で町並みが無くなった写真を見るのができないって言う。
私は、地震のとき机の下で、もしかしてこのまま...とちらとかすめた。
体育座わりをしながら、一瞬、回路がカチっと変わったね。

生きるってことは未来が現在の延長線上に予定されていることではなくて
真っ暗闇の中を足元も見えず進むようなものだ、と中島さんが書いてた。たしか。
足元の地面がなくなってしまうかもしれない恐怖と隣りあわせなのだそうだ。
それを考えないようにして、日々私たちは生きている。

夜、そんなことを考えながらBSのコズミックフロント(プロローグ「宇宙は謎に満ちている」)を
Gさんと見てた。
宇宙にとって私たちの生は瞬きほども無い。
自分を思い考えることが、幸せであり、不幸でもあり。

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