2013年8月5日月曜日

非線形なわたしたち

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親は、自分にこどもが生まれたときから、
心の中の子供の占める割合がおんなじで、
働いていても、だんなさんがいても、たくさん趣味があっても
ずっとおんなじ大きさで、心配したり世話をやいたり喜んだり、
そして心配したり心配したり心配したりしてきたけれども、
(時には多重心配が可能だったり!)

一方、こどものほうは、
赤ちゃんのときの親との世界から
友達やら先輩やら予備校やら学校のイベントやらで
時として親からの心配が鬱陶しくなる。
好きにさせてよ、と思う..少なくとも私がこどものころはそうだった。

頭では分っているけれども
自分の気持ちが受け取ってもらえないと切ないもんです。
これは親もこども一緒かもしれないけど
親のほうがこどもに対しては おばかだから、なんか救われない気がする。

娘とは、微妙に似てる分、分るような気がする分、
分らないことを思い知らされる。
分らない、ということを、分りすぎてしまう。
そんなことに、親になってからはじめて鮮やかな実感をともなって気がつく。
それでも、非線形な関係でいられる、相互影響しあえるうちは、
親子を味わえるから、楽しいのかもしれない。

++++
今日も娘とやりあいました。ちゃんちゃん。

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