2010年8月27日金曜日

病室の皮

模擬テストで問題文だった「病室の皮」の続きが読みたい、というので『色彩の息子』をamazonクリック。
「病室の皮」はこの短編集のひとつなのだ。


「で、どうだったの?」
「う~ん。なんか話がエロい。寝るとか寝ないの話ばっかなんだよ。
そして主人公の性格がみんな悪い。
そして色彩の、という割には、なんか同じ感じの話なんだよね。」

ということらしい。
娘、山田詠美にははまらず、ですか。
母も、この本の中の短編を「病室の皮」と含めて2つ3つ読んでみたけど、
「エースをねらえ」の”岡ひろみ”とは対極のような主人公たちの心の断面を描いた話だった。
他とは交われないが離れても生きていけない、細胞のような人の様をありありと書いている。

母も、娘も、この本を共感して読むタイミングではないのかもしれない。

私の中学j時代は、自分の中の汚い部分、偽善的な部分を見つけては大事に育てたものであった。
育てながら、稚拙にバランスを考えて外側に出していく。
なぜなら、それらが自分と他を別ける境界だと思っていたからだ。
ユニークである自分を演出したかったのかと思う。
そうそう、思春期の中2病的な。
当時なら、この本を共感して読めたんじゃないかと思う。


今はそんなことはしない。
そんな面倒なことをしなくても私は私であることを知っているし、
こうしてただ思うようにふるまうことが楽だからである。
言葉を尽くして、人を語る語り方は数え切れないくらいあって、そういう小説を読むのも楽しいけど、
今は人の、共通した構造やシステム、個を別けるオプション機能、脳機能なんかの話のほうに興味ありますかな。

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「この本、貸してあげるよ。」と娘に言われたが、
「ああ、いいや。いまはこっちのほうが興味あるしー。今読んでるのは、ミトコンドリア・ミステリーですよ。」
「うげー。またミトコンドリアかい。」
「いやー、こういうミクロな話は現実逃避にもなるんですよ。貸してあげようか?」

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