2011年4月14日木曜日

たまたまの偶然

今日は3人で出張。長い道のりも会話が弾んであっという間。
昼に15分でラーメン(固めでお願いします!)をかっ込む。

いつもマシンの画面と対話している、その対話を、人間とするとまた違った流れになる。
現場での打ち合わせは、充実していて、立ちっぱでも、気持ちが前向き。


「そういえば悲しいお知らせがあります。」
「え。何ですか?」
「いつも、帰りに寄っていたシュークリームやさんが無くなってしまいました。」
と伝えたら、一同がっくりしてた(に違いない)。
代わりに苺プリンを買う。すぐ食べますから、と伝えて買う。
お土産に苺のロールケーキも買う。
あ、夕食用に青パパイヤのサラダとキッシュも買う。



新幹線の中で、
「こういう震災のときって偉大な人がいますね、こんなことがあったんですって。...」
同僚が話し始めた。

地震以来、地元の震災記事を読むとぼろぼろするくせに、道を歩いていてもダメくせに、
美談を語るその語りを聞くのが、私はとてもいやだ。
美談をエサににしている私を突きつけられるからだし、
幸せの基準をそこに求めている、私を思い知らされるからでもある。
誰かを哀れんで、私を励ます。
要は私のいやしい部分を認識させられるのがいやなんだな。


だから、さっと話題を変えてしまう。(すまん)


たまたまの運で生きている私は、この偶然を偶然が続く限り素直に享受していいんだとも思う。
やはり、喜びとか感謝を生きている人につなげていくことしかできないよな、と再びに思った


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「あ、私学生の頃、ゼーベック効果の実験で進路方向転換したんだけど、
今またそこの分野に戻ってきちゃった」っていう話の流れになって、
「ああ、ボクもですよ。振動とか地震関連の研究室だったんですけど、
いろいろ回ってまた戻ってきちゃいましたよ!」
めぐり合わせは面白いねえ、と言い合った。

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