2013年2月4日月曜日

依存と自立の交差点


私も、初めての入試、ひとりで試験場に向かう娘の背中を見たときに
「わたしはもうひとりで大丈夫」といわれた気がして、
ずっとその場に立ち止まってました。
私のほうこそ、一人で大丈夫か?
母の役割を努めるという、土台の部分がだんだんなくなていくような気もしました。
私は私を保つために、娘に依存してきたんだな。

---初めての入試、1月校受験の日のブログより抜粋-------
娘を見送った後、
もしや何かトラブルがあって戻ってきたりしたら、と思うとその場を離れられない。
じっと冷たい地面の上で立つ。
30分ほどしてその場を後にした。

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試験に向かう前、いろいろと言葉をかける母に、
「もういい加減 行ってもいい?」とつれない娘なのだ。
隣の親子は、「集中してね。」のお母さんの言葉に「うん、集中する。がんばるよ。」
との会話が微笑ましい。いいな~と内心思ってしまう。
とはいえ、娘のように、かわいげなく(ねらって)育てたのは私なので、
何回育てても、ああなるにちがいないのだが。


母親は、自分の中から出でた子供を自分の分身のように思ってしまうが、
娘としては「ママに細胞を一個もらったかもしれないけど、私は親とは別物だし、
自分(精神面)を作ったのは自分自身だよ」と言う。
確かに子宮っていうのは物理的にも口や消化器官と同じく体の外側と捉えられるし、
自分の分身のように考えるのは違うと思うけどね。
私も子供の頃は、自分を自分たらしめるものは環境から自分自身で取捨選択したものであって、
そうやって自分を作り上げたと思っていたので、娘の言い分もよく分かるし実感もできる。
けれど親は子供に依存して親となる部分も大いにあって、
そうやってやっと親子を確立してきたと思ったら、
もうすでに子供の視線は外へ向いていってしまうんだな。
娘の気持ちのベクトルの向きが変わるスピードについていけてないと思い当たる時、
自分が辿ってきた段階とタイムスパンを忘れてしまっていたことを鮮やかに思い出させられる。懐かしさを伴って。

娘は自分の子供ではあるけれど、別の人格で、
もうすぐに自分ひとりで立てるほどの強さを持つようになる、もうすぐ。
親は完全置いてけぼりだよ。
どこからがその時期なのかが計れないでいて、最近の私は滑稽なほどおろおろしてしまう。

おそらく、私の娘への依存がきれいに無くなることなどないのだと思う。
くやしいから思う存分べたべたしてやる。
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「娘」と「母」のキャリアは同じだけれども
私には「娘」だったキャリアも持っているから、
その経験に照らし合わせて俯瞰できるはず、とも思っていました。
けれども親になるということは、想像以上に不思議なものでした。
連続体だった娘と分離された後の、渦にまきこまれ流されるような
夢中で子供を育てた時間のあとの、再びの連続感。

小学校の頃、
「どうしてママはわたしのやったこととか考えたことが分かるの?」
と聞かれて、
「実はママは透視ができるのさ。」
と答えたものでした。
(娘は忘れてしまったかもしれないけど)

小学校時代は、二人家族だったので、
私の持っている考え方や知識はできるだけ引きわたしたい、
たとえ、それが早すぎても理解できなくても早く大人にして、
彼女が自分のことを客観的に見られるようにしてあげたいと思いました。
そうすることが、家族というものの多様性を(親のエゴですが)、
もし彼女が二人家族でさびしいと思うのであれば、
それを違った角度で見て自分自身を了解する、ことができるような気がしたからです。

けれどもそれは逆に、彼女から、
彼女なりの価値観を選び取る楽しさや自由を
奪ってしうことになるのかもとも思いました。
このおばかな母親は、私が楽になりたいばかりに、
私たちの状況を俯瞰できるようになってほしいと思っていました。

+++
中学入学と同時に、家を建て、Gさんと3人+1羽とのあたらしい生活は、
母と娘の密度の濃い生活の、次のステージ的な意味合いもありました。
最終的には、うまくいく、私が引き受けるという、自分の中の妙な自信を信じて踏み切りました。

中高時代の娘は、その変容ぶりは、学校の空気があっていたのでしょう。
顔つきも変わったように思います。(ふてぶてしくなった、ともいいます)
危なっかしくはありますが、母の背丈と心配をも軽々と飛び越えて、(でも体重は超えてない...)
どこか母の知らないところに向かっていきそうです。

娘は、これから大人や女や母に変態するプロセスの渦中で、
いっぱいいっぱいになっていくんだろうな。
親は親になってしまうと、それ以降は心配するばっかりで、やはり取り残されたままです 。
親は親のまま、いつも子供を心配しています。
(私の母もいつも私のことを心配していますから。)

親と子は、それぞれの絶対位置を変えながらも、
お互いの相対値は変わらないような気がします。動的平衡みたいな。 

2 件のコメント:

  1. スケルツオ2013年2月5日 23:40

    >親は完全置いてけぼりだよ

    なんだか泣けてしまいます。
    自分と自分の親とのかつての関係とか考えたって当然なんだけど、いまだに未練タラタラ。
    子供たちを自宅から大学に通わせるのも私の最後のあがきなのかな・・・

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  2. スケルツオさま

    自分のことを考えても、親ほど、子供は親に執着しないし、
    いずれ親がなんと言っても離れていくので
    べたべたできるまでべたべたしてやる~と思ってます。

    ただ、うちの場合、小学校6年間は家で娘と二人きりの生活で
    私が娘に依存している部分も大きかったので
    段階的に変えていかなくては、とは思ってました。

    娘のことが大好きでもそのことは変えずに、
    関係性を少しずつ変えていかなくては、と思ってます。

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