2010年8月23日月曜日

夏の日差しが痛い

今日の出張先の名古屋はあつい。文字通り暑い。
いや。暑いというより痛い。
日傘をさしていても、アスファルトからの照り返しで腕の皮膚が痛いのだ 。



「でも、やっても...
でも、ここがどうなるか心配...」

とか言っている打ち合わせ先の人の「でも」を聞いていたら、
「とにかく。まずは現状確認。何%の改善が必要なのか定量的に数値をださないと話が進まないですよ。」
とちょっと声が大きくなる。「ん、煮え切らないなあ、もう!」と心の声を何とかなだめたのだ。

私は、せっかちなのか、初めに慎重に懸念事項や想定問答を出し切るというより、
まずは、どれくらいなのか数値にしたり現状の可視化をしてから、それから考え提案しよう、というタイプ。
とにかく、動いてみないとね。
(行動して、当たって、時々砕けるタイプとも言う。)


「じゃあ、ここまでやってもらえれば、あとはやりますから!」

ああ、また仕事増やしちまった。これはもしかして相手の策略か。


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出張帰りに本屋さんで、「私たちは繁殖している 10」(内田春菊)を見つけ、ちょっと迷ったけど買う。
この本は、ちょうど娘が生まれた時と同じくらいから読んでいて、
子供って気を張って育てなくてもいいんだ、と言う気持ちにさせてくれた本なのだ。

最近の巻では内田さんの生活上で特定できちゃう人の攻撃が激しかったり、
”金を出してるのはこの私”的な姿勢が、読んでてしんどくなり、ついに読まなくなっていたのでした。
そういえば同じく内田春菊の書いた本で、前のご主人をひたすら攻撃する本とかもあり、
そのマイナスパワーから逆に目がそらせなくなり、本屋で全部立ち読みしてしまったことある。

書くことは武器なのだな、と改めて思いました。作家であれば強力な武器だね。

そして、ある意味、彼女の生きるパワーというか、そういう力についひきつけられてしまうのです。

読んでいて、しんどくなるのは、
自分の中にある”オレ様”気質に気が付かせられるからなのかもしれないなあ。
それを、隠さない部分にひきつけられるのかもね。

10巻では、普通の生活エピソードとなっており、
1,2,3巻あたりまでの圧倒的な面白さは薄くなっているように感じました。

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夜、ちょっと遅くなったので、家に電話をかけて
「あ、遅くなったからお惣菜かってこうと思うんだけど」と、母。

「あ~。ははは。はっはっはっはっはー。」と娘の返事。
(↑やっぱりね、二人になったとたんこれだよ。予想はしていたよ、かーさん、の笑い声。)

「えへ。えへへへへへ。」と母は答える。
(↑いつもすまないねえ。という返事笑い。)


過去の経験の蓄積によって簡略化された私達だけの言葉。

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