2010年12月14日火曜日

不惑?いや、まだまだ惑う。

新聞をとっていない我が家では、ニュースはネットで。
時々、痛ニューなんかも読んでけけけと笑ったりしています。

先日、痛ニューで「友達の少ない人の特徴」というのを読んで、
「うげげ。ちょっとー、友達の多い少ないは重要じゃないんだよ。友達は多けりゃいいってもんじゃないんだよ。最近は友達少ないとか空気よめないこととかがマズいような雰囲気があるけどさ、どこがいけないだよ、なにまわりばっか気にしてるんだよ、だから日本はダメになっちゃうんだよ~!」、なんて、Gさんに向かって声を小さく叫びましたわ。まあ日本がダメになる云々は置いといて、まわりの評価を気にしながら生活するのはしんどいので、好きなようにやりたい派なんです。
(...がしかし。元来小心者なのでつい中途半端な態度になってしまう、まさに中途半端に40年生きてきたのが私なんですが。)

友達は少ないです。というか、知り合いになった人と知り合いの状態を維持したり、さらに親密になろうとすることにエネルギーを使えないので、それでも気にしない人とだけつながっているのが現状です。円滑なおしゃべりやら相談、修学旅行の枕投げ系、夜通しのおしゃべり(夜はすぐ眠くなる)、女の子グループ活動がなかなか苦手です。(でも最近は職場に女性も増えてだいぶ鍛えられてきました。(^^)v)

特に個人的に決めなくてはならないことや悩み事については、自分で決めることが多かったのですが。
先日、結論を出さないといけない事柄についてかなり真剣に考え、出した結論は、”自分が折れても周りが丸く収まるのならそれでよしとする”という方向のものでした。でも自信が持てなくて急に不安になったのです。客観的に物事を見て判断しているか、自分の中で小さいループに入っていないか、とか。それで珍しく複数の人たちに”相談”しました。私の出した結論についてどう思うかということをです。
そうやって他の人の意見を聞いているうちに、はじめの結論からずいぶんと方向が変わった結論に達していました。

その時に実感したんです。信頼できる人に意見を聞いたり相談をしたりすることって、視界が開けてとってもいい(場合がある)。そう、40歳を過ぎてそのことに気が付いたわけなんです。(←なに当たり前のことを。そんなの10代で気づけよ、ってなとこですけど。) それは、私が10代20代前半までわりと一人でいることが好きだったこととか自分で決めてそれをよしとしてきた、独りよがりまたは自分中心な人間だったからかもしれないですね。

でも、人間っていつでも考え方って変化できるんですねえ。
三つ子の魂っていいますけど、やはり経験とともに少しずつ変わっていく、それが生きていることの、脳の可塑性の醍醐味なのかもしれません。
これからももっと柔軟に考えていったらより楽しい生活になるんじゃないかと思いました。
不惑な年代...いやいやまだまだ惑いますね、きっと死ぬまで惑いますよ。
でもそのほうが面白いかもなーと思った次第です。よい体験をしました。



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