2012年2月25日土曜日

海老団子は春の色

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いつものそばやに行くにはタイミング的には今日、なんですが、
美容院の予約を入れていたので、Gさんと娘で行くことになった。
でもー私だけ話題に入れないのはなんなので、昼遅い15時ごろ、私もひとり店に入り食す。
季節のそば、今回は海老団子が入っていた。
海老の橙、青菜の緑、卵の黄色が、クコの実の赤が透明なスープに浮かんでいて綺麗。
海老団子を箸でつまむ時にスープの中でほろリと崩れる。
スープごと食べると、いい塩梅の塩加減と海老の風味と食感がスープの中で一体になって、
ああ、おいしい。
もくもくと食べた。

Gさんと娘が店でどんな会話をしたのかを、お店の奥さんに聞いたので、
家についてからそれを超能力者のように予言してみせた。
「私に、見せたいもの、それはアレでしょ!!」
「え~~なんで知ってんの?」

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増田みず子の「ふたつの春」を読み返してみた。
これを読んだのは学生の頃だったか。懐かしいな。
他人とは分かり合えないし、人は基本的に孤独だし、自分の中から外に出ることはできない。他人を気遣い、よりそい、誰かのために何かをしようとすることは不毛だと思い、その自分の不毛さを、自分以外の「健全さ」を鏡にして確認する作業は、自分の優位性を確認するようで心地よかった。
今でも基本的な考え方は変わっていないけれど、自分の部屋から出られないと思っていた、その壁をぶち抜いたのは、娘、である。たぶん。

娘とだって基本的には分かり合えない(だって確認する術がない)けれども、共同体となって生きていくしかないと実感させられたのだ。体感、かもしれない。子供を産む経験と、親となる経験って自分の部屋の外には世界があったんだ、と思えるくらいの衝撃だ。
40を過ぎた今、この小説を読むと懐かしいなと思う。学生である主人公の治子に共振する部分もあるけれど、もはや自分の中にはその共振だけではなくて、結婚して子供を産んでいろんな人を見てきて、多くの固有値ができているような気がする。さまざまな感情で揺さぶられる。
だから、増田みず子も共同生活を始めて、そして文章の色も変わったのかもしれない。




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