2010年9月24日金曜日

高く飛翔しないものは大きく堕ちる事も無い


家に帰ると娘が制服のまま夜ごはんを作っていた。
豚肉とキャベツ、ニンニクとお酒、塩少々入ったダッチーオーブンに火がついている。
私だって豚肉とキャベツの重ね煮にしようと思っていたのだ。
「おお、以心伝心。やっぱり親子じゃーん!」
と言ったら、
「冷蔵庫にある材料を見れば、思いつくのはやはりコレでしょう。
それに私が作ったほうが美味しいはず。」
と、冷静なコメントをいただく。

けれども、いや、まさしく、めちゃくちゃ美味しくそして残り少なくなったキャベツと豚肉を見て、
「ああ、もっと食べたいよ。」と二人で箸をなめる。
で、全部食べちゃってGさんの分はまた別に作れば?という話で決着した。

その時、母の、この後また作るのか若干面倒だな、という気持ちが顔に出たらしい。

その後の娘のつぶやきから。
「ふっ。こうやってさ、Gさんのこともだんだん重荷になってくるのかもね。」
「おおいおい。その「ふっ」っていう笑いは何なのさ。「ふっ」ってゆーのはさ。
あのね、いやなこととかあっても重荷にはならないよ。」
「でもさ、一回離婚すると、次も我慢しなくなりやすいんじゃないの?」
「うーん。あのね、確かに前は途中であきらめちゃったんだけど、
今度は、一旦引き受けたんだから最後まで引き受けることにしたの。決めたんだよ。
一緒に暮らしてたら、いいこともやなことだってあるけど、今度は最後までやり通したいんだよね、家族。」
「そうなのか、いいこともやなこともあるもんなんだ...。」
「そうだよ。そうゆのに一喜一憂しながらさ、全うしたいわけ。」
「ふーん。」

珍しく、オチがない会話となり、ちょっと拍子抜けです。
(いつもなら、いろいろ言い返してくるのに。)


連鎖ということばがあるように、離婚だってそれを親のあきらめと受け取られると、
子供がそれを見て感じて「そういう道もあるんだ」と、選択肢にいれちゃうってことは確かにあると思う。
正攻法だけが道じゃないし、つらかったら逃げちゃうのももちろんアリだと思うんだけど、
親が自分で選んだ道で楽しくやっていく様子や、
楽しくやっていこうと(少しですけど)努力している姿勢も感じてもらえたらとも思うんですよ。



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娘からの改善提案「母は娘の話をちゃんと聞いて反応してもらいたい。」があったので、
少しがんばってみてます。
そしたら、いちいち口を出さないでよ、みたいな言い方をされ、
「だったらいったいどうしたらいいのよ!」
と、先日、切れましたわ。

なんだか私たちは、”はじめから家族”のように容赦なく好き勝手にぶつける、という手法でなく、
”こういう部分は、もうちょっと考えてほしい、変えてほしい。”
とか控えめに口に出しています。それも私たちの関係性の都合上、たいてい母が調整役になるのですけど、さりげなく調整するなんてそんな微妙なさじ加減はできないので、大雑把にまとめてます。

母はね、さりげなく気を使うってこと、苦手なんですよ。


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Gさんも、帰宅後、新たにたくさん作ったキャベツと豚肉、完食。

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